CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2007年10月 | Main | 2007年12月»
<< 2007年11月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
ハワイの空 [2007年11月01日(Thu)]
































   写真はいずれもホノルル市内で。




ユーラシア21研究所からは簡単には空は見えません。

 そのせいもあってか、先日のハワイでは
ほんとに空と雲が綺麗だと思いました。

 みなさんもさまざまな地域で、あるいは外国で、
しみじみと空を見上げて気持ちが晴れ晴れとしたり、
いろんなことを思い出したりしたことがおありかと思います。

 私はいい歳をして、そういうことが大好きなんです。否、
むしろ、いい年を重ねてきた、なお、そういう思いに
浸るのかもしれません。
台湾と韓国 (上) [2007年11月01日(Thu)]

















いずれも、東京・神田の韓国YMCA会館にて






 台湾は1895年の下関条約で日本の領土となり、
韓国は1910年、日韓併合となった。

 日清戦争で勝利して台湾を得たものの、
日露戦争までの10年、台湾での反日活動は
結構さかんであった。

 それが、ようやく終結したばかりであった。
台湾での反日活動に手を焼いた日本では、
フランスへの売却を真剣に検討したという話が
あるくらいである。

 以下、台湾は45年、韓国は35年、
日本の統治下にあったが、
なぜ、今日、両国の対日意識が
かくも隔絶しているかについて
私見を述べたい。

 その前に、日韓併合について、少し、
解説をしておきたい。

 日露戦争で勝利した後、日韓併合が検討されていた当時、
伊藤博文(初代韓国統監)や
曽禰荒助(大蔵大臣。後に第二代の韓国統監)は、
韓国を直接統治すること、
すなわち日韓併合には反対の意見であった。

 その最大の理由は、
曽禰の場合はいかにも大蔵大臣らしいが、
日露戦争で国庫は窮乏してしまったので、
韓国統治につぎ込む予算がないということであった。

 伊藤はそうした財政面とともに、
列強との関係や韓国統治の至難さを
理解しての思惑だったとされる。

 9月3日のポーツマス条約締結を経た直後の11月、
その伊藤が韓国に派遣され、
軍事力を背景に、
第二次日韓協約(保護条約)を締結した。

 これによって韓国は、外交権を奪われ、日本の保護国となった。

 この間、韓国皇帝である高宗は、
相次いで列強に密使を派遣するということを行なってはバレ、
日本側は態度を硬化していった。

 しかし、乙巳条約は強制されたものであり、
無効であるとして、
1907年にオランダのハーグで開催された
第2回万国平和会議にもまたまた密使を派遣した(ハーグ密使事件)。

 ここに至って伊藤統監をはじめとした日本側は激昂し、
李完用らの協力を得て、
7月20日、高宗を強制的に退位せしめた。

 これを継いだのが純宗。
7月24日には第三次日韓協約締結して、
日本は内政も直接行なうこととし、
一週間後の8月1日には韓国のそれまで、
旧式の武装しか持たず
日本軍に比べれば微力ではあったが存在した、
韓国の軍隊を解散させた。

 韓国軍のごく一部はその後、反日抗争に加わっていったが
大きな勢力にはなりえなかった。
1909年10月26日、ハルビン駅頭で
伊藤博文が暗殺された。

 暗殺者・安重根は今日、韓国の英雄ではあるが、
伊藤亡き後の日本の中枢には、
韓国併合を急いではいけないという考えの
有力な政治家がいなくなったことも事実だった。

 この後、韓国併合に向けて一気に整備が進められて行った。
そんなさなかの1909年12月4日、
韓国の政治団体「一進会」が上奏文「韓日合邦を要求する声明書」を
提出した。そして、これがきっかけになり、むしろこれに反対する、
各種の集会が全土で開かれ、むしろ反日の世論が一挙に高まった。

 加えて、この「韓日合邦を要求する声明書」は
日韓両国が文字通り対等に合併するというものであり、
当時の東アジアの状況や両国の動きからは到底、
実現不可能なものであった。

 かくして、1910(明治43)年8月22日、
日本が朝鮮半島のすべてを併合する形で、
日韓両国は統合された。

 以後、1945(昭和20)年8月15日までの35年間、
朝鮮半島には独自の民族国家は消滅し、わが国の朝鮮総督府が政治を行なった。

 ただ、韓国の皇族は日本の皇族に準じる扱いを受け、
日韓併合に尽くした韓国人は日本の貴族に列せられ、
終戦を決めた御前会議にも出席している。

 プリンスホテルはその李王家の別邸であったことに由来する。

 もちろん、この間に、朝鮮半島では
さまざまな抵抗運動があった。

 併合から9年目の1919(大正8)年3月1日、
有名な「三一万歳事件」が起こった。

 ベルサイユ会議で「民族自決主義」が和平の基本である
という潮流を感じた世論を受け、
長老たちがソウルのパゴダ公園に集まり、
「独立」を宣言する一文を発表したのであった。

 今、その文章と記念碑が、
もちろん同公園に掲げられているが、
東京でも、先日、
社会福祉法人さぽうと21の「支援生とのつどい」で訪れた、
韓国YMCAにも掲げられていた。

「事件」は女学生・(ユ・カンスン)の
まるでジャンヌ・ダルクのような活躍により
地方でも大いに盛り上がったが、
やがて、日本の軍事・警察力で鎮圧された。

 しかし、今日の韓国においては
その歴史的な意義は限りなく高く評価されている。

 いかんながら、わが国においては、
学校教育で朝鮮半島の歴史や日本との関わりについて
十分には指導されていない。

 古くは李舜臣、ここで挙げた安重根、柳寛順。
この、韓国の3大「歴史上の有名人」について、
基本的なことを知っている日本人は、
以外に少ないのではあるまいか。

 このことが、必要以上に
両国の摩擦を引き起こしてはいないかと、
私は思う。

 私自身も何十回も韓国を訪問し、
北朝鮮ともいろいろ関わってきたにかかわらず、
ほんの常識程度を超える知識を持ち合わせていないことを恥じるが、
次回は、その韓国と台湾が、
現在、なぜ、
かくも違う対日観を持っているのか、私なりに考えてみたい。


NEWSとは? [2007年11月01日(Thu)]






 近所の薬局にあった折り紙





NEWSとは?

