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与那国のシンボル<下> [2007年05月03日(木)]











 日本の最西端、台湾が大きく臨める与那国島。そのまた最西端の西崎灯台。

  北側の海上からの光景。暗雲たれこめて台湾を見ることが出来なかったのは残念だが、ここが本当の日本の最西端なのである。

日本の最南端・波照間島、日本の最西端・与那国島の訪問記、まだまだ書きたいことはたくさんあるが、とりあえず、この2つの島から離れたい。次回は、最東端・南鳥島のことに移る予定である。


与那国のシンボル<上> [2007年05月03日(木)]











 日本の最西端・沖縄県与那国町を理解していただくために、前回は世界1大きな蛾・ヨナグニサンを紹介したが、そのほかの町のシンボルを紹介したい。

 この写真は、いずれも与那国島のそのまた最西端である西崎灯台の展望台のタイルに描かれていたものである。
世界最大の蛾 [2007年05月03日(木)]




 前回、日本の最南端・波照間島(沖縄県)で見つけた日本最大の蝶について書きましたが、日本の最西端・与那国島(沖縄県)には、鱗翅目(蝶と蛾の仲間)の中で世界最大の種といわれる、その名も「ヨナグニサン」がいます。与那国が最初の発見地だったからです。

開翅長は25〜30センチと言われています。学名はAttacus atlas。与那国のほかには西表、石垣、そして台湾にもいるようです。


 ヤママユガ科の仲間で、インド、マレーシア、インドネシア、中国南部にも同じような蛾が生息しているようです。幼虫はアカギやモクタチバナ、ショウベンノキ、フカノキ等の葉を食べます。

 4月2日に与那国に行ったのですが、どうもまだ早いようです。町の中央にヨナグニサンの博物館があります。沖縄県の天然記念物に指定されている貴重な蛾で、与那国町のシンボルにもなっています。

チベット問題(最終回) [2007年05月03日(木)]







結論と日本への提言


1.日本とチベットの関係

戦前及び戦中、日本政府はチベットに戦略上大きな
関心を示し積極的な働きを行って仏教外交を展開した。

その結果当時日本の働きに応え、チベットも独立国家
としての立場からアメリカ合衆国ならびに連合国の要
請を退け、中立という名目のもと日本を支援した。

そうしたことなどについては、いずれ別の研究機関を
通して史実的に検証したいと思う。
ただここで言えることは、戦後のどさくさ紛れの中に
おいて中華人民共和国は火事場泥棒的にチベットを
侵略し、歴史に逆行して今日に至っても植民地支配
を続けている。

最近チベットに鉄道が出来たことが大きな話題にな
っている。
鉄道自体は進歩の印かもしれないが、その用途や
目的は今までの軍事的、外交的侵略に加え、経済的、
文化的にその植民地化及び同化政策をよりいっそう
強化する結果になっていることも、多量の中国人の移民
及び経済特区などの恩恵から見て明白である。

また世界第二位の経済大国にのし上がりつつある中
国が政治的、軍事的にもこの経済力をバックにアジア
の覇権を狙っていることに関しては、アメリカやEU(欧
州連合)なども牽制している。
インドにとっても大きな関心事になっており、日本にとっ
ても本来無関心でいられない軍事的、外交的問題で
あるはずである。


2.チベット問題を通じ、外交姿勢の転換を目指せ

EU、カナダ、米国などの議会は積極的にチベット問題
に取り組み、中国に対してさまざまな働きかけを行っ
ている。
たとえばEUは、チベット亡命政府と中国の対話に「大
きな関心を寄せている」ことを中国に伝え、対話で成
果が出なければ、欧州諸国が「北京オリンピックをボ
イコット」することをちらつかせるなど、強い姿勢を示し
ている。

普遍的な人権を尊重し、かけがえのない民族の復権
を図るという意味でチベット問題は人類共通の問題
でもある。
日本にも、この点にもっと注目して欲しい。
チベット人のアイデンティティ、民族文化、そして自然
環境を守り抜くには、もはや一刻の猶予もない。

