人材不足を克服せねば [2007年05月09日(Wed)]
 NGOが用い得る予防外交の手段の第7は、NGOはその問題に長期的継続的に関わりを持って来ているということだ。
外務省などにも専門職という制度があって、在職中、ほとんど特定の国との外交に関わり続けるということがあるが、これは例外。
幹部の多くは2年程度で入れ替わり立ちかわりで、継続的なフォローをしていない。それにはそれで広い視野から物事を判断し、戦略的な外交の展開がしやすいなどといったメリットがあろうが、NGOの「この道一筋」型人間の専門性に及ばぬことがしばしばであるのは当然と言っていいだろう。 もちろん、日本のNGO一般が予防外交で積極的な役割をいつも果たし得るとはまだまだいえない状況である。
まず、人材不足が否めない。
難民を助ける会の場合でいうなら、事務局の多くの部分を支えているのは女性である。最近は、英米両国などで政治学、開発学、国際協力学などの修士号を取ったという若い女性がズラリといるが、はっきり言ってまだNGOスタッフとして力不足、否、伸び盛りだ。 スタッフもボランティアも、そしてNGOそれぞれも、時に提携しつつ、良きライバルで なくてはいけない。
先年、知的障害者施設(社福)県北報公会(村上耕治園長)で講演する機会があり、秋田県鷹巣(たかのす)町(現・北秋田市)を訪れた。
隣町が明石康さんの出身地・比内町。田園都市というより、典型的なド田舎といっても失礼ではあるまい。
ところが、そこに何と世界一がある。直径3.75mもの太鼓だ。
同綴子(つづれこ)神社をはさみ、上町と下町に別れ、それぞれが徳川/豊臣を名乗って大太鼓の奉納を競い、ついにここまでになったとか。
両町とも仲良く競うさまは、微笑ましい。ただ仲良くなるなら誰にでもできる(というほど簡単ではないが)。「仲良く競う」ことが、個人と団体の向上につながる。
この鷹巣の太鼓、交声曲「たかのす賛歌」(佐藤菊夫作曲)の演奏のため99年6月13日サントリーホールに“出演”し、首都の聴衆を魅了した。 難民を助ける会には、優秀な男性も次々と参加してくるが、「少子化と長男ばかりの社会で今後どうなる」と心配するのは、自衛隊の募集係の心配ばかりではなさそうだ。 また、いわゆる“平和ボケ”が日本社会全体に行き渡っており、「水と安全はタダ」というイザヤ・ベンダサンの指摘は、今も本質的に変わっていないというべき極楽トンボ状態が続いている。
世界の現実を見るに、そして世界の平和に貢献しようという時に、なんとか“平和ボケ・ボランティア”からの脱却を図らねばなるまい。
そのためには、基本的な知識、教養を磨くとともに、少なくともリーダーは「日本の中に世界を描くような」思考経路を換え、政治音痴から脱却し、活動の戦略的位置付けや状況把握、紛争解決のための手法や採るべき原則、将来展望を描いた長期戦略への理解などについて、一定レベル以上の見識を持たねばならないのである。
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吹浦 忠正
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文豪・作家・文士・小説家・文学者 [2007年05月09日(Wed)]
「旧古河邸」。挿画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。 以前同様のことを書いたが、次の話の関連で、まずこれを再録しておきたい。
なぜか、レフ・トルストイには枕詞なしに、必ずといっていいほど「文豪」と付く。文豪は文章・文学にぬきん出た大家で、文体も格調高く、教養の深い選ばれし人。ある程度、歴史的評価が加わらねばなるまい。
「巨匠」という言葉は美術や音楽分野の偉人には付くが、文学ではまず見られない。
作家は「詩歌・小説・絵画など、芸術品の製作者。特に小説や文筆を業とする人。特に小説家」、「小説」は坪内逍遥が「novel」の訳語として案出した言葉。「作者の想像力によって構想し、または事実を脚色した主として散文体の物語。
したがって、小説家は「小説を創作する人。文士。作家」。
文学は「literature」の訳語。 想像の力を借り、言語によって外界および内界を表現する芸術作品。すなわち詩歌・小説・物語・戯曲・評論随筆など。文芸」。文学者は「文学を創作する人。詩人・作家・文学評論家など」。『広辞苑』はそのように説明している。
私の独断と偏見で言えば、 夏目漱石、森鴎外、谷崎純一郎、島崎藤村・・・といった人はいかにも文豪の名にふさわしく、 尾崎紅葉、泉鏡花、樋口一葉、芥川龍之介は文士ないし文学者、 近いところでは曽野綾子、村上龍、林真理子は作家ないし小説家、 川端康成、三島由紀夫、安倍公房あたりは作家か。 吉川英治には国民文学作家という呼称もある。 司馬遼太郎、吉村昭、池波正太郎、藤沢周平、山本周五郎あたりは時代小説を得意とする作家ないし歴史小説家か。
