昭和天皇の小笠原ご訪問 [2007年05月17日(Thu)]
父 島 小笠原諸島というと、伊豆の大島のその先、 三宅島や八丈島のもっと先、 青ヶ島よりもっと先・・・。 東京都とはいえ、途方もなく遠い気がする。
しかし、ここには昔からさまざまな著名人が訪れている。
中心の父島でいうなら、 1853年、浦賀にやって来る前に立ち寄ったペリー提督、 愛人と逃避した詩人・北原白秋、 同じく詩人で親に勘当されて逃げてきたサトウハチロウ、 朝鮮末期、日本の力を借りてでも近代化しようとして失敗、 亡命してきた金玉均、 悲劇の勇将・李陵を中心に、 執念の歴史家・司馬遷、不屈の使節・蘇武の運命的な生き方を 雄渾の筆致で描いた「李陵」の作者・中島敦・・・ いろんな人物がいる。
1994年の今上天皇・皇后両陛下による復帰25周年を記念した、 父島、母島、硫黄島訪問については既に触れた。
しかし、ほかにも国家元首と元国家元首もいる。 昭和天皇(1900〜1989)と パパ・ブッシュGeorge Herbert Walker Bush 米国第41代大統領(在位1989〜93)である。
まず、昭和天皇の小笠原訪問。
宮内庁に確認したところ、 昭和天皇は、1927(昭和2)年7月28日、 軍艦山城で横須賀軍港をご出発、 30日に父島にご到着、 8月1日、母島を離れられた。
昭和天皇はお若いころより、 海洋生物や植物の研究にも力を注がれた。 御用掛の服部廣太郎博士の勧めにより、 変形菌類(粘菌)とヒドロ虫類(ヒドロゾア)の 分類学的研究を始めたのが、 本格的な生物学者としての道であった。
在野の粘菌研究第一人者南方熊楠のもとを訪れて 進講を受けたこともあり、 南方の名は、後の御製にも詠まれて残っている。 『小笠原諸島のヒドロゾア類 』(1974年)の ご著書も上梓されている。
昭和天皇の小笠原ご訪問については、 www.geocities.jp/showahistory/history1/showa01a.html にくわしい。
それによると、 横須賀から約45時間をかけて父島に到着、 海軍の軍服に身を固めた陛下は、 東京府の要人、宣教師、 在郷軍人会のトップであるノーマン・ゲラーなどの 出迎えを受け、大村小学校を訪問、 ジェリ・セーボレー(13歳)の作文に目を留めて 校長にいろいろご質問したという。
その後、いったん乗艦に戻って昼食、 午後からは帰化人集落を訪問し、 植物採集をされたという。
即位早々に小笠原に巡幸されたことには、 この植物研究が関わっていたように思われる。 顕微鏡も持参された。 そして、 父島でヒドロサンゴの一種イタミレプラを採集し、 標本にしたという記録がある。
なお、父島巡幸の写真は、小笠原村のHPに掲載されている。
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吹浦 忠正
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日本 |
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小笠原への客 [2007年05月17日(Thu)]
絶滅が心配されるハハジマメグロ(PXB05041@niftyserve.or.jpより) 小笠原諸島は「東洋のガラパゴス」と呼ばれ・・・と小笠原のことを書き始めていたら、こんなニュースが入ってきた。
毎日新聞(5月17日付)。見出しは、「ヨット6人乗り、戻らず 父島から堺市に帰港予定」。まずもって、ご無事を祈る。
◆◇━━━━━━━━━━━━━◆◇
小笠原諸島の父島(東京都)から堺市のマリーナに向かっていたクルーザーヨット「遊友」(約19トン、全長約11メートル、乗組員6人)が、予定日の今月13日を過ぎても帰港していないことが、第5管区海上保安本部(神戸市)への通報で16日に分かった。連絡も取れないといい、徳島海上保安部所属の巡視船を出すとともに、天候が回復次第、航空機でも捜索する。 関係者によると、「遊友」は大阪市内の男性船長のほか、男性4人、女性1人が乗っていた。いずれも成人。先月22日に堺市・出島のマリーナを8人で出発。同29日に父島に着き、下船して先に帰った2人を除く6人で今月6日に出航した。衛星携帯電話は備えておらず、無線に応答しないため、心配した乗組員の家族が16日に通報した。 船長は大学時代、ヨット部に所属。世界一周した経験もあるベテランという。
☆☆☆ ★★★ ☆☆☆ ★★★
小笠原諸島の周辺では近海でのホエールウォッチングが、観光客の定番コース。もう1つがクルージングだ。
飼育されているものを含め、大きなカメもたくさんいて、さまざまな形で料理されて出てくる。なぜか、私にはカメの肉を消化する酵素がなく、苦戦した。
父島をはじめ小笠原の各島には、野生生物で学術上貴重なものが多く、個体数が少ないなど保護が必要とされる多数の動植物が存在している。個々に、「天然記念物」や「絶滅危惧種」に指定され、保護されている。とりわけ、世界中で母島にしか棲息していない「ハハジマメグロ」は特別天然記念物に指定されている。
また、南硫黄島は「全島が天然記念物」としての指定を受けており、1975(昭和50)年に全国で5箇所しかない「原生自然環境保全地域」に指定されている。
観光客やクルージングで立ち寄る人々に対し、船内や宿舎に掲示をしたりパンフレットを配り、山道にも表示して注意を喚起しているが、「自分一人くらいは」という心ない人が後を絶たないのは残念だ。また、訪問者が多いことから、作為、無作為に在外種の動植物が侵入してくることも、小笠原の大きな悩みだ。