日本は自由主義陣営の国であるのに、中国に対して
ものが言えない状態になって久しい。ダライ・ラマ法王
が来日する際も、一貫して政治的活動を制限している。
これは独立国家としての主権を放棄するに等しい行為
だということを再認識すべきである。

日本がアジアのリーダーになり国際社会で役割を担お
うというなら、もっと真剣に他国の人権問題に関与して
いく必要があろう。
今後、日本政府や各種団体、とくに仏教団体に以下の
ことを提言し
たい。



提言1
中国の人権抑圧に対し、日本が非難決議を採択する
ことは難しいであろう。
まず「EUや米国の決議を支持する」という決議を採択
することが望ましい。

提言2
日本がアジアでリーダーシップをとるには、
まずアジアの問題に勇気を持って発言することである。
その対象が中国であっても、基本姿勢を貫くべきだ。
それが、国際社会から尊敬される重要な条件である。

提言3. 
チベットに鉄道が通り、日本のマスコミでも取り上げら
れている。
鉄道開通は決して悪いことではないが、それでチベッ
ト人が得るもの、失うものに関心を持ってほしい。
関心を持つことも、中国の植民地化に対して警告を
発する一歩である。

提言4. 
先進7か国では、日本以外、ほとんどの首脳がダライ・
ラマ法王と会っている。
日本の首脳もまず法王との会談を実現してほしい。

(オーストラリアなどは、首脳が法王と会った際に中国
から国交断絶という脅しを受けた。
しかし、今日に至るまで大使の引き上げはなく、
外交の断絶もない。そのことを日本政府も十分に認識
してほしい。)


参考文献
1 「チベットわが祖国」 中公文庫
2 「激動チベットの記録」日本工業新聞社
3 「中国とたたかったチベット人」 日中出版
4 「チベット入門」日中出版
5 「私のチベット」日中出版
チベット問題 C [2007年05月03日(木)]


 2002年、チベット難民の主たる亡命地ダラムサラでのダライ・ラマ法王




7.世界が注視する人権侵害

  チベット人は、思想、宗教や人種などで中国から不当な弾圧を受けつづけている。

  ダライ・ラマ法王の写真や演説テープなど、反体制的な所有物が見つかれば逮捕される。

  また、「愛国再教育」の名のもとに寺院から追放される僧があとを絶たない。教育や医療の場では、扱いを差別される。子どもからも衣・食はおろか、言語という文化すら取り上げている。恐るべきは出産制限で、人工流産を含め、厳しい産児制限を強制している。

 刑務所では、不当に監禁したうえ、鉄の棒による殴打、口や生殖器への電気ショック、つるし上げ、食事や薬の制限などという虐待が平然と行われている。

 98年の国連人権委員会などでは、チベット人女性、とくに尼僧に対する電気牛追い棒を使ったレイプなどを報告している。

  イギリス発のチベット・インフォメーション・ネットワークは、拘留中の虐待が原因で死亡する人の多さを指摘。とくに、ラサのドラプチ刑務所では女性の死亡率が5%にも上っているという。

 容赦のない強制労働や政治・思想教育も続けられている。排泄物を運搬させるなど、心理的苦痛を与える暴挙も枚挙に暇がない。

 98年、中国は人権規約など国際権利章典に調印したが、その理想の実現には程遠い。03年には、こうしたチベットにおける弾圧が依然深刻であることを米国務省が指摘している。



8.アイデンティティの破壊と環境破壊

  現在までチベットに入植者として送り込まれた中国人は、チベット人の人口を大きく上回る750万人で、生活や労働においてさまざまな優遇を受けている。チベット人は少数民族として疎外され、中国への同化を強いられている。

  アイデンティティの抹殺に加え、社会制度や産業構造の転換により、風土としての環境も破壊されているのである。

  森林資源、鉱物資源の乱開発も深刻である。チベットでは核兵器の開発も行われている。「アジアの水源」における中国の行為は、アジア全体に脅威を与えるものである。




チベット問題 B [2007年05月03日(木)]



