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魅力的な研究者の群像 [2006年04月19日(Wed)]





 東京財団の「アジアの人権」研究プロジェクトが今夜から始まった。

プロジェクト・リーダーは山田寛嘉悦大学教授。元読売新聞のサイゴン、バンコク、パリの支局長、ワシントンではアメリカ総局長だった人。噂によると、東大野球部ながら(失礼!)、学生時代には六大学野球のリーディング・ヒッター争いを最後までやったという人。1970年4月30日のサイゴン陥落以来、「ボートピープルを救え!」と、日本で最初のプレス・キャンペーンをした人だ。

 メンバーがすばらしくて、かつ、「すさまじい」。

 北朝鮮から逮捕状が出ているLさん、アチェの人権に命がけのSさん、チベットの独立を叫び続けてウン十年のPさん、民主党の前衆院議員でかつては国会で人権と人道で新しい分野を切り開いたFさん、「中国ってほんとにひどいことをする」と「文春」や「諸君!」に書きまくっているNさん、ミャンマー(ビルマ)大使館前で、ビルマ語でアジ?演説をしているHさん、タイの僧侶と結婚するまでタイとインドシナに精通しているEさん・・・

 まともなのは、オブザーバーたる私一人と自負している。

みな、各地の人権問題を「わがこと」として考え行動してきた。しゃべり出したら止まらなさそうだ。

 アジア各国の人権問題の実態と、日本がとるべき好手と禁じ手が、最終的には、来年春までに発表される。

乞う、ご期待。
 



  挿画「慈雲寺の桜」は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。
素敵なあなたはおいくつ? [2006年04月19日(Wed)]




 女性の年齢って、なぜ、聞いてはいけないんでしょう。年齢相応の素晴らしさとか魅力ってあるじゃないですか。

 他方、年齢を訊いていけないというような人に限って、昔なら「男女同権」、最近では「自立」「自立」って言ってませんかね。

 4月18日野朝日新聞に、実に微妙な記事が出ていました。

高松地検のトップ(検事正)となった川野辺充子(かわのべみちこ)さんが、就任記者会見で記者に生年月日を訊かれ、「女性に年齢を聞くんですか」と公表を拒んだというのです。

 朝日の記事は<杉浦法相は「世間では女性に年齢を聞くことはタブーですよ」と同情>と書き、続けて、<川野辺検事正は3月31日に60歳になったばかり>と、ご丁寧に全国に紹介しています。

 公務員たるもの、むやみに個人情報を秘匿すべきではないし、新聞が公器というなら、ここまでご丁寧に書かなくてもいいのではないでしょうか。

 また、女性がというより、人間、ここまで来るにはトシ相応の生き方をしてきているわけなのでしょうし、堂々と振舞うべきではないのかなあ、と愚考します。

 ところで、私は65歳、素敵なあなたは?


  挿画「慈雲寺の桜」は、石田良介画伯の新作。石田先生のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。

紙幣と言語 [2006年04月19日(Wed)]






   日本の紙幣には何ヶ国語で書いてあるか、気にしたことがありますか。

   答えは簡単、ほとんど日本語だけです。

   たとえば、1万円札、「なぜ早稲田は怒らないのか」と思うのですが、ま、総理もこれを決めた時の財務大臣も慶応の出身だったのですから。「仕方ない」との諦め、「今に見ていろ」という恨み、「大隈さんご免なさい」という懺悔・・・人間、いろいろあるようです。「円」の紙幣には英語は1つだけ、裏面に「YEN」とあるだけです。あとは、「NIPPON GINKO」,これは日本語のローマ字表記ですよね。

   このように単一言語の国であるということは、日本と日本人にとってとても幸せなことであるとともに、否が応でも進むグローバリゼーションの時代にあって、とかく視野を狭くするという一面があるかもしれません。

