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小沢さんという人A [2007年09月09日(日)]







 小沢さんについて、先日、ある方から感動する話を伺いました。

 先年、104歳で亡くなられた加藤シヅエ元参議院議員のご命日に
毎年、お花を届けるのは小沢一郎さんただ一人だそうです。

 小沢さんが新進党の結党大会を開いたとき、99歳の加藤さんをお招きし、
祝辞を述べてもらったことのご恩を忘れないという姿勢でしょうかと
ご遺族が感謝しているようです。

 小沢さんって、本当はそういう人なんですね。
夕陽の沈む海 [2007年09月09日(日)]





 根室市根室グランドホテル展望台から、
オホーツク海、国後島方面に沈む夕陽














  北方領土・国後(くなしり)島に向かうロサルゴサ船上から。












     同じく根室港の方角に旋回する船上から。











     択捉島・内岡(なよか)湾内での船上から見た、
オホーツク海上の夕陽




 

 23年あまり前、モザンビークの首都マプートで
インド洋から昇る太陽を見て、
ああ、ずいぶん遠いところに来たんだなぁと
少々感慨ににふけったことがあります。

 沈む太陽で感動したのは、
やはりマニラ湾の夕陽だったでしょうか。

 ところで、日本で夕陽沈む海はどこでしょう。

 日本海
 東シナ海
 
まではすぐ思い浮かびます。

 でも、まだまだあります。

 太平洋に沈む夕陽を伊豆諸島や小笠原の島々で
見ることが出来ます。

 昨年7月に硫黄島の擂鉢山の山頂から見た
太平洋に沈む夕陽は感動でした。

 1945年2月末、きっとここで亡くなった日米の将兵は
沈み行く太陽に看取られたのではないでしょうか。

 そして、夕陽は瀬戸内海にも沈みますし、
オホーツク海にだって沈みます。

 対馬から与那国島や波照間島にかけては
東シナ海に沈む夕陽が見えます。

 ではまず、オホーツク海に沈む夕陽を。

 今回の北方領土への訪問で、
たっぷりとその美しさを堪能してきました。
ニコライ堂初訪問 [2007年09月09日(日)]
























  ニコライ堂正門上の復十字















『宣教師ニコライの全日記』(日本語版)献本式に
お招きを受け、御茶ノ水のニコライ堂に始めて訪問した。

 ニコライ堂、
正式には
日本聖ハリストス正教会東京復活大聖堂の門から入ると、
すぐ左にその説明が表示されている。それによると、
1904(明治37)年6月に
文部省が重要文化財に選定している。

 つまり、
その年の2月に日露戦争が始まっているのであるから、
これは、あきらかに戦時中に、
敵国にゆかりの深い施設を、
国が文化財として保護したということである。

 ロシア人である宣教師ニコライはこの間、
ここを拠点に、ほとんど外出できないまま
苦難の日々を送っていた。

それはともかく、
この表示板によれば、
ニコライ堂は1884(明治17)年3月に起工し、
7年かけて1891(明治24)年2月に完成したとのこと。

 設計したのは、
ロシア工科大学のシチュール・ポフ教授、
工事の監督には、英国人のコンドル博士があたったとある。

 高さ35mのわが国にある
ビザンチン様式の建造物としてはわが国最大で、
東京名物として数々の歌に歌われてきた。

 壁の厚さが1〜1.63mもあるのだそうだ。

 中は壮麗と言うほかない。

 聖歌隊の歌声は、
かつてクレムリンのウスペンスキー寺院、
アレクシイ2世の午餐会、
聖地ザゴルスクの大聖堂で聴いたものと同様、
ロシア正教の礼拝や式典では
きわめて重要な役割を果たしているように思った。

 素人写真で恐縮だが、
ニコライ堂の雰囲気をお伝えできれば幸いである。
ニコライの日記献呈式 [2007年09月09日(日)]








  ニコライ堂(東京・御茶ノ水)







