大使館が足りない [2007年08月30日(Thu)]
わが国がブラック・アフリカに大使館の実館を置いているのは、 ウガンダ、エチオピア、ガーナ、ガボン、カメルーン、ギニア、ケニア、ザイール、ザンビア、ジンバブエ、セネガル、コートジボアール、タンザニア、中央アフリカ共和国、ナイジェリア、マダガスカル、南ア、モザンビーク、リベリアの19カ国。
従来の「スクラップ & ビルド方式」(在外公館の総数を変えないでやりくりする方式)では間に合わないということから2007年度予算で、マラウィ、マリ、ボツワナの3カ国に大使館が新設される(いずれも2008年1月1日開設の予定)。
逆に、アンゴラ、エリトリア、ベナン、ジブチ、チャド(一時閉鎖中)、ブルキナ・ファソ、マラウイ、マリ、モーリタニア、リベリア、ルワンダ、レソトの11カ国は、日本からの大使館がないにもかかわらず、これらの、決して豊かならざる国々の大使館が東京にある(2007年8月1日現在)。
また、コンゴ共和国、シエラレオネ、赤道ギニア、ニジェール、ブルンジ、ベナンは中国にあるそれぞれの国の大使館が日本を兼轄し、スワジランドはマレーシアにある大使館が日本を兼轄している。
いささか情けない話ではあるが、これにはいろいろな事情があろう。
1つは臨時行政調査会(臨調)路線で外務省が外務公務員の定員を増やせないことによる。
このため、各省庁や特殊法人、所轄法人、地方自治体、銀行、商社、メーカー等企業からの出向者を増やし、専門調査員という、少壮学者(を中心に、時に邦人の世話ばかりしているようなケースを含む臨時雇い)やより若手の派遣員という臨時雇用者で員数合わせをしているのが実情だ。
そう、確か1994年だったと思うが、私はパラグアイを訪れた。
同国のODAは、大ざっぱに言って、日本が70%、ドイツが25%、その他が5%。
しかし、同国に常駐する外交官はアメリカが113人、日本はわずか9人。さまざまな函数が複合した結果ではあろうが、これでいいものか、一考を要しよう。
本来、行革とは、不要不急のポストや職務を減らし、必要なものは増やすということでなくてはなるまい。外務省の職員数が国土交通省北海道局(前の北海道開発庁)の3分の2程度というのでは、国際化時代の日本、安保理常任理事国入りを目指す日本としてはいささか頭をかしげたくなるのだが、いかがなものだろうか。
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北方領土の歴史 [2007年08月30日(Thu)]
8月29日夕方、根室市に到着、国後、択捉両島を訪問する。
私が委員をしている北方島交流推進会議が独立行政法人北方領土問題対策協会の主催行事として実施している「ビザなし訪問団」の一員(専門家)としての参加だ。
1992年の第1回訪問団以来、北海道東方沖地震の際の救援活動を含め、かれこれ10回目くらいの訪問となろう。
そんなわけで、小欄はその間、どうなるか、お楽しみに・・・ではなく、そこは「妙齢の美女」のご協力を仰ぎ、滞りなく、いつものように更新される予定なので、引き続きご愛読のほどを。
そこで、まず、北方地域における日本の領土の変遷を、地図で紹介したい。 1855年、「日魯通好条約」で国交を結ぶ。択捉島と千島の得撫(うるっぷ)島が両国の境界。樺太は日露「雑居の地」。 1875年、「樺太千島交換条約」で、日本はサハリンを放棄、代わりに全千島を領有。 1905年、日露戦争に伴う「ポーツマス条約」で、日本は北緯50度線以南の樺太(サハリン)の譲渡を受ける。 1945年、日本の敗戦直前に侵攻したソ連軍により、北方4島までが軍事占領され、今日に至っている。日本は「サンフランシスコ講和条約で」千島列島(北方4島を除く)と南方樺太を放棄したが、厳密にはその所属先は国際法上、決定されていまい。
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青年海外協力隊 [2007年08月30日(Thu)]
青年海外協力隊は1965年、フィリピン、マレーシア、ラオス、カンボジアの4カ国へ計26人の隊員の派遣でスタートした。
そのあとすぐケニア、タンザニアに拡がり、今では、78カ国、2491(女性隊員1527、男性隊員964)人に派遣中(2007年7月31日現在)である。
ただ、少々気になるのは、これを8年前の1999年6月7日現在の派遣とくらべると、当時は、59カ国に2,409名であったということだ。
つまり、この間に派遣国数は19カ国も増えたに関わらず、隊員数はわずか82人の伸びに過ぎないというわけだ。
これは、国別の平均派遣隊員数が大幅に減った、つまり、「広く薄く」という方式になったということである。
累計では、初期のころ派遣数が抜群だったマラウイ(累計1,359人)、フィリピン(1,356人)が依然勝っており、ついで、ケニア(1,290人)、タンザニア(1,215人)、ラオスとなっている。
現在の隊員最大派遣国はガーナ (98人)、以下、マラウイ(82人)、中国(71人)、パラグアイ(70人)となっており、必ずしもアジア重視ではなくなっている。これはアジア諸国の開発が進み、既に協力隊の技術水準を超えた要請が来ているということとも関係なしとしない。
しかし、マラウイが累計でもトップ、現在の派遣数でも2位ということに、私は少々、政策的な、または戦略的な疑問を感じている。
もっと日本にとってさまざまな意味で重要な国が世界にはあるはずではないのか。
まさか、派遣しやすいからといって安易に派遣してきたというわけではあるまいが、。もう少し、総合的な配慮があってしかるべきだ。同様に、ガーナが今の派遣隊員数で、78カ国の1割以上を占めていることにも説明がほしい。
これはマラウイにもなんどか訪問し、20年以上前からJICAに伝えてきたことだが、変化の兆しがない。
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Posted by
吹浦 忠正
at 09:21 |
難民・国際協力 |
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