 扮装してヒマラヤを越え、インドに
亡命するダライ・ラマ法王。1959年3月の対
中蜂起の直後のことだった。爾来、今日まで、
海外で暮らしている。1989年には「ノーベル
平和賞」が授与された。






 ペマ・ギャルポ桐蔭大学教授が起草
した「チベットの人権」に関するレポートの連載
である。私も事実上その研究メンバーに加わっ
て行なった、東京財団2006年度研究プロジェ
クト「アジアの民主化・人権」(代表=山田寛嘉
悦大学教授)から転載している。



    ☆―――――― ・・・ ―――― ・・・


4.チベット問題――アイデンティ
ティの抹殺


  チベット問題は、人命や領土の奪取にとど
まらず、人権や思想、宗教の侵害・弾圧など、
民族浄化へとつながる人類史上重大な問題
である。

  チベットには中国、ロシア、それにインド(英
印政庁)という大国の緩衝地帯としての役割が
あり、地政学的に重要な位置を占めてきた。中
国は、資源開発と同時に軍事的な要所の支配
をもくろみ、チベット侵略を続けている。


5.30年間に120万人が殺された

  1949年の中国侵攻以後30年間に限ってみ
ても、中国に虐殺されたチベット人は120万人を
越える。中国はこの途方もない虐殺の存在を認
めないが、もはや世界の常識になっていると言っ
てよい。

《チベットにおける1949〜1979年の死亡者》 
           (チベット亡命政府まとめ)
 拷問 173,221人
 死刑 156,758人
 戦闘 432,705人
 飢餓 342,970人
 自殺 9,002人
 傷害致死 92,731人
合計 1,207,387人

  飢餓による死者だけでも34万人に上るが、
チベット語には「餓死」という言葉がない。

  大多数の人々は貧しかったが、食べ物に
困ることはなかった。飢餓が起きるようになっ
た原因の一つは、チベット人の主食である大
麦を中国人向けの小麦に転換したことである。

  環境に合わない小麦が不作となり大飢饉
が起きるわけで、価値観の押し付けの失敗と
して象徴的な出来事といえよう。


6.終わらないデモと弾圧

  76年に毛沢東が死去し、中国は開放に向
かいはじめた。しかし、82年には中国の統治に
反対する115人のチベット人活動家が逮捕され
公開処刑も行われるなど、チベットへの姿勢に
変化は生じなかった。

  ラサでは87年から88年にかけてデモが相
次ぎ、中国の公安の発砲によって多数の死傷
者が生じ、検挙者は2,500人以上にも上った。
89年3月5日から3日間にわたるデモの鎮圧で
は、死者数が80〜400人に上ったと推定され
ているが、中国の公式発表はわずか11人だ
った。

  チベット全土における87〜93年のデモは
大小200件以上だった。また 97〜98年には、
農村部でデモが増加した。



チベット問題 A [2007年05月03日(木)]




 ダライ・ラマ法王



 ★ チベット問題の概要と本質

 まず最初に読者はいわゆる中華人民共和
国という広大な領土の地図を広げ、あるいは
地図を思い浮かべてもらいたい。

 明白であることは現在のいわゆる中華人民
共和国という国が事実上63%が他民族の領
土であり、中国人の正確な領域はわずか37%
に過ぎないことである。

 たとえばチベットだけを例にとっても日本では
いわゆるチベット自治区だけを取り上げて120
万平方キロメートルということになっているが
実際は220万平方キロメートルで日本の約6倍、
いわゆる中華人民共和国の4分の1の面積で
ある。

 現在世界共通の課題として環境問題、民族
問題、民族浄化(チベット固有の文化の抹殺)、
宗教問題などまさに現代社会問題の見本市と
言える課題の複合体であることが下記の個別
説明で理解できると思う。


1.世界の屋根、そしてアジアの水源

  ヒマラヤ山脈を南に望む平均標高4,500メー
トルのチベット高原は、「世界の屋根」と呼ばれ
る。寒冷な乾燥地帯で風も強い。谷間のわず
かな牧草を求め、遊牧民が家畜の群れを連れ
て移動している。