ロシアはおそらく世界で1,2を争う多民族国家でしょう。それで紙幣にはロシア語以外、いっ際の表示がありません。あの国には何度行っても驚くのですが、ロシア語が世界のすべてのに通じると思い込んでいる人がたくさんいるようです。

先月行ったときも、入国カードがロシア語のものしかありませんでした。

   上海における、尊敬すべき通訳Nさんに、中国の紙幣について教えていただきました。
中国の紙幣「元」に書いてある言語は、5種類。中国語、アラブ語、チベット語、 モンゴル語、チワン語だそうです。

   アラブ語を話すウイグル族、チベット族、モンゴル族、広西チワン(壮)族自治区に暮らすチワン族の4民族が中国の四大少数民族(比較的に人数が多いという意味で)だからということです。

 インドもたくさんの言語を紙幣に印刷しています。絵は高額のものは「マハトマ・ガンディーの肖像」、低額のものは、国章にもなっているアショカ王の仏典結集記念塔です。
15の言語です。これがインドの公用語です。
ASSAMESE(アッサム語・ベンガル文字)
BENGALI(ベンガル語・ベンガル文字)
GUJARATI(グジャラティ語・グジャラート文字)
KANNADA(カンナダ語・カンナダ文字)
KASHMIRI(カシミール語・アラビア文字)
KONKANI(コンカニ語・デーバナーガリ文字)
MALAYALAM(マラヤラム語・マラヤラム文字)
MARATHI(マラティ語・デーバナーガリ文字)
NEPALI(ネパリ語・デーバナーガリ文字)
ORIYA(オリヤ語・オリヤ文字)
PUNJABI(パンジャブ語・グルムーキー文字)
SANSKRIT(サンスクリット語・デーバナーガリ文字)
TAMIL(タミール語・タミール文字)
TELUGU(テルグ語・テルグ文字)
URDU(ウルドゥ語・アラビア文字)

   25カ国が加盟するEU(欧州連合)の公用語は現在20言語、このほど、2007年からこれにアイルランドの第1公用語ゲール語がEUの事務用語(working language)になることが決まったという。ゲール語は21言語目となる。

 神様、「バベルの塔」が少し高すぎたようですね。人類への試練が厳しすぎやしませんか。


EUの旗が他の国旗より大きいのは、単に私のパソコン技術の低劣さによるものであり、他意はありません。
キティホーク地名の由来 [2006年04月19日(Wed)]





  去る4月14日に見学した、米空母キティホークのつき、その名前のいわれについて、何人もの方から、「そうだったのか」「知らなかった」というメ−ルをいただきました。そこで、同空母の上甲板の壁、正確に言えば艦橋と滑走路の間に張ってある、キティホークの徽章の写真を添付してみます。

直径は1.2mくらい。ライト兄弟の複葉機がまさに飛び上がった瞬間を描いたものです。

ご承知のように、1903年12月17日、ノースカロライナ州キティホーク近郊の丘で、ライト兄弟の弟のオービルがエンジン付きの複葉機を使用し、12秒間飛行し、120フィート先に着陸したのです。兄弟はこの日、数回ずつ飛行しました。人類初、でした。

  空母キティホークの艦名はライト兄弟による人類初飛行の地名から取ったものです。


上海のサブ・コンマス [2006年04月19日(Wed)]





  去る3月26日に「私の最も若きボーイフレンド」として新上海交響楽団のサブコンサートマスター菅沼暢夫くん(10歳)を紹介したところ、何人かから写真はないのかと問い合わせがありました。この写真の指揮者のすぐ左が、暢夫サブ・コンマスです。
差別への過剰反応は止めてほしい [2006年04月19日(Wed)]



 先年、ある大学で「赤とんぼ」の歌を知っているかと訊いたところ、43人の学生全員が知っていた。では、「その詩を書いてごらん」と言ったところ、28人が「追われて見たのは」、11人が「負われて見たのは」、3人が「おわれて見たのは」、一人が「終わって見たのは」だった。

