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反米から転向した? [2007年09月03日(Mon)]





  わが師・末次一郎の「五省」




 以前も小欄に書いたが、
私は1945年8月14日深夜の土崎港町(現・秋田市)の空襲で
70余人が亡くなったことを鮮明に記憶している。

 終戦前夜、トルーマン大統領による停戦命令が出てからの
無差別爆撃、
死傷者のほとんどすべてが非戦闘員・・・。

 父は、数日後、疎開先の河辺郡和田町(現・秋田市)から、
母、兄、そしてわずか4歳の私を連れ戻し、
兄と私を自転車の前後に乗せて爆撃の跡を見せた。

「鬼畜米英のやったことを絶対に忘れるな!」。

 爾来、私の反米は決まった。「アメリカは嫌いだ!」と
半世紀以上叫んできた。

 それでも、日米安保条約の改定(1960年)の時には、
改定賛成側についた。

 どう考えても、わが愛する日本の安全にとって、
日米安保は必要だと考えたからだ。

 友人・知人の多くを失った。それでも反米はゆるぎなかった。

 高校生のころから、いつかアメリカ人と話す機会があったら、
あの8月14日の空襲について
徹底的にしゃべって糾弾してやろうというのが、
英語を学ぶインセンティブだった。

 だから、(それだけは)今でも
めちゃくちゃ上手くしゃべれるはずだ。

 そんなわけで、アメリカには「2001年9月」まで、
ほとんど行ったことがない。

「ほとんど」というのは、
南米に行くためにやむを得ずマイアミの空港に泊まったとか、
ヨーロッパに行くためにアンカレッジ(アラスカ)空港にだけは
何度も立ち寄ったという程度だった。

 しかし、NYやワシントンDCはもとより、
グアムもハワイも西海岸も行ったことがなかった。

 後の3つは今もって行ったことがない。

 数えてみたら、私は82カ国を訪問した経験がある。

 しかし、その82番目の国がアメリカだった。

「2001年9月」、いわずと知れた「9.11事件」である。

 数千人もの「非戦闘員(民間人)」が
同時多発テロの犠牲になった。
全航空便が停止した。

「土崎の70余人どころではない」。

 9日後、取るものもとりあえず、
私は再開された便でワシントンに飛んだ。

 心から哀悼の意を表し、弔花を抱いて、現場を周った。

「何ということを!」。怒りに身が震えた。

 その日から、私はアメリカ人とある種の共感を抱くようになった。

 私は今、 
親米右派、反米右派か? 
自分でも分からないアンビバレントなものがありそうだ。

 ま、いずれにしても、いわゆる左派ではなさそうだ。

 それは、左派が社会主義者という意味においてである。
親米・反米、右派・左派 [2007年09月03日(Mon)]
      




「アメリカ帰りの反米運動のリーダーもいれば、ソ連帰りのソ連(ロシア)嫌いもいる」と前回書いた。

 先週のあるユーラシア21研究所が主催する研究会で、
@ 親米右派
A 反米右派
B 親米左派
C 反米左派

が、日本にいるという話になった。

「国際事件記者」として知られた大森実さんは@だろうが、時にはBにもなる。先日亡くなられた小田実さんはCの典型だろう。「ソ連帰りのソ連(ロシア)嫌い」は、異論や異存のある人もいそうなので、名前を挙げるのは遠慮しよう。

 友人・知人を思い出して、勝手に分類してみた。

 私? 「反米右派」から「親米右派」への転向組かな?

「9.11事件」で、あれだけの民間人が犠牲になったとき、私の気持ちが180度換わったからだ。   (つづく)
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