また、野生化したヤギ貴重な在来植物を食べてしまう問題も重要だ。朝日新聞(5月13日付)によれば、ヤギにより「植物が激減して丸裸になった島では土壌の流出も起きた。東南アジア原産の樹木アカギなど、外来の植物も多数入り込み、在来植物を圧迫している」というのだ。
また、環境省によると、米国原産のトカゲ、グリーンアノールは600万匹もいると推定されるとのこと。希少種のトンボなど昆虫類がこれの餌食になり、これまた激減したとのことである。
環境省も躍起になって対策を講じ、粘着式の罠を使って、まず昨年から父島でこのトカゲの駆除を開始、今夏は母島に保護区を設定してフェンスで囲い、昆虫を保護しようとしている。
「世界自然遺産」への登録を目指している地域である。官民、そして個々の訪問客の協力で、この「東洋のガラパゴス」を守っていきたいものだ。 <参考> ハハジマメグロ(母島目黒)
www.biodic.go.jp/rdb_fts/before/107.htmより。
鳥類<スズメ目 ミツスイ科> 絶滅危惧種
学名:Apalopteron familiare hahasima Yamashina, 1930
英名:Bonin islands honeyeater (Hahajima islands subspecies)
メグロ Apalopteron familiare は、小笠原諸島の特産種で、属も小笠原固有のものと認められている。日本の鳥類のうちでは学術上もっとも貴重な種のひとつ。この亜種は母島にはまだかなりの数が生息しているが、基亜種のムコジマメグロ A.f.familiare は絶滅したと考えられる。
スズメ大の小鳥で、背以下の背面は暗灰オリーブ緑色、額・眼先・耳部と下面は黄色く、眼の周囲が白くて、前頭部と顔が黒い。尾はかなり長い。
非繁殖期には人家の裏庭やギンネム林から原生林までの広い環境区に生息しており、神社の境内や2次林で繁殖した例もあるが、通常は高木を含む天然林が繁殖環境として必要である。
メジロに似ているが、体が少し大きく、三角形の顔の黒色斑によって容易に識別し得る。眼の周囲の白い輪はメジロほど顕著でなく、尾と脚が比較的長い。
小笠原諸島に留鳥として分布し、母島・向島・平島・妹島・姪島・姉島から記録がある(日本鳥学会 1974,Morioka and Sakane 1978)。ただし、母島以外は数が少ないか絶滅している。
現在、母島にはかなり多く生息し、島内各所で普通に見かけるが、そのほかの島嶼では絶滅したか、数がごく少ない。母島でもメジロよりはあきらかに生息密度が低い。
日本固有属のひとつ。ほかに近縁種がなく、特殊化の程度がいちじるしく高い。現在ミツスイ科に分類されているが、系統関係や生物地理的起源はあきらかでない。とにかく、小笠原諸島の動物のうちではもっとも古い起源のものに属し、小笠原の生物相の由来に深くかかわっている種である。生態的にも進化適応的にも特異な点が多く、学術的に貴重である。
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Posted by
吹浦 忠正
at 11:01 |
公徳心 |
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百花繚乱ではあるが [2007年05月17日(Thu)]
久々の雨ですが、いかがお過ごしでしょうか。
今朝頂戴したメールはたいてい、こんな書き出しだ。夏から秋が実のなる季節であり、今は百花繚乱の季節。
中でも5月は、シャクヤクか。「立っても座っても」シャクヤク(芍薬)のほうが、ボタン(牡丹)より私は好きだ。
時々思うが、どうして植物には薔薇をはじめ、撫子、女郎花、秋桜、山茶花、杜若、菖蒲、紫陽花、蒲公英、夾竹桃、無窮花、向日葵、菫、薄・・・こんな難しい字を考え出したんでしょうか。どなたかご存知でしたら教えてほしいものだ。
ちなみに、これでバラ、ナデシコ、オミナエシ、コスモス、サザンカ、カキツバタ、アヤメ、アジサイ、タンポポ、キョウチクトウ、ムクゲ、ヒマワリ、スミレ、ススキ・・・
菜の花、梅、桜のようにわかりやすいのもあるが、これはこれで結構、情緒もあるし、パソコンの時代になると、難解な文字もあまり苦にならない。
「薔薇」「憂鬱」「語彙」「大學」「齊藤」「渡邊」などという言葉は、以前は書くのも「憂鬱」だったが、いまなら、こういう文字が残っていてよかった思うくらいだ。
ベトナムはフランス統治時代にフランス人宣教師が漢字やチュノムという文字を廃止して、アルファベットにし、戦後は、まず北朝鮮が漢字を全廃し、韓国は70年代後半から急速に漢字を減らした。中国は、強引に簡略体の漢字にして、日本人には簡単にはわからない形にしてしまった。
台湾、香港は原則として本来の漢字をそのまま使っているので、日本人はほぼ大意がわかる。
「パソコン時代になり、私たちは難しい文字でもぜんぜん困りません」「大陸や朝鮮半島の人は文化的な遺産である文字をもっと大切にすべきです」。
多くの台湾の誇り高い方々から聞いた、至言である。
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Posted by
吹浦 忠正
at 10:04 |
季節 |
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