 「故郷」の「兎追いし」を「兎美味しい」と思っていたという学生も何人かいた。わが埼玉県立大学の名誉のため、それ以外のさる大学とだけ申し上げておくが、当方では怖くて調査できなかったというのがホンネかも。

 さて、「負われて」とあるが、母の背中なのか、「ねえや」におぶられてか。多くの解説書は三木露風(1889〜1964)は7歳のときお母さんと生き別れしたので、その母への恋しさと生まれ故郷・播州龍野(兵庫県南部地方、素麺の産地として有名)への思いをはせて作った詩だと述べているが、私には、「ねえや」の背中ではないかと思えてならない。「ねえや」の何よりの役割は幼子を負ぶってあやすことではなかったか。

 15で「ねえや」は嫁に行ったのだが、これ露風33歳の作詞当時は珍しくもないことだった。ちなみに、元首相・岸信介、佐藤栄作兄弟の母は13歳で嫁ぎ、信介は15歳の時の子である。「ねえや」は差別用語だというので、「お手伝いさん」といい換えるようになって久しいが、そんなことで、この歌詞を変えたり、3番を前面削除などというげに恐ろしいことは絶対にしないでほしいと、今から文部科学省や出版社にお願いしておきたい。

「冬景色」のところで述べるが、文化を勝手に変更するようなことは大いに謹んでもらいたいのだ。歴史の事実をきちんと教えてこそ、何が大事にされるべきかを学ぶことになる。

 私自身、差別には大反対だ。

1980年代の南アフリカ共和国を一人で訪問したとき、確かに「経済大国」日本からのわれらは特別扱いで、ホテルでもレストランでも入れてくれたが、先についても最後にチェックインされ、レストランではいくら空いていても中央部やまして奥には絶対に入れてくれない。ほとんど入り口のドアのまえの席だった。

佐藤育代著『海外で差別されたことありますか』」(主婦の友社)という、お薦めしたい名著がある。それによれば、こんな経験はほかにも内外でいくつもした。そんな私だが、日本文化、とりわけ童謡・唱歌の世界で、差別への過剰反応はやめてほしい。

 たとえば、「故郷」の2番、「いかにいます父母、恙なしや友がき…」。「世の中にはさまざまな理由でお父さんやお母さんのいない子供もいますから、この歌詞のところは飛ばして1番と3番だけにしましょうね」という指導者がいる。そんなことを言ったら、わが両親は私が比較的若いときに鬼籍に入ったが、「いかにいます?」といつも懐かしく大声で歌ってきた。

子供心が分からぬ人というなら言え。たとえ、涙ながらにこの歌を歌っても、それがかならず成長の糧になるはずだ。



挿画「春爛漫」は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。
成熟した社会をめざそう [2006年04月19日(Wed)]





私は今65歳。5年前には「村の渡しの船頭さんは今年60のお爺さん・・・」とよく歌ったものだ。依然、乗り物で席を譲られたこともないせいか、とんと年寄りの意識がない。

それでも学生や若い仲間たちは、「今年60のお爺さん」を私の顔を見ながらいい気分で歌っていた。昔の還暦と今とでは精神的、肉体的また社会的にまるで違うかもしれないが、老人を差別する気風から、やがてこの歌も捨てられるか、「今年70の」とでも、歌詞を勝手に変えられるかもしれない。

 『案山子』(武笠三作詞、山田源一郎作曲)。「山田の中の一本足の案山子…」というあれである。『案山子』や『ジプシーの歌』は「差別用語の自主規制とやら」で「放送できない」し、「『埴生の宿(赤土で造った貧しい小さな家)』は構わないが、『われは海の子』の「とまや(苫で屋根を葺いた粗末な小屋)はいけないそうだ」と、東京芸大の藍川由美先生は『これでいいのか、にっぽんのうた』(文春新書)で嘆く。

