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視点を変えよう [2007年05月07日(月)]




 視点を変えると、こんな姿も見えてきます。ゴミ処理場の煙突ではありません。






 1998年10月、アメリカの「サーチ・フォー・コモン・グランド」のジョン・マークス会長が難民を助ける会を訪ねてきた。予防外交を担うNGOとしては世界最大と言われ、アフリカの10カ国やイラン、マケドニアなどにメンバーを常駐させ、民間の立場から、紛争を未然に防ごうとさまざまな努力を重ねている。

 たとえば、リベリアやブルンジでは、ラジオ・スタジオを開設して番組を制作している。ブルンジのスタジオではツチ族とフツ族のアナウンサーが仲良くいっしょに娯楽番組を放送しているそうだ。

 また、アンゴラでは歌を通じての働きかけを行った。

 北朝鮮とは女子バスケットボール・チームを平壌(ピョンヤン)におくる計画を進めていたが、残念なことに、“ドタ・キャン”になったとか。レスリングのイラン/アメリカ対抗試合は、98年夏に成功し、世界の注目を集めた。

 対立する諸勢力に「2つの工具箱に入れた20の大工道具」を駆使して、巧みな働きかけを行っているとのこと。

「予防外交のコツは?」と聞くと、「<相違点より類似点に目を>が決め手」。

 おや、いつか聞いたぞ、この言葉。

 そう、トラン・ゴク・ランさんからだ。“ボート・ピープル”で、日本で最初に医師になったベトナムの少女、おっと今では2人の子持ちの頼りになるお母さんだ。日本人である夫(医師)の研究の都合で今はアメリカに滞在している。

 数年間は、京都第2赤十字病院の中堅小児科医。久々に電話すると「宿直明けで・・・」と言いながらも、相変わらずの明るく元気な声。やっぱりランちゃんだ。

 1980年、来日したランちゃんは群馬県桐生市で中学3年生に編入した。日本語は皆目わからない。日本に留学していた長兄が毎晩、容赦ない特訓を続ける。眠くなると自分でほおをつねり、ときに兄に殴られながら、ボロボロと涙を流して、「アイウエオ」から始めた。

 学校に行くと担任の久保田穣先生が懇切丁寧に指導してくれるが、数学以外はまったくついて行けない。

 そんなある日、ランちゃんはふと気がついた。「そうだ、ベトナムとの違いを数えるより、日本との共通点を数えよう」。

 当時流れていた「お箸の国の人だもの」のCMに共通の思いを感じ、同じ仏教や桃太郎の物語などの類似文化、「クックグゥ」が「国語」であるなど、中国語から取り入れたたくさんの単語・・・いろんなことに気付いた。あとはクラスメイトの親切が支えになった。

 それでも、ついて行けない科目が多く、もう一度中学3年生をやり、そして、どうにか名門・桐生女子高校に合格した。

 その頃になるともう授業にもついて行けるようになり、3年後、最優秀の成績で同校を卒業、父兄代わりに式に列席した私は、これまでの並々ならぬ苦労を知っているだけに、「安堵の胸を撫で降ろしたなどという程度ではない」感激を味わった。

 念願の医学部の合格通知はそのあとすぐにきた。そして6年、今度は聖マリアンナ医科大学初の理事長表彰を受けての堂々たる卒業と、医師国家試験での合格だった。

 今では難民を助ける会の会員として参加し、応援してくれている(詳細は、私との共著『ベトナム難民少女の10年』中公文庫)。

 異なる社会、対立する勢力・・・それが人間の所業ならば、必ずや共通点があるはずというのは確かだ。友人や家族との人間関係も基本的に、同じではないだろうか。

 問題はそれに気付くか、目を向ける気配りがあるかだ。

 それが時に個人の自立につながったり、武装勢力の紛争を予防したり、戦火をしずめ平和を構築することにもなる。

 目の置きどころの大切さをマークス会長とランちゃんの2人に学んだ。




「視点を変えよう」。上の写真は葛飾海浜公園の観覧車です。

産経と朝日 [2007年05月07日(月)]