  一帯はアジアの水源でもあり、インダス川
や黄河、メコン川などに続く河川が流れ出して
いる。高原は東に向かって標高が低くなり、大
河川が深い渓谷を形成している。首都ラサは
この渓谷地帯にあり、チベット仏教の聖地でも
ある。さらに谷間が開ける下流は降水量も多く、
地味が豊かで農業が盛んである。

 チベット高原は、鉄鉱石や石炭、ウラニウム
といった鉱物資源にも富む。原生林も広く分布
し、アジア、そして世界にとってかけがえのな
い豊かな自然を湛えている。

 チベットは、この高原を主体とした220万平方
キロという広大な国土を持ち、亡命政府の統計
では600万人の人口を有する。現在、チベット
自治区と称する地域の他に青海省、甘粛省、
四川省、雲南省などに分割併合されている。
中国の領土は、決して広くはないのである。


2.仏教国チベットの繁栄と暗転

 チベットには非常に古い歴史があるが、7世紀
にソンツェン・ガムポという偉大な王が現れてア
ジア有数の大国となった。インドの仏教が伝来
すると、これを精神的な支柱として独自の民族
文化が開花した。

 17世紀にはダライ・ラマ法王を政教の最高指
導者とする体制が確立され、平和な宗教国家
の基礎がつくられた。チベット仏教とその文化
は、現在のモンゴルや中国東北部にまで影響を
与えた。

 「ダライ・ラマ」とはモンゴル語の尊称で「智慧
の海」を意味する。歴代法王は観音菩薩の化
身で、衆生救済のために「転生」するとされる。

 現在の法王はチベット東北部で生まれ、古く
からの信仰によって13世の生まれ変わりと認
められた。4歳でラサに迎えられ、翌1940年、
ダライ・ラマ14世として即位した。

 チベットは仏教の非暴力思想に基づき最小限
の軍備しか持たず、第2次世界大戦でも中立を
保った。大戦後、中国で国共内戦が勃発し、
49年、内戦に勝利した自国を掌握した共産党の
人民解放軍は隣国チベットへも侵攻を開始。弱
冠15歳の法王は国民の懇願を受け、国家指導
者としての役割を担いはじめる。54年、法王は
毛沢東をはじめ中国の指導者らと北京で和平
交渉を行ったが、チベット東部がたちまち中国
に席巻された。

 59年3月10日、法王の身を案じたラサ市民が
一斉蜂起し、人民解放軍はこれに容赦なき弾
圧を加えた。ラサで3日間に殺されたチベット人
は1万人とも1万5000人ともされる。法王は解放
軍の撤退とチベットの主権回復を訴えたが、つ
いに国外亡命を余儀なくされた。

 続いて約10万のチベット人が祖国を離れ、イ
ンドやネパールなどに亡命した。

 チベット本土に残ったチベット人は、後述する
ように、中国による植民地支配のもとで筆舌に
尽くし難い苦難を味わっている。


3.ダライ・ラマ法王とともに「自由の回復」を目指す

 法王は民主的なチベット亡命政府を樹立し、
60年、インド北部のダラムサラを本拠地と定め
た。自由の地で教育に注力しながら民族のア
イデンティティを守り抜き、我々世界各国の亡
命者(2002年12月現在で13万4000人)も含め
たチベット人の総力で「他日を期す」というので
ある。

 87年、法王はチベット全土をアジアの平和
の聖域とする「非暴力地帯」の構想を明らか
にした。92年には、チベットが独立を回復した
暁には法王としての政治権限を手放す意向
を表明。これは、真の民主主義実現へ向けた
法王の決意の現れである。

 国連は法王の訴えを受け、チベットの人権
と民族自決権の尊重を中国に求める決議を
総会で採択している。また、法王は50カ国以
上の国々を歴訪し、首脳などと対話を深めて
いる。

 中国の侵略の事実は明らかにするが、中
国人に対して憎悪の念を抱くことはない――
これがチベット問題に関する法王の姿勢で
ある。89年、法王はノーベル平和賞受賞の
栄誉に輝いた。

