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「虐殺」とは [2007年02月03日(Sat)]




 南京事件に関する日本と中国の学者たちと何度も意見を重ねた末、私は、オフレコの会で、両国の専門家に1つだけはっきり申し上げた。

「虐殺」という言葉についてである。オフレコの会であっても、自分の発言を公開するのは構わないと思うので、少し触れておきたい。

 まず、「虐殺」とは、小学館の『日本国語大辞典』。「残酷な手段で殺すこと。むごい殺し方」。次に三省堂の『広辞林』。「残酷な方法で殺すこと。むごたらしく殺すこと」であることはいまさらいうまでもあるまい。

 他の辞書もそう違いはない。要するに、殺害そのものではなく、「殺し方」ないし「殺害の方法」がムゴイ、ヒドイ、残酷だということだ。

 私は1972年12月の印パ戦争の時、当時の東パキスタン、今のバングラデシュで国際赤十字の駐在代表という任にあったっていた。そして、そのときに数例だが、「虐殺」の現場に駆けつけて、結果的に立ち会ったことがある。

 耳をそぎ、眼球をつまみ出し、さらに殴り、蹴りして絶命させるのだった。詳しくは、当時の拙著『血と泥と―バングラデシュ独立の悲劇』(読売新聞社)に拠られたい。止めようとする私を現地スタッフは羽交い絞めして阻止した。

「Taddy! You are not safe! Leave here. Otherwise you will be killed.」

 赤十字の人間として、こういう場面でなにもできない、こんなつらい思いをしたことはなかった。これが「虐殺」である。

 戦時中ならば、戦闘員が戦闘員を殺害したら、この戦闘員は「英雄」と呼ばれ、殺された側は「名誉の戦死」を遂げたとされる。そして、戦闘員が非戦闘員を殺害したらこの戦闘員は「殺人者」である。

 今から70年前の南京(当時の中国の首都)とその周辺では、首都攻防戦が行われ、激しい戦さの中で日本軍にも中国軍にも「英雄」もいたし、「名誉の戦死」を遂げた将兵もいた。これらは、とうてい「虐殺」数には入らない。一発の砲弾や銃弾で即死した者が多かっただろうが、中には、あるいは「虐殺」された将兵もいたであろう。

 数はともかく「殺人者」が日本軍にいたという証言がたくさんある。私も「まぼろし派」がいうように、「ほとんどいない」などとは思わない。しかし、それらは「不法殺害」されたものであって、必ずしも「虐殺」されたわけではない。

 専門家の皆様の著書を拝読すると、日中双方が、また日本側の「大虐殺派」「まぼろし派」「中間派」が、そろいもそろって、この「不法殺害」と「虐殺」を混同しておられる。

 モデレータの秦教授も中公新書のご著書(25刷ものベストセラー)や他の関係論文で「各研究者の虐殺比較数」といった表を掲載し、「虐殺数約4万人」としておられる。

 妙な言い方だが、「虐殺」というのは殺す側としては大変手間のかかるやりかたであり、短期間に4万人をも「虐殺」するのは至難の業だ。

 どうも日中双方とも、専門家の皆さままでがその辺りをひどく不明確にしたまま、いささか興奮気味に議論しておられるというのが、私の率直な印象だ。

 オフレコの会に出席されたみなさまがそれを認めてくれたのは、私としてはいささか意外だったし、非専門家である私も参加してよかったと、少なからず満足している。

 議論は冷静でありたいものだ。自戒を込めてそう申し添えたい。
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