日本が世話になった話E [2007年09月02日(日)]
![]() 朝鮮戦争を機に日本の復興は急速に進んだ。 この特需景気を運の良さとも言えるし、日本人の努力の賜物ともいえようが、そこにアメリカのガリオア・エロア資金や世界銀行(世銀=国際復興開発銀行)の強力な支援がなかったら、“奇跡の復興”はなかった。 1952年、わが国は世銀に加盟した。そして、東京オリンピックが開催された64(昭和39)年まで、日本は世界第2位の被援助国だった。 日本が誇る巨大プロジェクトである「愛知用水、東海道新幹線、東名高速、黒部第4(黒4)ダム」はいずれも世銀からの長期低利の借款によるものだ。 これらの責務を完済したのは、なんと90(平成2)年になってからだった。 物資と資金の提供だけではなかった。アメリカは政府も団体も、そして時には個人も、さまざまな形で日本の前途有為の青年男女を無償留学させ、人材の育成にあたった。現在、日本の政界、官界、実業界、学界、芸術分野などの指導層にある著名な人物で、こうした制度の世話になった人は実に多い。 難民を助ける会の副会長を2001年までなさっておられた石井多摩子さんは、戦後初の女子留学生。「津田(塾大学)の友人と2人っきりで船で太平洋を横断し、苦楽をともにしました」。 いっしょに留学した千葉元駐英大使の恵子夫人ともども、難民を助ける会にとっては重要な方である。 アメリカだけではない。 留学ならソ連も開発途上国から大勢を招いて勉学の機会を与えた。 この中には政治的な意図も大いにあっただろうが、これはなかなか思い通りには行かない。アメリカ帰りの反米運動のリーダーもいれば、ソ連帰りのソ連嫌いもいる。 わが国が諸外国にどんなに世話になったかについては五月女光弘・前外務省NGO支援室長がまとめた『国際協力ちょっといい話―恩義に報いるODA』(外務省経済協力局)が具体的なエピソードとデータをたくさん紹介してくれているので、ご覧いただきたい。 |