      『宣教師ニコライの全日記』は
    日本財団の笹川陽平会長から
    日本ハリストス正教会のダニイル府主教に
    献呈された。
















   献呈式後笹川会長と懇談する
  ベールイ駐日ロシア大使。二人は、
  この出版事業が日露両国の梯になると
  いう見方で一致した。








 本日(9月19日)午後0時30分から、
御茶ノ水の東京復活大聖堂(通称:ニコライ堂)で行なわれた
『宣教師ニコライの日記』日本語版献呈式に
参列させていただいた。

 本書の刊行は
中村健之介先生(現・大妻女子大学教授)の
熱意と努力の賜物であり、また、
日本財団の歴史にのこる偉業の一つであろう。

 ほぼ3年前の2004年9月6日、
私はクレムリンの中にあるウスペンスキー大寺院で行なわれた
同じ本のロシア語版献呈式にも参列させていただいた。

 笹川陽平日本財団理事長(当時)から
ロシア正教のアレクセイ2世総主教聖下に献呈され、
そのあと、聖下主催の午餐会にもお招きを受けた。

 本日の献呈式参列ともども、まことに光栄である。

 きょうも、前回も
ライフワークとしてこの解読、翻訳、出版に努められた
中村教授ご夫妻も出席され、
笹川会長とともに祭壇前にならばれた。

 1979年、サンクトペテルブルクの中央国立歴史古文書館で、
中村教授が30冊の手書きの日記を発見したことが
この事業の始まりだった。

 関東大震災で焼失したのではないか
とされていたものの「発見」だった。

 ニコライは幕末の1861(文久元)年に来日し、
72(明治5)年に日本ハリスト正教会を創建し、
以後、1912(明治45)年に亡くなるまで、
若いころの2度の一時帰国を除き、
生涯、北は今、北方領土と呼ばれている四島の1つ・色丹島から
南は四国、九州まで、布教に努め、
最盛時は全国に265の教会を有し、
3万を超える信徒を数えた(現在は1万人余とか)。

この間には日露戦争(1904〜05)があり、
両国を愛するニコライはロシア政府からの帰国勧告に逆らい、
東京に滞在して、7万9千人に及んだロシア人捕虜への支援などを
しながら苦衷の日々を過ごした。

 日本では信徒への迫害も行なわれたが、
ニコライは
ロシア語のできる司祭を全国各地の捕虜収容所に派遣して
宗教的な慰安活動を行なうなどした。

 このあたりについては、
拙著『捕虜たちの日露戦争』(NHK出版)でも触れたし、
以前、小欄でも紹介した。

 きょうの贈呈式にはロシア大使館から、
ベールイ大使、ガルージン公使ご夫妻も参列し、
全9巻からなる分厚い日本語版を贈られた。

 中村教授の並々ならぬご尽力と
日本財団の長期、高額に及ぶ助成を讃えたい。

『宣教師ニコライの日記』日本語版は
教文社から出版されている。

 B5版2段組、全9巻(各巻平均380頁)、99,750円(税込み)。

 なお、関係する中村教授の著作には、
次のものがあり、お勧めしたい。

 宣教師ニコライと明治日本 岩波新書 1996
 ニコライ堂の女性たち   教文館  2003(共著)
 
 また、翻訳書には以下がある。

ニコライ『ニコライの見た幕末日本』 講談社学術文庫 1979
ニコライ『明治の日本ハリスト正教会』。
感動と感謝と@ [2007年09月09日(日)]





 最終日のフィナーレを盛り上げてくれた
MALTAクィンテット。
鷲田マリ難民を助ける会理事の企画で
舞鶴市で公演して以来、
3度目のご協力をいただきました。











 86名から成る、
三枝成彰さん以下の六本木男声合唱団倶楽部。
畏友である日赤社長の近衞忠W、
弁護士・河合弘之、
ビックカメラ役員の加藤周二の3氏も
なかなかご立派な歌いぶり。
この中には医師が32人もいるそうです。
みなさんには大感謝です。
募金までしてくれた方が大勢だったと聞いています。









 SAPATOSの演奏。サックスは三四朗、
ギターが木村純の両さん。
FM東京ホール以来2度目のご協力です。










 お越しくださったみなさまのご協力も
「一流」でした。







 難民を助ける会の主催により、昨日、一昨日と六本木ヒルズで、
「対人地雷全面禁止条約10周年記念『地雷ではなく花をください』
Talk & Live」が開催されました。