題材、娯楽性、心的な内容かどうか、読者層などいろいろな要素からくる雰囲気で区分するほかなさそうだ。
思い出すのは、1973年、私は国際赤十字の駐在代表だった。サイゴンで連日のように開高健さんらと食事をしていた。ある日、杯を傾けつつ、開高さんがしんみりと言った。 「川端先生は亡くなられ、三島くんはああいうことになった。これからはボクらがしっかりしなくてはという責任を感じる」。その開高さんも逝ってしまった。
ところで、開高さんのことは、なんて言えばいいんだろう。やはり作家か。
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吹浦 忠正
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NGOは鮮度を保て [2007年05月09日(Wed)]
●新しい分野への挑戦を 難民を助ける会には別働隊として、「朝鮮の子どもにタマゴとバナナをおくる会」がある。
より正確に言えば、「あった」。北朝鮮による「拉致」が明確となった段階で手を退いた。
会長は、難民を助ける会の相馬雪香会長の親しい友人である三木睦子さん。言わずと知れた三木武夫元首相の未亡人で、93年7月かの金日成主席が生前に最後に会った外国人である。
この会の名、94年12月に、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の水害被害者への支援を始めて以来、吉田清美ボランティアをリーダーに、在日本朝鮮人総聯合会(朝総聯)と連絡を取りつつ、11次にわたり子供向けの食糧を届け、モニターを派遣し、順調に支援活動を続けていた。
本体の難民を助ける会では、この活動を行うのにいかにも名称がかんばしくないし、相馬会長が長く、日韓女性親善協会の会長を務め、韓国から最高の勲章をいただいていることも、当時は、「北」への協力を遠慮させるものがあった。
しかし、相馬会長の指示で吉田さんと私が韓国系の大韓民国居留民団(民団)に孫正寅(ソン・ジョンイン)生活福祉局長(ベルリン五輪マラソンの覇者・孫基禎選手のご令息)を訪ね、「おくる会」の趣旨を申し上げたところ、 「是非、おやり下さい。本来なら私たちがしなくてはならない北の同胞への支援、必要なら、何なりと協力しますよ。私たちがキムチを集めてみなさんが届けるなどというのも一案ですね」 とまで言ってくれた。お隣の民族の「大きさ」のようなものに触れた思いで、痛み入って戻ってきた。
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吹浦 忠正
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松本仁一大記者と [2007年05月09日(Wed)]
アフリカ報道の第一人者・松本仁一朝日新聞編集委員(左)と ランニング・コーチの第一人者・中島進(谷川真理選手のコーチ)。 朝日新聞の松本仁一編集委員、先般の第1回東京国際マラソンで2位になった谷川真理さんらと夕食をともにしながら、懇談する機会をもった。
松本さんは、東京新聞の清水美和(よしかず)記者とともに、今年度の日本記者クラブ賞の受賞者に撰ばれた人で、アフリカ報道の第1人者。今回は、特にAK47(カラシニコフ)にまつわる、世界規模の取材で高い評価を受けての受賞だったと伝えられている。
2年前に、難民を助ける会が上智大学と共催した「小型武器に関するNGO東京会議」でも基調報告をしていただいた。
松本記者の著書のうち主要なものを挙げれば、 @ カラシニコフ 朝日新聞社 1470円 A カラシニコフ2 朝日新聞社 1470円 B アフリカで寝る 朝日文庫 567円 C アフリカを食べる 朝日文庫 567円
夕食会場は、目黒のフランス家庭料理店「アージェント」。オーナーの杉本ユリさんは、WFP(世界食糧計画)のスーダン地区駐在代表の忍足謙朗(おしだり・けんろう)氏の実姉。同氏と松本記者とはつい最近もかの地でご一緒した仲と聞く。
当然、朝日新聞に連載した「カラシニコフ」の裏話やアフリカの少年兵の問題など深刻な話題が多かった。日本の国際救援NGOのアフリカでの活動についてもいろいろご助言いただいた。 ただ、共通して心配が一致したのは、サハラ以南のアフリカでの日本の存在の小ささだ。
人的には、マスメディアは新聞社がナイロビに支局をおいているのみ、共同通信がようやくナイロビと新たにヨハネスブルクに支局を開設した程度。外務省にしても全部の大使館を糾合してもスタッフは140人。
これでは中国にもかなわない。アフリカ問題に熱心な外交官も、S,K,Sの3元大使ぐらい。ODAも減少傾向であり、戦略・戦術に乏しい。
これでは来年のTICAD3(アフリカの開発に関する東京会議)をどうこういう以前の、日本外交の貧弱さというほかない。
では、マスメディアはどうか。
はっきりいって、64歳の松本さんを継ぐ、朝日のアフリカ専門記者は見当たらない。他社には? となると、もっと心もとない。正直言って、外務省が弱い、外交がダメだというより、日本全体があまりにアフリカに気持ちが行っていないのではないかというほかあるまい。
