真珠湾に突入 [2007年10月15日(Mon)]
真珠湾攻撃進路図 真珠湾攻撃についての「復習」である。
現地時間12月7日午前6時15分、 第1次攻撃隊(指揮官:淵田美津雄中佐)の183機が出撃を開始。 同7時49分、淵田中佐が「ト・ト・ト(全軍突撃)」と命令を発信、 奇襲攻撃に成功した。損失(未帰還)航空機はわずか9機に過ぎなかった。
続いて1時間15分後の 7時30分に第2次攻撃隊(指揮官:嶋崎重和少佐)の167機が出撃、 熾烈な対空砲火で、損失航空機は20機に及んだ。
この時、米軍機との格闘戦で搭乗機が被弾し、機関不可能と判断した石井三郎2等飛曹は、米側に反転突入した。また、ニイハウ島に不時着した西開地重徳飛行兵曹は、かくまってくれた日系人らとともに地上で銃撃戦を行い亡くなった。
私がかねて注目したのは、二人乗りの特殊潜航艇で真珠湾に進攻し、オートジャイロの故障で方角を失い、海岸に打ち上げられて捕らわれた、酒巻和男少尉についてである。
太平洋戦争の開戦直後に捕虜となり、満4年以上たった1946年1月に、復員した。
酒巻さんは、帰国直後に2冊の体験談をだして、ともにベストセラーになって以来、当時のことを話さなかったが、生前、私のインタビューに丁寧にお答えいただいた。
拙著『聞書き 日本人捕虜』(図書出版社)に上梓したが、貴重な記録なので、いずれ、小欄で詳しく紹介した。
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吹浦 忠正
at 15:04 |
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単冠湾湾からの出航 [2007年10月15日(Mon)]
単冠湾。9月1日撮影。 単冠湾に集結した連合艦隊は、1941年11月26日(水)朝、同湾を出発した。
針路97度、ほぼ真東に航行した。厳しい寒気と荒れ模様の天候、加えて濃霧であった。
先頭は駆逐艦や水雷艇、続いて利根、筑摩の巡洋艦隊から成る第8戦隊、比叡・霧島の戦艦から成る第3戦隊、そして6隻の空母、その周辺を警備する小艦や補給部隊という順での出航だった。連合艦隊の31艦船は、輪型陣の第1警戒航行で進んだ。
12月2日(火)1730 連合艦隊に対し「新高山登れ(ニイタカヤマノボレ)」の電文が発信され、事実上、ハワイでの開戦に踏み切った。
新高山は台湾の玉山(3952m)の、当時の呼称。日本で一番、高い山であった。先日、台湾の花蓮から高雄に向かう飛行機の中から、遠望した。不思議な縁を感じる1ヶ月である。
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吹浦 忠正
at 14:27 |
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真珠湾攻撃時の日米軍 [2007年10月15日(Mon)]
単冠湾。2007年9月1日撮影 まもなくユーラシア21研究所を経って、成田に向かいます。
先月、戦後初めて単冠湾(択捉島)を公式訪問し、今回、せっかくハワイに行くのですから、ドロ縄ではありますが、真珠湾攻撃について、双方の軍事力の基本的な構成を復習してみました。
これは自分のメモ代わりです。
ここ数日、佐々木譲の『エトロフ島発緊急電』を興味深く読んでいます。成田に着くまでに読み終えそうです。興奮しますよ、あのノンフィクション?は。お勧めです。
それにしてもこれだけの艦船が、単冠湾にひそかに集結し、極秘裏によくぞハワイまで行ったものです。
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[連合艦隊]
<空襲部隊> 第一航空艦隊 司令長官:南雲忠一中将 参謀長:草鹿龍之介少将 ○第一航空戦隊 司令官:南雲長官直率 ○航空母艦/赤城、加賀 ○第二航空戦隊 司令官/山口多聞少将 ○航空母艦/蒼龍、飛龍 ○第五航空戦隊 司令官:原忠一少将 ○航空母艦/瑞鶴、翔鶴 艦載航空機350機 (内訳:零式艦上戦闘機78機、九九式艦上爆撃機129機、九七式艦上攻撃機143機)
<支援部隊> ○第三戦隊 司令官:三川軍一中将 ○戦艦/比叡、霧島 ○第八戦隊 ○重巡洋艦/利根、筑摩