「黄色い花でも青い花でも美しければいい」と先に小欄で書いた。

 そんな中、 尊敬する政治評論家で、いくつかの大学で後進の指導にもあたっておられる花岡信昭氏から、メールをいただいた。元産経新聞論説副主幹で、今でも、週一回執筆という、同紙の非常勤コラムニストである。

 小生のブログの熱心な読者のお一人で、私もまた花岡氏のメルマガを毎朝、拝読し、拳々服膺している。

 ☆━━━━…‥・ ☆━━━━…‥・

 チベット、ラサ、ポタラ宮殿・・・いいですねえ。歴史の重みの迫力が伝わってきます。小生もブログへの写真の組み込みを勉強します。

 チベットは一度行ってみたいところのひとつです。中国のどこかで箱庭みたいなのは見ましたが。

 万里の長城とピラミッドは見たので、残りはモスクワ・赤の広場とサンクトペテルブルク(産経時代に行く直前で別の仕事を命じられ機会を逸しました)。モンゴル大草原は実現しました。パキスタンーアフガニスタンのカイバル峠も30年近く前に越えました(1979年12月のソ連軍によるアフガニスタン侵攻の直前です)。

 ペマ・ギャルポさんとは30年来のおつきあいです。先ごろ、モンゴルから来た人たちと一緒に会食しましたが、相変わらず精力的ですね。日本には大切な人です。

 ☆━━━━…‥・ ☆━━━━…‥・

 小欄では、しばしば各地・各層の「妙齢の美女」(「妙な歳の美女」を含む)にご登場いただいているが、もちろん、私には大勢の「好男子(自称を含む)」の友人もいる。

 これからはそういう人にもご登場いただこうと思っている。

 また、産経ばかりに友人がいるわけでもない。現に、たった今ままで4時間近くご一緒していたのは、(産経とどういう関係になっているかはわからない?が)朝日新聞の大記者・松本仁一編集委員である。

 わがめざすは、powerful neutrality(実力の伴った中立、独立した不偏不党の自己)である。おっと、これは所詮、自称「妙な歳の好男子」の書生的セリフか。

チベットの風景 B [2007年05月07日(月)]



 ジョカン寺。ラサの旧市街の中心にある
7世紀中期に創建された吐蕃時代の寺院






 ノルブリンカ。ダライラマ法王の夏の離宮だったところ。





 ポタラ宮の前でお祈り「五体投地」。「石が擦られてピカピカになっている雰囲気をわが撮影技術の拙さでお伝えできないのが残念」と天野氏。





 信頼する友人A氏から寄せられた、
チベットの首都ラサの光景を
さらに紹介したい。


チベットの風景 A [2007年05月07日(月)]





  チベットの首都ラサ。ダライ・ラマ法王の宮殿の見上げるばかりの壮麗さと空の美しさに感動したが、時には、一天にわかに掻き曇って、雲が湧き上がることも、もちろん、ある。

チベットの風景 [2007年05月07日(月)]




 チベットの「タンタラ」峠は鉄道が通る世界最高地点。海抜5072m。








 ラサへ向かう鉄道から見たヤクの群れ








 途中のナチュ駅で。駅名表示板に4513mと標高が書かれている。








 窓外に見た湖






 信頼する友人のA氏が最近、チベットを訪問され、
小欄を見て、少しでもチベットを知る人が増えればと、
写真をいろいろ送ってくださいました。ありがとうございます。

 チベットと中国の関係は、
先般小欄でご紹介したペマ・ギャルポ桐蔭大学教授の
説明の通りかと思います。
しかし、現実にはそこでも人々の生活が営まれ文化があること、
そして中国化が急速に進められていることに
注意を払ってまいりたいと思います。