他方、谷川真理さんは、先日も、大井町で開かれた、難民を助ける会のスーダン事業報告会にも出てきておられた、アフリカに大きな関心を持ち続けてこられた方。
「アフリカはマラソン選手で注目されるほかはなかなか話題にならないのが残念です」 とおっしゃる。それでもいい。みんなで、アフリカに目をむけるきっかけを少しずつ広げてゆこうじゃないですか。
(参考)
小欄では2月20日付で、谷川さんとのことを少し書いています。ご参考までにその一部を再録します。
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小欄では昨日、朝に仲良しの谷川真理さんのことを書いたら、夜のわがユーラシア21研究所オープニング行事に、疲れもものかわ、なんとその本人がやってきてくれた。政治家、外交官、学者が大半を占めるレセプションの一場に自ら花を添えてくださった。
その谷川さん、第1回東京マラソンで、オリンピックや世界選手権を目指す若い人たちに混じって、堂々2位というのは、正直、驚きだった。丸の内のOLが市民ランナーに転じ、自己鍛錬の末、1991年の東京女子マラソンの覇者として一躍有名になった人。加えて美貌とセンスで、市民ランナー憧れの人となった。
谷川さんの指導や優しさは素晴らしいけど、彼女をここまでにしたのは中島進コーチという専門家がいるからだ。
中島氏はアメリカでランニング・コーチ学というのを正式に修めた人。人間的にもかくも出来た人がいるかというほど、私は「男が男に惚れた」という状況。谷川さんはよく、全国各地で走りながらマイクを持ってテレビ中継などをする。
他方、中島コーチは毎年正月(第2日曜日)の「谷川真理対人地雷廃絶チャリティ・ハーフマラソン」などで、1万人をも超えるランナーたちを統率し、運営の総責任者であり、かつ名司会者の役もこなす。
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吹浦 忠正
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チベットの解説 [2007年05月09日(Wed)]
先日、ペマ・ギャルポ桐蔭大学教授が起草した チベット問題に関する、 東京財団にお昨年度の研究報告に伴い、 JICAの天野祥太郎氏が撮影してきた、 首都ラサの写真を数枚紹介したところ、 みなさまからもっと詳しくとの注文が来ました。
そこで、asahi.comを見ていたら、 たまたまこれらについて格好の解説がありましたので、 転載します。 「 ポタラ宮 」の写真は 以前小欄で掲載したもののほうがいいようですので、 天野氏のものを今一度、載せさせていただきます。 そのほかの数日前のを今一度ご覧ください。
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世界遺産 「 ポタラ宮 」
7世紀に創建されたと伝えられるラサのポタラ山にある チベット仏教の寺院宮殿。 歴代ダライ・ラマの宮殿として使われ、 チベットの宗教、政治の中心であった。 ポタラ宮の内部は 数え切れないほどの巨大仏像や金・宝石を ふんだんに使った華麗な装飾、 極彩色の壁画など、チベット美術の粋が詰まっている。
(ダライ・ラマ14世は現在インドのダラムサラで、 亡命政府となったガンデンポタンを率いている)
世界遺産 「 ジョカン(大昭寺) 」 ラサの中心にあり、 7世紀中頃に建てられたチベット仏教の総本山。 チベット人なら一生に一度は訪れたいと願う巡礼地である。 ポタラ宮とともに、チベット族の重要な宗教活動の場でもあり、 境内にある数多くの文化財や華やかな装飾など、 チベット美術の真髄を堪能できる。
夏の離宮 「 ノルブリンカ 」 市の中心部から西の郊外に広がる 総面積36万平方メートルの公園。 チベット語で「宝石の園」という意味がある。 18世紀にダライ・ラマ7世により造園され、 のちに歴代のダライ・ラマが夏の離宮として避暑に使った。 現在ではノルブリンカは、ラサ市民の憩いの場となっている。 チベット仏教の聖地・ラサ 古代チベット王国吐蕃能の都ツェタンは、 チベット発祥の地として知られている。 またチベットの神話では、 チベット人発祥の地とされている。 ここでのみどころは チベット最初の宮殿「ユムブ・ラカン」や チベット最古の寺院「タントゥク寺」。 また、ツェタンからラサへ戻る途中に チベット教建築の最高傑作といわれる 「サムイェ・ゴンパ(寺院)」がある。 大殿を中心に4つの仏塔と12の建物が 立体マンダラを現していることで有名だ。
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吹浦 忠正
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