<警戒隊> ○第一水雷戦隊 司令官:大森仙太郎少将 ○軽巡洋艦;阿武隈 ○第一七駆逐隊 ○駆逐艦/;谷風、浦風、浜風、磯風 ○第一八駆逐隊 ○駆逐艦;陽炎、不知火、秋雲、霞、霰
<哨戒隊> ○第二潜水隊 司令:今和泉喜次郎大佐 ○潜水艦 伊19、伊21、伊23
<補給部隊> ○第一補給隊 司令:大藤正直大佐 ○油槽船 極東丸、健洋丸、国洋丸、神国丸 ○第二補給隊 ○油槽船 東邦丸、東栄丸、日本丸 ○特殊潜航艇5隻(甲標的5隻)他
[アメリカ海軍] ○太平洋艦隊 司令長官:H・E・キンメル大将
○戦艦8隻(カリフォルニア、メリーランド、テネシー、アリゾナ、オクラホマ、ウエスト・ヴァージニア、ペンシルヴェニア、ネヴァダ) ○重巡2隻(ニューオーリンズ、サンフランシスコ) ○軽巡6隻(デトロイト、ホノルル、セントルイス、ヘレナ、ローリー、フェニックス) ○駆逐艦30隻 ○その他48隻 ○カタリナ哨戒機14機 ○基地航空機 399機
当初予定されていた空母は真珠湾を離れていた。
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吹浦 忠正
at 14:18 |
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ハワイでの国際会議@ [2007年10月15日(Mon)]
「東アジアにおける共同安全保障と緊急災害対処」をテーマに、相互に研究し、ケース・スタディを行なうため、今週、私は初めてハワイを訪問する。
より具体的には、北東アジア・東アジア各国の政治・軍事情勢、エネルギー安全保障、海洋協力を基点とする包括的安全保障といった分析と、災害対応と危機管理、不審積荷・不審船への対応、港湾保全、入港管理、感染症対策、環境・資源保護、官民協力、被害管理等について論じることになる。
ご一緒するのは、坂本正弘日本戦略研究フォーラム副理事長、“アジアの平和”実行委員会の岡本智博委員長(元空将、元モスクワ駐在「武官」)、同松井 健事務局長(元空将補、ジュネーブ軍縮代表部駐在「武官」)、岡崎研究所の阿久津博康主任研究員、同鈴木邦子研究員。
米国側からは、ハワイ日米協会のエド・ホーキンス会長、太平洋フォーラムCSISのラルフ・コッサ所長、アジア・太平洋戦略研究センターリー・エンドレス所長、14管区沿岸警備隊のアトキン海軍大佐、ハワイ州兵司令官・軍務局事務所長のロバート・リー陸軍少将ほか。また、韓国から、国際関係・アジア戦略研究所・軍事分析協会のパク・ソンジュ博士が特別参加する。
冒頭、日本側を代表して私がプレゼンテ−ションをするが、きょうまでにようやく英文の準備が出来た。以下、邦文で数回に分けて要約を紹介したい。
ほかに、 「中国船トン・チェン号座礁への対処」(アトキンス海軍大佐)、 「ハワイ州兵による緊急災害への対処」(リー陸軍少将)、 「日本の災害対策・危機管理」(鈴木邦子研究員)、 「中越沖地震と柏崎原発、防災訓練」(松井 健元空将補)、 「最近の北朝鮮における水害」(パク・ソンジュ博士)、 「中長期的視点から見た北東アジア情勢」(岡本智博元空将)、 「朝鮮半島有事と周辺諸国の対応」(阿久津博康主任研究員) といった論文が既に用意されている。
また、ハワイ滞在中は、日本の総領事に表敬し、米側の特段の協力で、14管区沿岸警備隊関連施設、部ダイヤモンドヘッド壕内のハワイ民間防衛司令、ハワイ州兵司令部、ハワイ州兵津波・災害対応部隊、C-17輸送機見学、ヒッカム航空基地(ゼロ戦銃撃弾痕)、パールハーバー(日本海軍特殊潜行艇、太平洋空軍博物館(捕獲ゼロ戦)、戦艦ミズーリ艦上、戦艦アリゾナ記念館などの見学も行なえることになっている。
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インドの首都の回答 [2007年10月15日(Mon)]
先に小欄でインドの首都がデリーかニューデリーかということを書きましたが、 「インドの首都はニューデリーである」旨の回答が、インド政府から来ていることが明らかとなりました。
すなわち、2004年7月13日付、インド外務省広報担当課長名の書簡による回答があったとのことです。
以上、日本の外務省アジア太平洋局南西アジア課のインド担当官青島尚重さんから、書面で教えていただきました。
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