フィンランド独立90周年 [2007年12月06日(Thu)]
これは優れもの。白い穴のところに、 ワイングラスを差し込んで、持ち歩くことができる。 祝・独立90年。少々ワルふざけ? フィンランド・カラーで 固めてみました。モデルがいけません! フィンランド建国90周年記念レセプションに、ヨルマ・ユーリン大使から麻布の公邸にお招きをいただいた。 3か月ほど前、同国の外相に同じ場所での晩餐会にお招きいただいて以来の訪問だが、実に気分のいい雰囲気を持つ場所として、いつも感心する。 気にいらない?のは、ユーリン大使があまりに大きく、私は見上げなくては握手もできないのが悔しいことくらいだ。 玄関前の椎の木がいい。しかし、きょうはもっと感心したのは、プレートにワイングラスを取り置ける装置がついていることだ。 この種の会合に毎週のように出ている私だが、こんなしっかりした装置をみたのは初めてだ。 前からあればいいなとは思っていたが、やはり「必要は発明の母」なのだ。 きょうは、胸のポケットに、フィンランドの国旗(白地に空色の十字)の色である、明るい青のチーフを入れていたら、友人の元外交官T氏が目ざとく見つけ、 「なかなかやるね」と一言。そういう割には、F氏はご自身の服装にはいったって無頓着。 でも、内心、私もうれしかった。 そうそう、肝腎のことを3つ。 「独立90周年」ということは、ロシア革命のドサクサ?にまぎれて、ロシアから独立を宣言してから90年ということ。サンクトペテルブルクを直接砲撃できる距離に国境があったが、第2次世界大戦後、ぐっと押し込まれてしまった。 もうひとつ。先の経済協力開発機構(OECD)による、15歳(高校1年生)を対象とした「生徒の国際学習到達度調査」で、フィンランドが、「科学的活用力」で1位、数学的活用力で2位(1位は台湾)、読解力で2位(1位は韓国)と圧勝したことだ。 ちなみに、日本は、それぞれ6位、10位、15位で、「ゆとり教育」による、学力の低下が問題視されている。 みなさんは、「かもめ食堂」という、日芬合作映画をごらんになりませんでしたか? 昨年、公開されたものですが、私は近年見た映画では屈指の楽しいものでした。 日本人の若い女性が、努力と工夫と忍耐でヘルシンキに小さなレストランを開くというストーリーです。まだでしたら、ぜひ、見てみてください。 ほんわかとしたうれしい気分になれること、請け合いです。 独立90周年については、以下にウィキペディアから転載しましたので、ご参照ください。 日本にとって参考になるのは、第2次世界大戦後、広大なポルカラ基地のソ連からの返還を平和裡に実現したことです。 1969年の夏に当時のレニングラードから船で訪ねたことがありますが、23時まで甲板で新聞が読めましたし、2時には明るくなっていました。外が明るいと興奮して疲れるものだということを、つくづくと体験しました。 ☆ ・★☆・☆・☆・★・☆・☆・☆・★☆・★ 1917年にはロシア革命の混乱に乗じてフィンランド領邦議会は独立を宣言した。 その後マンネルヘイムが左翼の反乱を鎮圧し、1919年にはフィンランド共和国憲法が制定された。 しかし、独立後の政情は不安定で1921年にスウェーデンと領土問題で争い(オーランド諸島)、さらに1939年から1940年のソ連との冬戦争では国土の10分の1を失った。 第二次世界大戦(継続戦争)ではソ連と対抗するために枢軸国側に付いて戦ったが、1944年にソ連と休戦。国内駐留ドイツ軍と戦ったものの、敗戦国として終戦を迎えた。 戦後はソ連の勢力下に置かれ、ソ連の意向によりマーシャル・プランを受けられず、北大西洋条約機構にもECにも加盟しなかった。 自由民主政体を維持し資本主義経済圏に属するかたわら、外交・国防の面では社会主義陣営に近かったが、ワルシャワ条約機構には加盟しなかった(ノルディックバランス)。この微妙な舵取りのもと、現在に至るまで独立と平和を維持した。 ソ連崩壊後には西側陣営に接近し、1994年にはEU加盟に合意。2000年にはユーロを導入した。 |