あちらこちら、いたるところの最近の出来事。

心は?

N=北、E=東、W=西、S=南。

以前、誰かに聞いて感心したことがある。

同じようなことが、これは前に紹介したが、
中央アジア5カ国の名前。

加藤タキ(タレント、難民を助ける会副理事長)。

こころは?

カ=カザフスタン
ト=トルクメニスタン
ウ=ウズベキスタン
タ=タジキスタン
キ=キルギスタン。

 
 中央アジアにはトルコ系の国民が広く居住している。そんな話を
ユーラシア21研究所では
広瀬徹也元アゼルバイジャン大使に語っていただく。

 それが12月19日(水)18時から。虎ノ門の海洋船舶ビルで。

 そして、その前に、「北方領土ならこの人」という、
The Womanか、The Ladyというべき児玉泰子さんの話がある。

 こちらはもうすぐ。11月21日(水)18時から。

 既に30数回、北方領土を訪問し、数十の関連団体をまとめて
北方領土返還要求運動連絡協議会の事務局長の任にあること30余年。

「どうしてロシアはこの人に毒を盛らないんですか?」
そんな酷い質問を受けたことがある。

 ロシアは民主主義国家ですよ。気に食わないからといって女性に
手を出すことなんて・・・、いや、最近もありましたよね。
著名な女性ジャーナリスト殺害されて
まだ1年もたっていない。

 ロシアが真に、民主主義国家になり、
法と正義を尊ぶ国になったら、
北方領土は必ず返ってくる。

「お前はロシアがそんな楽園になるなんて思っているのか」。
質問がいよいよきつくなってきた。

 来年3月の大統領選挙とそのプロセスをじっくり観察しよう。

 日々、東西南北から流れてくるNEWSに注意しながら。


放送の反響 [2007年11月01日(Thu)]







  NHKのラジオ深夜便で、9月に約1時間、世界の国旗の話をしたのですが、それが「ラジオ深夜便」という雑誌に収録され、再放送も、きょう(11月1日)の午前1時からあったようです。

  私のほうは、ぐっすりと寝ていましたが、ありがたいことに、みなさまが結構お聞きくださり、前回よりもたくさんの方々から、メールをいただきました。よく存じ上げている方もいれば、ペンネームだけの人もいます。教え子も、同級生もいます。
 
  返事は個別にさせていただきますので、ここでは6人の方からのを、そのままご紹介します。

☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

「NHKのラジオ深夜便再放送を聴きました。アナウンサー(アンカー?)とのやりとりも、お互いにベテランらしく面白く、内容のよくわかる楽しい番組でした! 再放送してくれたNHKにお礼を言いたいですね。たくさんのラジオ深夜便ファンが聴いていたと思います。良かったですね。<私の生涯総合学習><国旗から学んだ>・・・この言葉に“それが生き生きと生きる生き方なのだ”と、確信できました。ありがとうございました」。

「国旗ってなかなか奥深いものなんだなぁと、実感しました。正直言っていままで、貴君の本を本屋で見つけて2冊買ったんですが、各国についての基礎知識が偏在? 絶対的に質量ともに不足していて、最後までどころか、数頁しか読まなかったです。これで、各国旗の相互に関連があることをちょっぴり知り、自分でも何か法則を発見できるか、読み直してみます」。

「キミの早口はなんとかならんものか。若さが売り物かどうか知らんが、元気すぎる。夜中の放送なんだぞ。自分ははりきって煌々と電気のついているところで得意になってしゃべってるのだろうし、その気持ちはわからんでもないが、こっちは、一杯も二杯も引っ掛けてから、横になって半分うとうとしていたところだ。おかげで、今朝は9時半起きだ。どこかに出かけなくてはいけない身分ではないが、夜は夜らしく、朝は朝らしくありたい。以上、感想と文句!」

「世界の国旗があんなに面白いとは知らず、寝不足してしまいました。10カ国くらいしか国旗を知らないのに、まるで、国旗通になったような気分です。テレビとはまた違い、ラジオは時間をかけてくれるので、たすかります。ただ、失礼とは存じますが、体を横にして聴いてしまいましたので、途中で起き上がって地図帳でも引っ張り出せばよかったのですが、つい怠けてしまいました。なにか適当なご著書をご紹介いただけませんか」

「前回も聞いちゃったんだけど、またきいちゃいました。先生から元気をもらうのがうれしくて・・・。実は、カレと一緒に聞いたんです。こんど会ってやってください。若いのにヤキトリと焼酎というタイプですが、マスコミ希望でなかなかの情報通ですよ。カレの就職が決まったら結婚します。そう、私が2つ上です」

「いつでしたか、日テレの『世界一受けたい授業』で国旗のお話をされていましたね。そのときの推定年齢とラジオの声での推定年齢の差が大きく、ちょっと別人ではないかと思ったほどでした。プロフィールを拝見して、66歳。うそっ!・・・ですよね」
| 次へ