 中国は、チベットを「中国の不可分の領土」
と認めることを法王に求めつづけている。こ
れは事実上の対話拒否に等しい。こうした
時間稼ぎも行いながら、中国はチベットをむ
しばみつづけている。
チベット問題 @ [2007年05月03日(木)]




 ダライ・ラマ法王の宮殿であっ
たポタラ宮殿に参拝する人





「アジアの民主化・人権」 をテーマ
に、畏友・山田寛嘉悦大学教授(元読売新
聞ワシントン総局長)を研究代表に、東京
財団は昨年、鋭意研究を進めた。その報告
書から、ペマ・ギャルポ桐蔭大学教授が起
草した、「チベットにおける人権問題」の章
を、ご紹介する。

 広くみなさまにこの問題に関心を持って
欲しいという、私の切なる願いが掲載の動
機である。

   ☆―――――・・・ ―――― ・・・



 日本では、チベット問題に関する非難の
声が上がらないばかりか、その内容につ
いてほとんど知られていないのが現状で
ある。私自身も含め、半世紀近く多くの人
たちが日本への協力を求めて努力してき
たが、十分な理解を得られていない。

 日本では戦後、民族問題、人権問題に
関心を示すこと自体がタブーとされてきた。
メディアや一部の知識人は「先の戦争」を
反省する段階から抜け出せず、周辺国に
対し過剰な自己規制を敷いてしまうので
ある。民主国家を名乗りながら、もっとも
基本的な人権の問題は避けつづけてき
たのである。

 そんな日本でも、経済的な自信が付い
たこと、世代の変化が進んだことから、よ
うやく先進国としての責任を果たそうとす
る動きが出てきた。この機会に、まずチベ
ット問題を端緒として、先進諸国並みの
国際的な発言力の強化を図ってはどうだ
ろう。人権問題に取り組む意味と、日本が
果たすべき役割について提言したい。

 世界的に見ればチベット問題は過去に
おいてパレスチナ問題あるいはカンボジ
ア問題などと同様に大きなアジアにおけ
る国際問題として注目を浴びてきた。

 国連などにおいては1960年代に三度
に渡って総会に取り上げられ、中国のチ
ベットへの侵略行為の即時停止、人民解
放軍の撤退を促す決議が可決されたこと
もある。日本においても冷戦構造の中に
おいては反共という立場から注目され、
仏教徒を中心に支援集会などが大々的
に行われたこともある。

 しかし70年代から80年代にかけては冷
戦の影響を受け、左派と自称する人々は
「中国は革命を起こしており、それに抵抗
し批判するダライ・ラマは封建社会の象徴
であり反動主義者である」と決めつけ、一
方蒋介石を支援し反共を掲げる人々は「チ
ベットは中華帝国の一部であり、中国の
不可分の一であるため反共の立場からの
支援はするものの、独立や民族自決権に
触れることは国民党の蒋介石総統のご意
思に反する」としてあくまでも反共の立場
からのみの関心事に過ぎなかった。

 それ以外にチベット民族の独立と自決、
人権について真剣に取り組もうとする人々
は主流のメディアや評論家達からは右翼
で戦前の日本の大アジア主義の残留の
ようにレッテルを貼られた。

 そこに1989年の6月4日に起きた天安
門事件で中国の正体が世界に暴露され、
その年ダライ・ラマ法王がノーベル平和賞
を受賞すると、今度は自称革新的人物や
メディアは「我こそが平和主義者ダライ・ラ
マの最大の理解者でありチベット人権の
擁護者である」と厚顔無恥にも言い張り、
チベット問題は人権問題でありそれが自
分たちの専売特許であるかのように振舞
い、かえってチベット問題の本質を曖昧に
している。

 従ってここでまずチベットの概要とチベッ
ト問題の本質を改めて検証する必要があ
る。
チベットの国旗と国歌 [2007年05月03日(木)]



  チベットの国旗と国歌を、亡命チベット政府駐日
代表部のHPから転載します。このあと、引き続き、ペマ・
ギャルポ桐蔭大学教授のレポ−トをご紹介します。なお
、この国旗とほぼ同じデザインのものが、1936(昭和11)
年に日本で発行された国旗の研究書には、独立国の国旗
として紹介されていることを、お知らせします。



