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南沙群島は元日本の領土 [2006年08月10日(Thu)]





  少しは涼しげな写真をと思い、選びました。「信玄棒道」にて。



  南沙(スプラトリー)諸島については、現在、中国、台湾、ベトナム、マレーシア、フィリピンの5ヶ国が領有権を主張し、分割占領状態にある。

  同諸島の領有権問題は東南アジアの緊張要因として引き続き注意を払う必要はあるものの、関係各国が武力行使を控えるなど、これまでは比較的冷静にこの問題に対応してきた。

  今後とも合理的に行動する限りは、武力衝突が発生する可能性はあまり高くないと見ていい。但し、同諸島の領有権が注目を浴びる最大の理由は石油・ガスがこの周辺でかなり埋蔵しているのではないかと見られているからであり、どこかの国が他に先駆けて、これ以上の施策を講ずるとすれば一気に緊迫した事態が生じないとも限らない。

  近代史では1939年に、日本がフランスから南沙群島の譲渡をうけ、敗戦まで新南群島の名で、台湾の高雄市の一部として領有していた。わが国の最南端かつ最西端の領土であったということだ。

  しかし、1951年のサンフランシスコ講和条約により、日本は、朝鮮の独立を認め、台湾、澎湖諸島、千島列島、南樺太、新南群島(南沙群島)、西沙群島に対する一切の権利および請求権を放棄し、南太平洋の旧委任統治諸島をアメリカを施政権者とする信託統治のもとに置くという、国連安全保障理事会で成立した協定を承認した。

  かくして南沙群島は、今日、上記5カ国が、さまざまな思惑と論拠を展開して、自国の領土であると主張している。

  最大の島である太平島は台湾が実質支配し、日本時代同様、高雄市の管轄下に置いている。北緯10度線より南に位置し、高雄からは1200キロ以上離れているが。

  今回、台北の遠景交流基金で聞いたところによれば、同島にはかつて2000人の部隊が常駐していたが、現在でも依然、800人の将兵と「参謀官」がいるということだ。「最大の利点は、水が沸いていること」であるとも聞いた。

2年ほど前は、台湾の内務部長官(大臣)が訪問すると言うこともあった。

  南沙群島の領有問題が今後、あらたな緊張要因とならないことを切望する。
師と士と司   [2006年08月10日(Thu)]




こういうのを製作する人を何と言う?


 
 世間には、「教師、医師、看護師、美容師、仏具師、絵師、庭師、技師、調教師」がおり、「弁護士、栄養士、保育士、消防士、介護士、社会福祉士、行政書士、代議士、兵士」がいて、「保護司」がいる。まだまだほかに、「法師」「詐欺師」もいれば、「武士」「剣士」「赤穂義士」そして「名士」もいる。

 先日、台湾に行ったとき、「公認会計師」という看板を見た。日本では「公認会計士」なので、なんとなく違和感を覚えた。

この「師」「士」「司」をめぐり、2005年6月3日と11日の朝日新聞「声」欄に、埼玉県羽生市在住の三枝志乃さん(29歳)と秋田市の鈴木美里さん(14歳)の興味深い投書が載っている。
 
「教員」と「栄養士」の免許を持つ三枝さんは「医師と救急救命士など、似たような場所で働く仕事でも漢字を区別するのはなぜなのか」「言葉は、あいまいなもので、ハッキリさせようとするのが間違いなのだろうか」と疑問を呈す。また、「教師」が「教士」、「弁護士」が「弁護師」では「感じの組み合わせがなんとなくおかしい」ともいうのだ。

 鈴木さんは「師」と「士」の違いを小学校時代に教師から教わったが「今回は自分で調べた」。その結果、「士」には、仕えるという意味があり、資格・役割を持つ者で、「師」は先生を指し、技術者のことだそうだ。さらに鈴木さんはインターネットでも調べ、面白い例を発見した。詐欺師について「資格の有無にかかわりなく、技を究めている」とあるそうだ。

「小学生の頃から私は言葉に興味があり、納得いくまで追求した。言葉の意味をはっきりさせるのと共に新たな知識への意欲があった」。投書の最後を「何かを知るために時間を割き、新たな発見を得る。その面白さを私は今回、再び味わった」と締めくくっている。

 私の解釈は、「師」は専門家であって後継者を養成することを重要な役割とするもの、「士」
は、その道の専門家。但し、この根拠、厳格に区別できるとは言いがたい。

「司」は「役職」「立場」といった意味。行司、宮司、国司、祭司もあるが、単語の上に付く言葉が多い。司会、司祭、司書、司直、司法など。司馬遼太郎の先祖は、中国で軍事を司る大官だったのだろうか。竹下登が首相就任にあたり「司、司が十分働けるよう舵取りをしたい」と抱負を述べたのはよく知られている。