 超一流アーティストのみなさんのご協力で、
すばらしいイベントになりました。

 老生もまた、一流の人物からは
たくさんのことを学びました。

 独り占めにするのはあまりに勿体ないです。

 順不同で列挙してみましょう。

 マラソンの谷川真理さん。
毎年、地雷禁止のチャリティマラソンを主催し、
いつも数百万円をご寄付くださっています。
「スーダンで地雷原や被害者を見てきました。
足のある自分がなすべきことを
今後も懸命に続けます」。

 アルトサックスのMALTAさんは、
演奏終了後、自らのサクソフォンを捧げもって
謝意を示していました。

 文楽で大夫が最後に読み本を同じように捧げ持つ姿と
二重写しになりました。
感謝の気持ちのあらわれなのでしょう。
 
 全国の中学生の吹奏楽を応援し、
MALTA賞を出すということもしておられます。

 トランペットの日野皓正さんは、
「両頬を膨らましての奏法? 
あれはね、ファジーな音を創り出すためです」。

 高円宮妃殿下は台風9号に遭遇し、
ご公務先の山形からの新幹線が動かず、
帰京が難しくなりました。

 その妃殿下から
「なんとしてもこの催しに出たいと周囲の人にはっきりいいました。
二つの県警の協力で山形から自動車で蔵王を超え、
仙台から新幹線に乗りました。
周りの方はご苦労されたと思いますが、
ほぼ予定の時刻までにこの会場に到着できました」。

 ボサノバのSAPATOS(靴)から
「会場でCDを販売させていただいたお礼です」。
ボランティアが寄付までしてくださったということです。

 朗読の森川淑子さんは
長年にわたりご寄付を続けてこられた元NHKプロデューサー。
「実際の活動にも参加できてとてもうれしいです」。

 ご寄付くださる方々にはこういう気持ちの方も
いらっしゃるということです。

 リーダーはさまざまな機会に
もっと呼びかけをすることが必要でしょう。

 東大生だけのジャズ演奏グループ
「ソノダバンド」の園田涼くん。
「こんな場所で最初に演奏できて最高です」。

 森川さんともども2日間、会場で聴いてもくれました。

 森川さんの朗読でピアノ伴奏をした西本梨江さん。
「私、演奏用のドレスも持ってきましたが、
みなさんといっしょの地雷廃絶のためのTシャツで演奏します」。
 学生時代から懇意にしてきましたが、まもなく結婚とか。
おめでとうございます。

 朗読の中井貴恵さん。
朗読って、こんなにも感動させるんですね。
妃殿下のお側で、私は役割を忘れ、
なぜこんなに心を揺さぶるのかも考えず、
泣きました。

 こんなに贅沢ないい思いをさせてくださるんですから、
ボランティア活動って、辞められませんね。

 加藤タキ副理事長からは
最も多く教えていただきました。
あの人のことについては別に書きましょう。
夏の終わり [2007年09月09日(日)]







 今朝、新聞を取りに行くと、
マンション3階のエレベータホールでセミが斃れていた。

 長い夏の終わり。今10時をまわったところだというのに、
ここ、目黒駅前ではセミの声がぐんと少なくなっている。

 昨日、一昨日と六本木ヒルズで、
「対人地雷全面禁止条約10周年記念『地雷ではなく花をください』
Talk & Live」が開催された。

 会場を無償提供してくれた森ビル、
テレビ朝日をはじめとするマスコミ各社、
そして出演してくれた超一流アーティストのみなさんのご協力で、
所期の目的を達成して、無事終了することが出来た。

 主催する難民を助ける会(相馬雪香会長)の活動に
特別顧問として久々にかかわり、
老生は「わが若さ」を確認できた気分である。

 セミは斃れたが、明日からは本格的な仕事がヤマのようにある。

 新聞受けからだした新聞の1つ、産経新聞は
トップ記事で、
北方領土の開発に北朝鮮労働者が入り込んでいることを報じ、
「クリル社会経済開発計画」が本格的に始動していると伝えている。

 小欄ではまず、先週訪れていた北方領土について
報告を続けたい。