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世界一受けたい授業 [2008年02月01日(金)]






日本テレビ系の教養娯楽クイズ番組「世界一受けたい授業」に出演してから
ちょうど1年になる。

 その時の問題の1つが、これ。

 図版が小さくてわかりにくいかもしれないが、
みなさん、いかがですか?

 今年は、オリンピックの年。少しずつ国旗を覚えませんか。
オリンピックが10倍、たのしくなりますよ。
 
早春賦 [2008年02月01日(金)]






 挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
掲載させていただいております。禁無断転載。





 『早春賦』を作詞した作曲家・吉丸一昌(1873〜1916)は今の若い人にはあまり知られていないようだ。

東京音楽学校の教授を務め、明治末期から大正初年にかけて自身の作詞により十巻の『新作唱歌』を発行し、作曲者として当時の若手を起用したり、『浦のあけくれ』(マッジンギ作曲)、『楽しき農夫』(シューマン作曲)、『故郷を離るる歌』(ドイツ民謡)など外国の曲に巧みに詞を付けたりした。『早春賦』はその第3集にある曲のひとつ。春まだ浅き信州・安曇野(あずみの)の光景を歌った詩情豊かな作詞である。

吉丸はまた、徳性主義的傾向の強いそれまでの唱歌に早くから批判的で、唱歌・童謡の分野では作曲家にも作詞家にも、特記すべき足跡を遺した人。

すなわち、
『青い目の人形』『赤い靴』『七つの子』の本居長世(1885〜1945)、
『からたちの花』『この道』の山田耕筰(1886〜1965)、
『雀のお宿』『叱られて』の弘田龍太郎(1892〜1952)、
『浜辺の歌』『かなりや』の成田為三(1893〜1945)といった後に童謡運動を起こした中心メンバーともいうべき作曲家たちはいずれも教え子であり、
『波浮(はぶ)の港』『十五夜お月さん』の野口雨情(1882〜1945)、
『砂山』『ペチカ』の北原白秋(1885〜1942)、
『かなりや』『鞠と殿様』『東京音頭』の西條八十(1892〜1970)といった作詞家には大きな影響を与えた。

 昔は、今のシンガーソングライターのはしりのような人が結構いた。作詞もし作曲もする。
やはり「詩心がなければ歌心はない」ということか。

 吉丸はもっと一般に知られていい、わが国近代音楽史で重要な役割を果たした人といえよう。
8分の6拍子の名曲 [2008年02月01日(金)]






   剪画は石田良介画伯の特段のご厚意で
  掲載させていただいております。禁無断転載。





 童謡、唱歌には4分の2拍子と4分の4拍子のものが圧倒的に多い。しかし、もちろん、8分の6拍子の名歌・名曲もある。

 さきに述べたように、民謡には4分の3拍子はまずない。日本の古謡やわらべうたにも4分の3や8分の6拍子は皆無であろうが、「日本の歌」、特に抒情歌には、これまで述べてきた4分の3拍子の曲のほかに、結構8分の6拍子の名曲がある。

 抒情歌として、案外これが人代日本人には受けてきたのではないか。

 まず、古いところでは、1884(明治27)年に発表された『仰げば尊し』(作詞・作曲者未詳)。

金田一春彦は、伊澤修二の作曲かと推理する。

作曲者が伊澤であろうとなかろうと、もし、これが日本人の作曲になるものならば、当時としては8分の6拍子はまったく珍しいもので、完成度の高い西洋歌曲といえよう。

 ついで、1913年にできた『早春賦』(吉丸一昌作詞、中田章作曲)と『城ヶ島の雨』(北原白秋作曲、梁田作曲)。中田章は『雪の降る町を』の中田喜直の父親である。

 ほかにも中山晋平の『ゴンドラcの唄』、多(おおの)忠亮の『宵待草』、成田為三の『浜辺の歌』、海沼実『ミカンの花咲く丘』,八洲秀章『あざみの歌』、吉田ちあき『琵琶湖周航の歌』、安藤睦夫『北上夜曲』、藤江英輔『惜別の唄』

ちなみに、世界の名曲には8分の6拍子のものがいろいろあるのはいうまでもない。

例えば、メンデルスゾーン(1808〜47)の『無言歌』全49曲のうち、長調(メジャー)のものでは『デュエット』『紡ぎ歌』、短調では『ヴェニスの舟歌』がそうだ。

また、有名な『歌の翼に Auf Flugeln des Gesanges』も8分の6拍子である。

さらに、日本人なら誰でも知っているウェルナーの『野ばら』、インガルスの『七里ヶ浜の哀歌』、フォッター作曲の『モーツアルトの子守歌』

『七里ヶ浜の哀歌』は長年、ガードンとされてきたのは間違い、『モーツアルトの子守歌』とされてきたのも、フォッターと訂正された。
餃子 [2008年02月01日(金)]









