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国際社会とアメリカ [2006年09月27日(Wed)]







   上と下とはイコールはないのです。



  メディアでは、時に「世界は」と言い、時に「国際社会は」という。世界とか、国際社会ってなんのことだろう?とたまには考えてみたい。

 古代、例えば、ローマ時代には「世界=国際社会=ローマ帝国」だった。

 そして19世紀の中ごろまでは、西欧の価値基準が世界の価値であり、国際社会のスタンダード(基準)であった。だから、国際法とは、西欧国家間の常識といったものだった。それ以外の地域はを見習うべきものとされこそすれ、特に大きな価値を置かれなかった。

 それだけに、1899年にハーグで開かれた万国平和会議に、日本、シャム、ペルシャが参加26カ国の一角を占めたのは、まさに「万国」を文字通り、示したものだった。

  第一次世界大戦の時、アメリカのウィルソン大統領は「民族自決主義」を唱えた。しかし、それはヨーロッパでのみ適用される原則であり、その結果、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、バルト3国などの民族国家が次々に独立を達成した。

   しかし、この原則はアジアには適用されず、朝鮮もベトナムもインドネシアも日本、フランス、オランダによる統治のままであった。

  今日、メディアが「国際社会は」という場合、依然、この流れを脱却していない。すなわち、「国際社会=欧米社会」ないし、「=先進(工業)国」の意であり、開発途上国を含む世界全体を包括した括りとは、容易に言いがたいものがある。

 さらに問題なのは、極端な場合、「国際社会=アメリカ」と思いかねない価値基準が跋扈していることがある。

 ただ、そのアメリカも時に、「アメリカの侵攻は国際社会の到底許すべからざるところである」といった形で、糾弾されることがある。この場合は、「国連加盟国の大多数は」くらいの意味となる。世界全体が1つの社会になっているかというと、未だそうとは言い切れないのが現状であろう。

 そしてさらに問題なのは、京都議定書から対人地雷全面禁止条約に至るまで、多くの多国間条約に、アメリカが参加していないことである。

 われわれは「国際社会=アメリカ」ではないことを、アメリカ人に徹底して言い聞かせねばなるまい。
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