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朝鮮総聯の友人から [2006年12月20日(Wed)]


 韓国・朝鮮の国花「無窮花(むくげ=ムグンファ)」



 年末ともなると、日頃ご無沙汰している古い友人からも思わぬご挨拶をいただくことがある。

 私はかねておみかけしていたが、どう誤解されてもとご挨拶を遠慮していたところ、昨日、個人として大変尊敬している、朝鮮総連幹部の金さん(といっても何十人もいると思うがあえてそこまでにしたい)からメールをいただいた。

 私は10年ほど前から、「朝鮮のこどもにバナナとタマゴをおくる会」を主宰していた。
確か11次にわたり、2名の代表とともに、こうした物資をお届けした。

 拉致問題が明らかになった時点で、この会の活動は退かせていただいているが、金さんは当時、国際局の幹部でそのときの私のカウンターパートであった。誠実に仕事をしあった仲である。

 ☆ .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 ごぶさたしております。
『徒然草』をときどき拝見しております。

 過日は余りにも「過分な評価」で大変恐縮いたしました。

 思えば、人道支援、…拉致、交渉中断、制裁etc.と、悪のスパイラルで
とんとお目にかかる機会も少なくなりました。

 朝・日友好の潮目が見えるよう、またお力をお貸しください。

 今日、おひさしぶりにメールした訳は、
@今夏、仕事に秋田に2週間ほど滞在した由。
 竿灯も大曲花火も初見物。今月25日に訪秋の予定。

Aユーラシア21研究所設立の報せに接し、勉強会でもあればとごあいさつを。

 熱唱のお姿はとてもとても「65歳」には見えません。

 ますますのご活躍を心から願っております。

 ご健康を祈ります。

☆ .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 先日の虎ノ門DOJO最終回で私が歌った時に会場におられたとは失礼。少々上がっていた証拠か。

 ユーラシア21研究所の創設が一段落したら、国や立場は違っても、また旧交をあたためたい人物である。私はいまでも、南北を超えて、朝鮮半島の人たちと日本人は、長い目で見れば必ず、戦略的パートナーとなるべきものであると考えている。
「氷点」前編集長を招聘 [2006年12月20日(Wed)]






 東京財団がことし最後の大きな事業として、一時停刊になった中国青年報別冊『氷点』前編集長・李大同氏の講演会を12月19日(火)夕方に行なった。

 あいにく私自身は、私的な理由により話を聞くことができなかったが、多くの方から
「いい会だった」「中国の厳しさと変化が伝わってきた」などとメールをいただいている。担当した星野晶子さんの中国と中国人への思い入れとご尽力に敬意を表したい。

 講演のテーマは「中国でモノ言う人が増えてきた」。モデレーターは、東京新聞論説委員清水美和(よしかず)氏がしてくれた。

 清水氏については北京支局長時代からそのお名前から女性記者とばかり思い込みながら記事に注目してきたが、ある日、笹川陽平日本財団理事長(当時)からご紹介いただき、腰をぬかさんばかりに驚いたことがある。東京新聞はすごい美人記者がいると思っていた「期待」は裏切られたが、爾来、中国問題でいろいろご指導をいただいてきた。

 特に、清水氏の著書『中国はなぜ「反日」になったか』(文春新書)は、その同雑力に敬服し、目からウロコが落ちる思いでした。ご一読をお勧めします。

 中国からはいま、さまざまな「メッセージ」が陰に陽に送られてきている。われわれはそれをしっかりと読み取らなくてはいけない。

「なにぶんにもしたたかな国だからなぁ」。さきほど加藤秀樹東京財団会長と食事しながら、会長もそうおっしゃっていた。東京財団が今後とも、中国研究でも大いに意義ある成果を挙げてくれるものと期待したい。
 
 22日はいよいよ東京財団の私の部屋を明け渡す。といっても後任がきまっているわけではないので、とりあえず返上する。きょうは、ほうかむりにマスクという姿で、今から引越し準備にかかる。

 虎ノ門に新設する「ユーラシア21研究所」に変わっても、もちろんこのブログは続けるので、ご愛読いただきたい。
河野太郎の役割 [2006年12月20日(Wed)]





 国後島古釜布(ふるかまっぷ)で艀に乗り移る「ビザなし交流」の訪問団





「衆議院議員河野太郎の国会日記」を拝見した。北海道屈指の、本当の意味でのインテリというべき友人P氏が知らせてくれたのだ。

☆―――・・・・・・ ☆―――・・・・・・

  ごまめの歯ぎしり メールマガジン版
  衆議院議員河野太郎の国会日記

 北海道の根室へ一泊二日。
 ここ数年、根室青年会議所のメンバーが正月に京都会議に参加する途中に東京で立ち寄ってくれる。夕食を食べながら、北方領土をはじめ、いろいろな意見交換をしてきた。今回は、彼らの協力もいただいて、北方領土の元島民のみなさんや返還運動の青年部、漁業関係者、根室地域の若手産業界、市役所、支庁等々の関係者に会って、北方領土問題をそろそろ動かそう、そのためには四島でなくともよいではないかという現実的な立場を取る必要があるのではないか、という考えをどう思うかと意見交換した。
 もちろんいろいろな意見がある。いろいろな立場もある。しかし、今回の印象は、政治が責任を持って北方領土を解決し、日ロを動かそうというならば、四島でなくともよいという立場を取りえると考える人が多いのではないかということだ。
 元島民の平均年齢が七十三歳ということを考えて、この五年に何らかの解決をという叫びを聞いた。

***************

 P氏は、「読みながら、逆・拉致問題のような気がしてきました。人権、人情という点では一刻も早い解決を願うものですが、それだけで国際問題を扱うには、本当の長期的な歴史の風雪に耐えうる解決にならないことも熟知しておかなければならないように思うところです」と感想をつけてくれている。

 私は、次のようにコメントする。
@「北方領土問題をそろそろ動かそう」となぜ今思うのか、なぜ、「そろそろ」なのかがわからない。タイミングがよろしくない。あせる必要はない。

A「そのためには四島でなくともよいではないかという現実的な立場」といわれるが、それがなぜ現実的な立場なのだろうか。それは私には「屈辱的な立場」としか思えない。

B「政治が責任を持って北方領土を解決し、日ロを動か」すとはどういう意味なのか理解できない。それは隣接地域の振興を図りつつ、ロシアとの我慢比べをクリアして、プラス・サム・ゲームの形で4島返還を実現することではないのか。

 河野太郎という人は、難しい問題になると、ロシア側を説得しないで日本側を屈辱的な立場に追い込もうとするのが、政治家の役割とでも思っている人なのだろうか。

 日本人としての矜持のない人としか私には思えない。

 50年前、あなたのオジイサン(一郎)は、領土問題が解決出来なかったから、「4島で平和条約」とはせずに「2島で共同宣言」とした人なのですよ。しっかりしなさい。
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