 蛇足を加える。「師走」は「歳果=トシハツ」が原意。教師が走るのではなく、「法師(仏僧)」が忙しく立ち回る月であることから転じたものだ。
在留外国人 [2006年08月10日(Thu)]





 知っておいて役立つ知識やデータというのがいろいろある。以下は、2005年末現在、わが国に滞在する外国人の数について「入管統計」から。

 外国人登録者は、2,0011,555人。もちろん、観光客など一時滞在の外国人を除く。また、約22万人と推測されている不法滞在者も含まれていない。200万人を超えたのは初めて。

 この数字は日本の総人口の1.57%に相当する。その7割が10の都府県に居住している。

 出身国は186カ国におよぶ。内訳は以下の通り。中国人の急増ぶりが目立つ。
韓国・朝鮮   29.8%
中国      25.8
ブラジル    15.0
フィリピン     9.3
ペルー      2.9
米国        2.5

 約22万人の不法滞在者というと、「けしからん」というむきもあるようだが、おのおの方、あまり怒りなさるな。日本人で海外に不法滞在している人はこれより約5割多いという推測もある。

 日本に長期滞在するには、そのための査証(ヴィザ)が必要なのことはいうまでもない。「在留27資格」といわれるが、教育、研究など14種の資格を「専門的技術的分野」として、法務省をはじめ関係各省庁はその受け入れ拡大を図りたいとしている。
どれが日本語? [2006年08月10日(Thu)]





 日本語に限らず、どの国の言葉もさまざまな外国から借用・輸入(密輸?)しています。

 そこで問題。次の言葉の中で、本来、日本語(中国語からのものを含む)のオリジナルな単語はどれでしょう。また、それは原語はどこのことばでしょう。

@ すばる
A へどろ
B たわけ
C えびす
D おてんば
E すかんぽ
F いらか
G ぺちか
H さらさ
I こんぺいとう
母の随想 [2006年08月10日(Thu)]





  左が四兄・忠晴、中央の筆者の「かわいらしさ」から推定して、1942(昭和17)年の夏頃の撮影かと思われる。場所は秋田市土手長町の我が家の北側、県庁、警察署の向かいの川べりかと思われる。


  東京とは違って、故郷秋田では今からがお盆の季節。おのずと両親や縁ある人たちのことに思いが及ぶ。

 わが母は1902(明治35)年9月1日、秋田市土崎港町相染町の18代続く商家「三國屋」に生まれた。屋号がそのまま実家の姓になった。先祖はおそらく、今の福井県三国地方から北前船ででもやって来ていついたのではないか。

 ここに転載するのは「消灯前」と題する、母のエッセイ。地元紙「秋田魁新報」に寄稿したものを同社が「随想集・続 一人一文」として1938(昭和13)年5月に刊行したものに収録されている、それを私が現代仮名遣いにして転載したものである。

 この本の装丁が気に入ったのは、各著者にはその人の随想が掲載された日の新聞を表紙にした特別装丁版を贈呈していることだ。

 母35歳、父が前妻を病気で失って1年ほどたったとき後妻として嫁いだばかりのはずだし、このエッセイ掲載日から4ヶ月もしないうち、四兄・忠晴(父との最初の子)を出産、私が生まれたのはさらに3年後である。

 戦後も母は地元のアララギ派の一人として作歌に努め、かなり長期間、NHKの短歌の選者をしていた。

 末っ子(五男)の私の詩心の歌心のなさは、どうしたものだろうか、とわが身を恥じる。

☆ ―――― ・・・ ☆―――― ・・・

 一日に一度不愉快なこと、腹立つことがあってもそれは生存税だと思えと、あるお友達からおしえられたことがあった。何にも税のかかる非常時である。生きて行く間毎日楽しいことばかりは勿論ないはず。けれど愚鈍な私は1日のうちにも愉快なことには満足して感謝することを忘れ、不愉快なことばかり考えて不平を嘆き悲しむ。

 こんな時古人でも現在の人々のでも好きな歌などを思い出して、不平を忘却の彼方に追い出して、優れた作歌の世界に寸時なりと心を遊ばせる時、多少なりと作歌に趣味を持ったことを幸福と思い有難く思う。満足な作品など勿論出来なく、想ふと寂しく幾度歌道から遠ざかった自分であることか――。

