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阿比留のブログ出版記念会 [2007年03月28日(Wed)]


 謝辞を述べる阿比留瑠比(あびる・るい)記者。   本の表紙も載せたいが、拙宅ではそれが出来ないので、とりあえず、この写真だけでご勘弁を。


 日本記者クラブで行なわれた、「阿比留のブログ」出版記念会にお招きをいただいた。

 産経新聞政治部の阿比留瑠比記者の超人気ブログ(残念ながらわれらのcanpanではなくiza)が産経新聞社から『永田町取材日記 阿比留のブログ』として刊行されたのだ。定価:1300円+税。

 本紙には書けない裏事情や政治家や他社に対する率直な批判を、本紙とは違った「です・ます」調で綴ったもので、一日一本を原則に、昨年6月からスタートし、210本中の89本を掲載したものだ。既にアクセス数100万を超えているという。小欄が一年で20万というのとは「雲泥の差」である。

 小さな会場だったが、会場には、5,60人が集まり、中川昭一自民党政調会長、下村博文官房副長官、戸井田とおる衆院議員といった政治家もいれば、評論家の金美齢、田久保忠衛、屋山太郎といった面々も駆けつけた。

 阿比留記者が、「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」とつけたところがにくい。そうでなくては肩が凝る。その結果、間違いなく産経新聞よりは面白い。少しオーバーに言えば、本のオビにあるように「新しい政治評論の誕生」かもしれない。

 ところで、同記者はわが師・末次一郎に取材を申し込んで断られたと私に語った。

 そのあたりの事情は私には手に取るように分かる。1966年生まれであるから、今、40歳そこそこであろう。末次が亡くなった2001年にはまだ35にもなっていない。

 末次は自分がガンを患っていることをよく知っていたから、「もう、オレには時間がない。ロクに勉強していない記者の教育をしているヒマはない」といって、そういう若者の相手をもっぱら私に回していた。

 ところが、今も当時も私とてそんなにヒマなわけではない。お会いしてから「この記者は」と思う人は必ず末次にも会ってもらった。また、ベテラン記者が自社の若者を連れてくるという形で意見をするという形もとらせていただいた。

 いま、当時の若い記者たちが阿比留記者同様、各紙で中心的なライターになっており、おかげで私とは10年以上のお付き合いという人が各紙にいる。私は大いに啓発されているし、彼らも多少は私から得るものがあると(錯覚ないし誤解)して3日に1回は誰かが訪ねてくれるのだろう。

 阿比留記者のこの本は、切れ味がすばらしい。読みふけってあやうく目黒駅で降りるのを乗りこしそうだった。ブログを愛好されるみなさん、この切れ味は、お互いに学びたいものである。


■資料リンク
永田町取材日記阿比留のブログ―国を憂い、われとわが身を甘やかすの記
永田町取材日記阿比留のブログ―国を憂い、われとわが身を甘やかすの記
私の愛国心 [2007年03月28日(Wed)]




 3月28日午後1時、江東区辰巳で撮影。




  さて、春の鳥といえば鶯。

  梅とは切っても切れない縁で結ばれているように思ってきた。

  先月も、元財界の大立者の邸宅(渋谷区神山町)にお招きを受けたとき、お庭に立つ30本ほどの梅に、まさに鶯がやってきていた。

  古歌には、雪か梅の花か見分けがつかないのに、鶯は枝に積もった雪を梅の花と間違えている、などと詠む歌もある。心が洗われるような気がする。

  千年以上も前の日本人の感性に、すでにこういうものがはっきり歌われていたことに、誇りさえ感じてしまう。こういうのが私の愛国心の源泉かもしれない。

「古今集」の梅の歌は、春歌のなかにだけみても19首ある。内、梅と鶯の歌は4首。同じく桜は66首であるが桜と鶯を詠う歌は7首である。

  この数字、鶯は梅に限らず春の花の盛りには切り離せない美しい鳥であるという証しではないだろうか。

  貫之は詠む。

    鳴きとむる花しなければ鶯も
     はてはもの憂くなりぬべらなり
桜が大好きな日本人 A [2007年03月28日(Wed)]





 3月24日、品川区上大崎で撮影。





 3月27日、港区虎ノ門で撮影。



   ひさかたの光のどけき春の日に
     しづ心なく花の散るらむ

「桜の花の散るをよめる」と題する紀友則の歌は、「小倉百人一首」で最初に覚えた歌の1つだ。子供心に、桜花の散る姿に情趣を感じたとはおもえないので、「ハ行」の音が重なることの美しさにでも魅かれたのだろうか。

「古今集」の春歌上から拾上げたのは桜花の盛りを詠ったものであった。春歌下になると桜の花の色が移ろい散るのを詠んだ歌にかわる。

   待てと命ずれば散らずに待ってくれるなら、桜ほど愛すべきものがあるだろうか、色が変わるのは散りはじめる前兆であろう、といった歌意のものが多いように思われる。

   たとえば、こんな歌だ。読み人しらず。

  春霞たなびく山の桜花
     うつろはむとや 色かはりゆく

   待てといふに散らでしとまるものならば
     何を桜に思ひまさまし

「桜の花の散り侍りけるを見てよみける」という素性法師の歌もいい。

   花ちらす風のやどりは誰か知る
    我におしへよ行きてうらみむ
      
  桜を吹き散らした風はおさまったが、なお私には花びらが空に漂い、波のように立ち騒いでいるのが目に浮ぶ、と「亭子院の歌合の歌」と題して紀貫之は詠む。
                       
  桜花散りぬる風のなごりには
    水なき空に波ぞ立ちける

  友人が家族と京都まで花見に行くという。われら庶民、せめて近所へ夜桜見物にでも出かけ、せめて古歌を偲ぶことにしよう。                         


国連軍縮活動のトップ [2007年03月28日(Wed)]