リストの『ハンガリー狂詩曲』やビゼーの『カルメン』には有名な『ジプシーの歌』がある。ドボルザークにもある。これらを『ロマの歌』にしなくてはならないものだろうか。

友人で某中央官庁キャリアの山田某くんは「小学校の時、『案山子』の歌でずいぶんいじめにあったから今でもあまり聞きたくない」と苦笑し、「あの歌でどれだけいじめられたか知らないからあなたはそんなことを言う」と私を叱るが、歌は歌、子供の間に発生したわらべ歌であり、そうした歌には、「相手の人間なり、動物なりをからかいはやし立てるものが多く」「教訓色のないの」がこの歌のいいところと金田一春彦は『日本の唱歌』で述べている。

愛着や親しみのあまり、こうした揶揄的な表記や行動になるのは、これもまた日本文化なのであって、いじめのために文部省唱歌として誕生したわけでは、もちろんない。

多少のいじめは後に薬になったり、悪友やワルガキの懐かしい思い出になるのではないか。

こういうと今度は、山田くんに殴られそうだ。しかし、こんなことでこの歌を引っ込めるのは、曲へのいじめにほかならない。これは厳然たる日本文化である。差別やいじめには極力反対してきた私のつもりだが、時には、その行き過ぎに唖然とすることがある。

 ほかにも、『冬景色』(作詞作曲者未詳)の「いまだ覚めず岸の家」で「寝ぼすけの岸」と揶揄された岸S教授、『朧月夜』(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)の2番、「田中の小路をたどる人も」で「お前は広い道を歩いてはいけない」と言われた田中wさんもいる。『海』(作詞作曲者未詳)の冒頭、「松原遠く」でいじめられた松原jくん、『鯉のぼり』(作詞者未詳、弘田竜太郎作曲)の「橘かおる」で歌えなかった橘くんの話も聞いたし、私自身、『春の小川』(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)の冒頭「春の小川はさらさらゆくよ」で「小川」、『春が来た』(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)の「山に来た里に来た」で「里」に無用に力んで、「小川Hさん」や「Yさと」さんといった仲良しをいじめた?ことがある。

 しかし、こんなことは言ったり歌ったりした子供に特段の悪気があってのことではないし、むしろ愛着の表出であり、本来、目くじらを立てるほどのことではないのではないか。

もちろん、度を過ごしてはいけないが。
 毎年NHKは真夏に「懐メロ」特集をやる。3,4年前のトリは舟木一夫の『高校三年生』(岡灯至夫作詞、遠藤実作曲)。

以前、「これが出来た頃は、中卒者が大勢いた。そういう人達に辛い思いをさせるから、この歌は拙いんだよね」という話を聞いたことがある。

あれほどのヒット曲、高卒者が9割を超える以前から愛唱されていたことが嬉しい。差別に過剰反応しなかったからにほかならない。




「早春賦」の挿画は、石田良介画伯作。特段のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。
生放送での失敗? [2006年04月19日(Wed)]



「白い猫でも黒い猫でもねずみを取る猫がいい猫」といったのは登小平。しかし、それも最近のでは活字にしにくい雰囲気だ。

「白山羊さんからお手紙着いた。黒山羊さんたら読まずに食べた。しかたがないのでお手紙書いた。さっきの手紙のご用事なあに」などという歌詞が、黒人差別を連想させるということで拙いらしく、童謡のCDなどから事実上、追放された。

 私はNHKの生放送で番組の最後に「ただ今のゲストの発言の中に不穏当な表現がありました。お詫びして訂正します」とアナウンサーに言われたことがある。

アナウンサーのインタビューに応え、日本の難民受け入れ政策を論じた時だ。その中で、私は「、ンドシナ3国からの定住難民を受け入れながら、他の諸外国出身の人については堅く門戸を閉じるというのはというくだりで、「こういう外交や入国管理での非論理的な差別は片手落ちだ」といったところで、生番組が終った。