小田村四郎先生という方 [2007年05月07日(月)]





 先日の週刊新潮「墓碑銘」欄にて、小田村四郎先生(元行政管理庁事務次官、前拓殖大学総長)が、名越二荒之助先生を追悼しつつ、その業績についての論評をしておられました。

 その中で、日露戦争と捕虜のことに言及しておられましたので、拙著『捕虜たちの日露戦争』(NHK出版)と、あわせて私が編集した『従軍看護婦たちの大東亜戦爭』(祥伝社)をお送りさせていただきました。

 そうしたましたところ、連休中に下記のような丁重なお礼状を頂戴いたしました。小田村先生の生き方に日ごろ尊敬の念を抱いているものとして、大いに感激し、名越先生のご冥福をお祈りするとともに、小欄でご紹介する次第です。

  ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

拝復 今年の春も終わりかけて来ました。ユーラシア21研究所の発足(2月26日の開所レセプション=吹浦注)の際には別の約束があって伺ふことができませんでしたが、お元気にて御活躍のことと存じます。
 週刊新潮の記事は電話取材でしたので、十分に話すことはできませんでしたが、名越さんが丹念に資料を集めて映像化し、これを若い人達に解説して眞実の解明を教育して下さった功績は不朽のものと考へてをります。突然の訃報で葬儀もごく内輪だけで行はれましたので、七月頃に「偲ぶ会」を行ひたいと思ってをります。
 日露戦爭でも支那事変でも敵の戦死者の慰霊を決して欠かさなかった日本軍の伝統を広報して下さったのも名越さんの功績でした。その関係で御高著「捕虜たちの日露戦爭」と「従軍看護婦たちの大東亜戦爭」を御恵贈賜り有難うございました。
 捕虜の取扱いは非常に難しい問題で、多くの善良な方がB・C級戦犯として非業の処刑を受けてゐます。本当に残念なことです。大東亜戦爭における捕虜の問題は敵味方とも十分な吟味が必要と思はれます。
 従軍看護婦の手記は涙なくして読めませんが、この御本にはない長春野戦病院でソ聯兵に騙されて凌辱され、また凌辱を防ぐために自決された青葉慈蔵尊の悲話は長く語り継がれるべきことと思ひます。
 なほ、末次さんの悲願であり、吹浦さんも携ってをられた北方領土問題ですが、五月に麻生外相の訪露があります。
 まさか妙な妥協はされないだらうとは思ひますが、決して油断できないやうに思ひます。断じて四島一括返還の方針を歪げられることなきやう機会があれば努力して下さいます様お願い申し上げます。
 御自愛御活躍を祈り上げます。
敬具

   四月二十六日
                  小田村四郎

吹浦忠正様
 


松井が2千本安打 [2007年05月07日(月)]





  松井秀喜外野手、おめでとう! 万歳!!

 ヤンキースの松井が6日、ニューヨークのヤンキースタジアムで行われたマリナーズ戦で日米通算2000安打を達成した。本人にしてみれば通過点かもしれないが、記録としてすばらしいことではないか。

 あと1本と迫っていた松井は6回裏にレフトに高い飛球を放ち、これがヒットと判定され、2000本目となった。実際は、マリナーズの左翼手が太陽光に邪魔されて、捕球できず、プレーの直後に、公式記録員は失策と判断したが、7回表になって二塁打と訂正された。

 その7回裏の打席で松井は右前にタイムリーヒットを放ったので、なお、すっきりしたに違いない。この日は4打数2安打1打点。ヤンキースが5−0で勝った。
 
 2000本の内訳では、巨人での10年間で1390本、今季が5年目の大リーグで610本の安打。

 日本選手による日米通算2000本安打は、3年前の5月に達成した、マリナーズのイチロー外野手に次いで2人目だとか。

 私はアンチ巨人の典型だが、ま、松井はOBだから、善良なる?日本国民の一人として、素直に\(^O^)/ということにしたい。