熊「中国ってぇ国はひでぇことするよなぁ」

八「また核実験でもしたのかい?」

熊「てやんでぇ。無差別テロだよ」

八「ビルにでも突っ込んだンか?」

熊「おめぇはホントに何もしらねぇな。よくそれで鼻で息してらぁ」

八「ま、そういわずに、オメェとオレのなかじゃねぇか。
昼飯にらーめんと餃子でも食おうよ」

熊「おれぁ、らーめんだけにしとくよ」

八「せっかくたまにはオレが餃子おごってやろうってのに」
熊「ま、オメェが食って20分でもしたら食ってさしあげらぁ」

八「さしあげらぁとはでかく出たもんだな」

熊「そりゃそうだ。中国の無差別テロはその餃子なんだからな。不特定の日本人を見境なく殺そうとして、やったにちげぇねえ」

八「餃子に罪はない。餃子を憎まず企図したやつを憎め」

熊「それを言うなら、罪を憎まず人を憎めだろうが」

ご隠居「なんだかまた話がこんがらかってるな」

八「いや、こいつがねご隠居さん。あっしがたまには
餃子をおごるちゅうたら・・・」


熊「いや、こいつがおごるのは中国製の餃子にきまってっから、20分たってからごちそうになるよって言ってやったら、ぜんぜん話が通じねぇんですよ」

八「うちのカミさん元気だよ。きのう食ったのに」

ご隠居「ワシもいただいた」

熊「もう、どうなってんだ」

八「おれたち善人にはテキも考えてくれてんだよ」

熊「無差別だよ、無差別。善人でも悪人でもテロられるんだよ」

ご隠居「なんだそのテロられるちゅうのは。言葉が乱れるのは心が乱れている証拠だ」

八「ほれみろ。また叱られてんの」

熊「ご隠居さん、中国もさすがに反省しているようなことを言ってるようですが、ここは、中国の怪しげな検査体制を検査すべきじゃないですか」

八「そういうのって内政干渉でしょう? ご隠居さん」

ご隠居「中国政府をして、厳正な安全管理をなさしむべく望むという、日本側からの正式な抗議は行なわれていい」

熊「日本からも饅頭か何か送りませんか。得意の偽装をして」

八「おまえ、過激派だね」

熊「だってさ、向こうさんが過激なことをしたんだぜ」

ご隠居「ま、そう悪くばかりは言うな。きっと、中国国内でも毒入り餃子が頒布されており、相当数が酷い目にあってるはずだ。向こうさんだって、命が惜しいからきちんとするよ」

八「さすがご隠居さん。日本一!」

熊「いやぁ、オレはしばらく餃子は食わんぞ」

八「さっきもいっただろ。幸か不幸かうちのカミさん、まだ生きてるぜ」

熊「そうか、あの餃子は店内で作っているんだっけ」

八「材料はどこから来てるのかな」

熊「おい、財布持ったか。とりあえず行ってみようじゃねぇか」

ご隠居「わしも付いてゆくぞ」。
3拍子の歌の気分 [2008年02月01日(金)]






   挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
   掲載させていただいております。禁無断転載。







大正時代に入ってからも、3拍子の名曲は続いた。当時の日本人の西洋音楽に対する斬新かつ清新な気分はもしかしたら、3拍子にあったのかもしれない。

 文部省唱歌としてともに1913(大正2)年に発表された『海』(林柳波作詞、井上武士作曲)と『冬景色』、そして、高野辰之作詞、岡野貞一作曲になる翌年の『故郷』と『朧月夜』が3拍子の名曲である。

『冬景色』について、金田一は「文部省唱歌で1、2を争う詩趣の深い名歌」とえ(『日本の唱歌』)、先年、美智子皇后さまがとても好きな歌だと伝わり話題になった。

『海』の作曲は『夏は来ぬ』で知られる小山作之助ではないか、と『NHK日本のうたふるさとのうた』は述べている。

松原、白帆、干網(ほしあみ)、鴎(かもめ)、漁火(いさりび)、浦風、沙(すな)を取りこみ、1,2番を「見よ昼の海」「見よ夜の海」と分けて締めくくる叙景の巧みさは、自然保護運動の歌にでもしたいほど気持ちいい。

 3拍子による戦前の著名な童謡・唱歌は、さらに、
『浜千鳥』(鹿島鳴秋作詞、弘田龍太郎作曲。1920年)、
『雨降りお月』(野口雨情作詞、中山晋平作曲。1925年)、
『赤蜻蛉(とんぼ)』(三木露風作詞、山田耕筰作曲。1921年に原詞が出来、露風自身の補作を経て27年に曲を発表)と続き、
『影を慕いて』(古賀政男作詞作曲。1929年)、
「ヤネヨリタカイ」の歌詞で始まる『コイノボリ』(作詞・未確定、作曲・小出浩平。1931年)が世に出た。

『影を慕いて』はセゴビアのギター演奏を聴いて圧倒された古賀が一夜で一気に書き上げたものとされている。

『この道』『からたちの花』は北原白秋と山田耕筰のコンビによる代表作。ともに4分の3拍子で始まるが、中に複数回、4分の2拍子が巧みに入る、いわゆる変拍子の作品だ。

 このところ、私は「歌のおばさん」松田トシ先生のもとで、毎回のように、「からたちの花」をご指導いただいている。

2008年は4月20日が発表会。まもなくなので気が抜けない。なにぶんにも、私は松田先生の最末席の弟子なので、他の出演者はみなさん、「兄弟子・姉弟子」。決して恥をかかせるわけにはいけないと、今から緊張感いっぱいで、解釈と稽古に励んでいる。

 戦後3拍子の童謡が発表された。上野動物園の動物処分でショックを受けて出来た『ぞうさん』(まど・みちお作詞、團 伊玖麿作曲。1952年)である。

 戦後の愛唱歌で大ヒットした3拍子の曲は『雪山讃歌』。曲は、アメリカ西部開拓期の歌である『いとしのクレメンタイン』(西部劇映画『荒野の決闘』の主題歌)、それに西堀栄三郎(第1次南極探検隊越冬隊長)など3名の京大山岳部員が、1928(昭和3)年に替え歌として歌詞を付けたもの。

 ダークダックスをはじめとする1950年代後半からの男声四重唱ブーム、そして山男ブームで人口に膾炙(かいしゃ)した