■国旗デザインの意味
中央の白い三角形は雪山を表し、「雪山に囲まれた地」と
して知られるチベットの国を象徴している。
6つの赤い光線は、チベット民族の起源となった、6つの氏
族を象徴している。
赤と濃い青の光線が並んでいるのは、チベットの2つの守
護神の堅い決意により、国の精神的、ならびに世俗的な
伝統が護られていることを象徴している。
ネチュン守護神は赤、シュリ・デビ守護神は黒で表される。

太陽は、チベットの民が自由を平等に享受し、精神的、世
俗的な繁栄を手にすることを象徴している。

1対のスノー・ライオンの勇ましい姿は、チベットの精神的、
および世俗的な方策が完全な勝利をおさめることを象徴し
ている。
ライオンが支えている3つの輝く宝石は、チベットの民にと
って精神的な拠り所となる3つの源に対する尊敬の念を象
徴している。
この3つの源とは、具体的にはブッダ、その教えである法(ダ
ルマ)、そして僧侶たちを意味する。

ライオンが持つ、円形で2つの色が塗られているものは、十
善業法と十六浄人法による自律を象徴している。

黄色の縁取りは、仏教がすべての場所で永遠に栄えること
を象徴している。


■チベット国歌
輪廻・涅槃における平和と幸福への,あらゆる願いの宝
蔵にして
願いを意のままに叶えることができる,宝石の如き仏陀の
教えの光明を輝かせよう

そして,仏教と衆生の持宝たる大地を育み,守護する御法神よ
汝の徳の高い偉業の大海が広がり
金剛のように固く,慈悲をもって全てのものをお守りください

百の歓喜を備えた天授の法が,我々の頭上に留まり
四徳の力が増大し
チベットの三区全土が,幸福で円満な時代で満たされ,
政教が盛行しますように

仏陀の教えが十方に広がることによって
世界中の全ての人々が平安を享受できますように

そして,チベットの仏教と衆生の吉兆なる陽光と
十万に広がる吉兆なる光明の輝きが
邪悪な暗闇との戦いに勝利しますように


※チベット語より直訳

皇后様の歌集 最終回 [2007年05月03日(木)]





   箱の背表紙と布引してある本の表紙。
題字は、松村篠舟氏。




  平成9(1997)年に刊行された『瀬音』を
早々に頂戴したとき、私の目に最初にとまったのは、

 難民の日日を生き来し青年は
   医師として立つ業(わざ)を終へたり

でした。

  この青年ヴ・ダン・コイ君は、今、東京・中野で、
在日外国人を専門に昼夜を分かたず献身的に診察
しています。

  一家は1975年の南ベトナム崩壊以後、父親が
旧体制で大統領顧問であったこともあり苦難の道を歩み、
ODP(合法出国)第1号として来日、難民を助ける
会が4人の子弟のお世話をさせていただきました。

  2月26日に行なわれたわがユーラシア21研究所の
開所式には、みなさんがそろってお祝いに駆けつけて
くれました。末の妹のスアンさんは
2年前に上智大学で博士号を取得し、この3月までは
東京財団の研究員を、4月からは国際交流基金にお
勤めしています。

  皇后様のこのお歌で、私どもボランティアは、頑張
って応援してよかったという思いを重ねることが出来ま
した。

  以上を、一昨日から皇后様のご実家跡の「ねむの
木の庭」、そして御歌集『瀬音』をご紹介して参りまし
た。数十年にわたり直接間接ご指導を賜ってきた者と
して、皇后様の一層のご健勝と皇室の弥栄を祈らずに
はおれません。

☆ ―――――― ・・・ ―――――― ・・・

  皇后陛下御歌集『瀬音』は平成9(1997)年に大東
出版社から刊行されました。巻末には、お問い合わせは
「小社まで」とあります。電話番号は、03−3816−7607
となっています。何人か小欄の読者から質問が来ましたの
で、お伝えします。