「清泉寮」。挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。




 国連ではバン新事務局長の下、事務局機構の改革が進められており、軍縮局が格下げになるのではないかという見方が強かった。

 この局長ポストは事務次長扱い(高等代表)で、いわば日本の大使経験者の指定席になっていて、阿部、田中両大使が続いて就任していた。

 結局、局は消えたが、その場合には事務総長、次長からなる幹部会からも締め出されるのかというのが私の大きな心配だった。つまり、それでは軍縮が国連の活動の中で小さくなってしまうからだ。

 紆余曲折の末、下記のような結果になったことを、軍縮ネットワークの関係者からお報せいただき、ほっとしたので、紹介したい。関係者のここ数ヶ月のご尽力を多としたい。

    ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 総会決議には新しい高等代表の任務は細かく記されていませんが、一月末に事務総長が加盟国に提示したAdvancing the Disarmament Agendaという文書のなかには、高等代表はSenior Management Group, Senior Advisors meetings, Executive Committee on Peace and Security, Policy Committeeといった幹部会に出席し、軍縮部を代表し、また軍縮問題において加盟国と国連事務局の関係の取りまとめ役(focal point)を務めるとあります。

 したがって、その後バン事務総長が幹部会の現在の形態を変更しない限りは、新しい軍縮担当高等代表は現在行われている幹部会に出席することになります。

日露戦争と捕虜 P [2007年03月28日(Wed)]




「春の足音」。挿画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。





政治工作 
    
 折から、ロシア本土では第一次ロシア革命の時期であり、その余波は各地の俘虜収容所にも及んだ。

 浜寺の収容所が共産主義者たちの政治工作のターゲットとして狙われた。

 ロシア人捕虜への革命工作に当たった中心人物はニコライ・ラッセル、神戸を拠点として、西日本各地の収容所に手を伸ばしたが、浜寺は神戸に近く、浜寺の収容所が最大数の捕虜、しかもそのほとんどが下士・兵卒であることなどが、政治工作に都合がよかったのであろう。最初は印刷物を通じて、次に訪問による働きかけや捕虜散歩の機会を利用して近づくなど、手を尽くした。

 静岡の収容所にいたブルガーコフ大佐がラッセルと共同して、他の将校捕虜に同志を増やしたり、いっしょに浜寺をはじめ、他の収容所に出かけたりした。

 革命派と皇帝派(反革命派)の対立は次第に厳しいものとなり、1905年11月11日には浜寺で暴動に発展し、ジミトリー・ネドウェージェフ(26歳)が、次いで同30日にはクジマー・グリコフ(31歳)がいずれも棍棒で頭部を殴られて死亡した。

 日本で革命思想に浸った捕虜の中には帰国後、革命に参加したという者もいた。

穴があったら入りたい [2007年03月28日(Wed)]




「春霞」。挿画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。



 皆様からの感想がさらに続いて寄せられてきます。私自身の日記のつもりで、書き残したいと思います。お付き合いください。


    ☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆

吹浦先生
コンサートお疲れ様でした。
アンコールでは、みなさんのコラボが
あまりに素晴らしいので感動の涙が出ました。
すばらしい機会に接することができ、本当に感謝しております。
ありがとうございます。
              (農水省職員)


立派なコンサートで、おめでとうございました。
吹浦先生のお声、よく響いてました。私と一緒に行ったお友達は、途中まで、プロだと思っていたそうです。
「サッちゃん」の歌は、泣いてしまって、よく聴けませんでした。松田先生の歌い方そのもので、横で、松田先生の教えるお姿が、見えたからです。
本当に、良い歌を、お聴かせいただいて、ありがとうございました。
                 (松田トシ先生の門下生)

先ずはコンサートのご成功、ご盛会に乾杯です!
昨夜は東京に泊まり、さきほど帰りのバスの中で美術に関する本を読んでいました。しかし、あまり頭に入らず(いつもながら、)文章を目で追っているのですが、頭の中は、「さっちゃんはね、さちこっていうんだほんとだよ―――――」の吹浦さんのあの美声が聞こえて来て、しばらく歌がながれ、また、本の活字を目で追うのですが、またまた「さっちゃんはね――」が流れてきて、夢心地になって、そしてまた、活字を・・・の繰り返しでした。まだ、夢心地です。
有難うございました。家内も感動! ほんとうに有難うございました。
                     (画 家)


本日(27日)、吹浦さんのブログでコンサートの反響について拝見しました。大成功のようで、聞けなかった小生でさえ興奮してきました。本当におめでとうございます。
吹浦さんの多才さと博学。記憶力の良さにはいつも感心し、刺激を
受けております。小生も、できるだけ見習って、仕事は勿論、仕事以外にも打ち込めるものを持ちかつ実際に打ち込まねばならないと改めて感じました。
以上、簡単ですが、お祝いまで。     (某国駐剳大使)

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