挿画「初日の出」は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。
「ふるさと(故郷)」(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)の「魔力」には多くの人々が感動した経験を持っています。
私が4年ほど前に『歌い継ぎたい日本の心―愛唱歌とっておきの話』(海竜社)を上梓したときに寄せられた何人関係からの感想をご紹介しましょう。これを読むと、まさに、老若男女、イデオロギーも超越した、「日本人の愛唱歌」という気がします。
皆様の感動もお寄せ下さい。
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望郷の思い託す絶唱
谷田 昌平(文芸評論家)
忘れ難きはふるさとのこと。私は昭和初年の小学生時代、高知県との県境に近い徳島県の田舎で幼少年時代を過ごしました。小学校卒業後、大阪、東京に移りました。が、幼少年期に兎を追った山や小鮒を釣った川は、事あるごとに懐かしんだものです.そういう望郷の思いを歌った歌『故郷』は絶唱だと思います。
身の引き締まる思い
清水 道尾(絵本作家・児童文学作家)
言葉と曲のハーモニーの素晴らしさ。聴く者のその時々の状態で凛と身の引き締まる思いや、哀切感に浸ることができ、私の心の歌でもあります。
中国語で歌い大好評
中野 良子(財団法人オイスカ会長)
2002年3月、中国長江、三峡ダムのある宜昌市で日中友好植林が行われた際、高校生の交流会が開かれました。日本側は浜松市のオイスカ高校生。中国語に訳した『故郷』を披露しました。あらかじめ日本に駐在する中国人女性から、素晴らしい歌だから中国の人も喜びますよ、と推薦されていたのですが、予想外に喜ばれ、よい歌はイデオロギーも文化の違いも超えて世界に通じるのだなとうれしく思いました。よい歌はいつの時代にも、どこへ行っ
てもよい歌として、日本人が、その子どもたちが歌い継いでほしいものです。
注:オイスカは地球環境と開発協力のためのNGO
空間的に大きく拡げてくれた歌
鈴木清代春(児童文学者)
遠くにうねうねとつづく山脈を私に見つめさせた。「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川」「山は青き故郷 水は清き故郷」。私は、この歌で遠くの山まで空間を広げ、その空間と一体となっている自分をつかんでいたのであるしかも私に「ふるさと」という空間も発見させてくれた。私は空間的に大きく広がって、大きく成長することが出来た。
友の合唱に送られて
大里 翠光(書家)
故郷を出る時、見送りに来た人たちが突然『故郷』を歌いはじめ、私も涙を流しながら合唱した汽車の窓から身をのりだして別れを惜しんだあの時のことがいまも忘れられない「かならず帰って来い」と叫んだ父も亡くなった。『故郷』は私を勇気づけるはげましの歌であり、心身に魂を吹き込んでくれるような気がしている。こんな素晴らしい歌はいつまでも歌い継がれてほしい。
だれにも故郷がある。きっと世界中の人々にもこの歌は理解されよう感動を与えてく
れるだろう。この歌を世界中の子どもたちにおしえて欲しいと思う。
『故郷』で終わった私の戦争
加藤 寛(千葉商科大学学長、政府税制調査会長)
敗戦も間近の1945(昭和20)年6月某日、高崎連隊に新兵として入隊していた私たちに独立混成部隊として出撃命令が降った。行く先はどこか判らないが、沖縄であろうと推察していた。爪を切り髪を切り、遺書を書いて出撃を待っていた。
特攻隊の仲間から見ればたいしたことではないが、それなりに切迫感もあり緊張もしていた。その夜、どこからともなく『故郷』の歌が静かに流れ、やがて大きな合唱となっていった。誰が歌い始めたか知らないが、特攻隊が出撃するとき、『君が代』でも『海ゆかば』でもなく、『故郷』が圧倒的に歌われたことを後で知ったが、そうであろうと思う。いま鹿児島の特攻隊基地跡に慰霊碑が建ち、その除幕式には『故郷』が歌われたという。私たちの独立混成部隊は出撃したが、沖縄に辿り着く前に乗船が沈没。私だけは見習い士官候補生として除外され、生き残った。
その直後、連隊は空襲を受け焼失してしまった。私の戦争は『故郷』で終わった。
反核コンサートの最後に合唱
高須道夫(名古屋芸大教授 合唱指揮者)
私は1982年以来8年間、『反核・日本の音楽家たち』(名古屋)の事務局に勤めました。その後も何らかの形でそれに関わっています。名古屋市の中心で行われる反核・平和コンサートや、名古屋市内の地域での反核・平和コンサート(天白区、緑区)で、クロージングの全音合唱(ステージと聴衆との)で『故郷』を取り上げています。演奏者も聴衆も一体感を持って全員で歌うことが出来、毎回成功しています。
今や『故郷』は第2の「国歌」的意味合いがあるように感じます。この曲は今後も毎回歌われていくことでしょう。
合唱部の練習を締めくくった曲
原田直之(民謡歌手)
小中学校時代は音楽部に入って合唱の練習に明け暮れ、また高校生時代も音楽部に入り、将来は音楽教師を目指していました。合唱の練習の終りには必ず『故郷』を歌って終りです。
私の生まれた福島県双葉郡の浪江町は民謡の宝庫相馬地方は東に太平洋、西に阿武隈の山を見る農村地帯です。川の流れも美しく、静かな風景で『故郷』の詞そのままです。この『故郷』を歌うと懐かしい自分の過ごしたあの風景を思い出し、胸が熱くなります。
幾時代が過ぎても、この曲は私の愛唱歌として忘れないものと思います。
世代超えタヒチで歌った
梁瀬(やなせ) 進(参議院議員)
1995年、超党派の国会議員でタヒチに行き、フランスの核実験反対のデモ行進を行いました炎天下のデモ行進、暑さに負けぬようデモ参加の各国グループは各々歌を歌いながら行進して行きます20歳から70歳代の国会議員が歌詞カードなしで歌える歌を咄嗟に探しました。そのとき、いちばん最初に出たのが『故郷』。世代を超えて共通に歌える歌が日本には以外に少ないことも、そのとき実感しました
日本が誇る不朽の名曲
小黒恵子(童謡作詞家、児童文学者)
日本の誇る不朽の名曲と思います詩曲一体となって聴くたびに心の琴線に触れますふるさとの風景が浮かび、子ども時代の幼な友達を思い出し、懐かしさとうるおいを与えてくれます石川啄木の「ふるさと」はありがたきかな、ピッタリの心境になります嬉しいにつけ、淋しいにつけ何故か思い出す「心のふるさと」です。