 何処の家の主婦も秋は選択に漬物に忙しい。殊に商家の主婦は大家族の冬の準備に暇なく、昼は読書の時間など容易に得られないことと思うが、一日の仕事を終えて眠る前の一時間なら割合に得られるのではないかしら・・・夕餉を終えて茶の間の縁側から、あるいは寝間の窓から、春夏秋冬、その日その日の異なった空を仰ぎ眺め、あるいは接した友人・家族の温かい心情に触れたことなど省みることは限りなく楽しく、また明日の人生行路の幾分なりと教えられることではないでしょうか。

 殊にこの頃から冬までの澄みきった空に星や月の美しさ、私は年中窓のカーテンを引かず、障子を閉めずに眠る週間になっている。時間と金に追われて年中俗雑な生活をしている私はせめて眠る間の夢は美しく浄らかであれと念じつつ眠る。そして一ヶ月に一首なりと作れたときの嬉しさ――。

 人々は夢を、空想を好む女と嘲笑うかも知れない。だが私はどんな不幸な境遇の時にも、悲しい生活の中にも歌に依って心を救われて生きて来たことか、何なりと一つの趣味を持つことの有難さを思うのである。ひねくれず、優しく素直な心情からのみよき歌が作られるのでないか知ら、雄大な作品など私如きに出来そうもないし、美しい夢を描くことを私は悔いまい。

 人に誇る知識を何一つ持たない小さな細やかな自分の生活、その時々の歌さえ怠り、満足なものが作れず、捨ててしまおうかと幾度思うことがあっても、ともかくも捨て切れずにいる拙歌近詠を5,6首書いて、貧弱な随想の責をお詫び致したい。

 裏川の浅瀬に夜毎ヤスを突く
     人影動くカンテラの灯に

 物を乞う母子にわずかの金を遣り
     かかわりなきごと食堂に入る

 両親と四人の子ある人に嫁ぎ
     睦みあいつつ心足らえり

 興奮して一日遊べる競馬場の
     ひとところ青々と麦伸びており

 磯村の砂利熱き路歩み来て  
     海おだやかに飛ぶ魚をみつ

 竝びいる沖の汽船に灯ともりて
     凪(な)ぎ静まれる海昏(くら)み来ぬ

 ふくろうの子の夜毎きこゆる森のこと
     子らに語りつつ早く蚊帳吊る

 異母兄姉多く卑屈に育ちたる
     我が幼きに子よ似るなゆめ

 秋の夜の時雨はげしく遠雷の
     聞こゆる街を兵ならび往く



 (御園さんは秋田県に於ける知名の閨秀歌人です。本名吹浦妙子、秋田市会議員吹浦忠治氏の夫人、現住所秋田市長町。写真は御園さん)
   昭和12年10月24日
オシム監督の初勝利 [2006年08月10日(Thu)]





  イビチャ・オシム監督は、歳が同じと言うこともあって、私には妙に気にかかる存在だ。王貞治監督、金正一「将軍様」、横綱・大鵬、そしてわれらが小泉純一郎首相は、いずれもほぼ同じ歳。

 そのオシム監督、8月9日に行なわれた新ナショナルチームを率いての緒戦・トルニダ-ド・トバゴとの大戦で、三都主の巧みな2ゴールでとにかく勝った。

 しかし、今朝の「スポニチ」紙には次のように出ている。

  ☆ ――――――・・・  ☆ ――――――・・・

 歓喜にわく青一色のスタンドとはあまりにも対照的な光景だった。オシム監督は終了の笛を待たず「トイレに行く」との言葉を残し席を立った。そして初勝利の瞬間はベンチ裏で迎えた。控室での表情も勝利監督とはほど遠く、みけんのしわが消えることはなかった。

「選手たちが走る力を持っている間は良い試合ができた。しかし、気がかりなのはサッカーは試合時間が90分ということ。きょう出場した中に90分走ることのできない選手がいた。(日本人は)1対1の点では不利。相手よりどれだけ多く走れるかで勝負しなければならない。きょう得た大事な教訓は走るということ。これが感想です」。2点を奪うまでは良かったが、徐々に足が止まった。後半は惨敗したW杯ドイツ大会を思わせた。その点を厳しく指摘した。

  ☆ ――――――・・・  ☆ ――――――・・・

 W杯ドイツ大会で「体力が続かない」という、かくもみっともない負け方をした日本、監督を代え、選手を大幅に入れ替えてもこのザマというなら、Jリーグ全チームの問題のはずである。各チームは徹底的に、後半でもバテない、運動量の多い選手を育ててほしい。
以前は小柄でもそういう「走る選手」がいろいろいたではないか。

 まさか、日本の他の社会分野のように、甘やかせているわけではあるまい。
 
 とまあ、大きく出たが、わが身を振り返ってみると、「90分」の散歩もしていない。さあ、PCを放り出して散策に出よう!
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