「ね、ちょっと待ってよ。ゲストって私しかいないんだよね」と訊いたところ、これだった。

NHKには「めくらばん」を押す人もいない様子だし、以後、ささやかに反省はしている。

 ただ、繰り返して言うが、差別はもちろん厳禁だ。しかい、「たたき台」は「たたき大工」(建築技術者の最下層の人)を連想させるからだめ、「めくら判」を押す、丹下左膳が「めくら滅法斬りこむ」という表現も禁物といった傾向が、日本文化をゆがめてはしまいかということを恐れる。



 「早春賦」の挿画は、石田良介画伯作。特段のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。
歌の文化を歪めるな [2006年04月19日(Wed)]






 ソプラノ歌手で、わが国初の学術博士号を取得した藍川由美は『これでいいのかにっぽんのうた』(文春新書)で、「歌における原詩は作曲された時の詞と考えるべきであり、こと芸術作品に関しては、教科書にスミを塗ったり、人物の顔を塗りつぶしたりするような行為はつつしむべきであろう」とし、歌の変更について次のように厳しく諌めている。

「わが国では文部省が率先して勝手な改作を行なってきただけに、オリジナル重視の意識が希薄なのだろうが、俗に<歌は世につれ世は歌につれ>といわれるように、歌詞から当時の民衆の心情や社会状況を窺い知ることもできる。

従って、歌詞の内容よりも、こうした貴重な歴史的資料を改竄したり、隠蔽するといった行為をこそ問題視すべきではないだろうか」「われわれは芸術作品に対してもっと謙虚に接する必要がある」。
 
藍川は、主として音楽の専門家としての立場から、個々の例を沢山挙げて文部省をはじめ、作曲家、歌手、解説者が勝手に詞や表題、解釈まで変更してきたことに警鐘を鳴らしているが、文化論、社会史といった視点からも、この警鐘は拝聴すべきものであると大いに賛同したい。

●『冬の夜』(文部省唱歌)
 私が最近、大いに不満に感じ、文部科学省に電話で抗議したのが、この歌。

たとえば、鮫島由美子と岡村喬生のCDで2番の歌詞を比較してみよう。

 岡田はわが早稲田大学政経学部の先輩。いつの世にも先輩は怖いので、ひとこと弁解するなら、由紀さおり・安田祥子姉妹も、最近人気の視覚障害者(盲目)のテナー歌手・新垣勉のCDも同様であるということをまずもって申し添えおきたい。

そして、鮫島由美子、岡村喬生、由紀さおり・安田祥子姉妹、新垣勉はいずれも私が難民を助ける会の副会長の任にあった時、チャリティ・リサイタルに出演してご協力くださったという関係なのだが・・・

まず、原詩。
 
いろりのはたで縄なう父は 過ぎしいくさの手柄を語る
 居並ぶ子どもはねむさ忘れて 拳を握る
 いろり火はとろとろ 外は吹雪

これが「岡村版では、

いろりのはたで縄なう父は すぎし昔の思い出語る 
居並ぶ子どもはねむさ忘れて 耳をすませて拳を握る…

となっている。が、こんな歌い方をすることには同意できない。

過ぎし戦さの手柄を語るからこそ、居並ぶ子どもは拳を握りながら聞くのであって、これが昔の思い出話では話にならない。

 この歌が世に出たのは、明治の終わりか大正の初め。いろりのはたで縄なう父は、おそらく東北の善良な農家の青年が日露戦争に1兵卒として参加して、多くの戦友が倒れた中で、手柄を立てて凱旋したのだったのではないか。寒冷地での戦争ということで、真っ先に北海道と東北の師団が派遣されたことを想起する。

 この歌が、戦争礼賛だとか、侵略思想を賛美しているなどというのはあまりに小児病的といわざるをえない。自らの歴史と歩みを直視することこそ大事なのではないか。

平和を愛すること人後に落ちないつもりの私ではあるが、同時に、文化を歪めることには私は大嫌いなのだ。


  挿画(「早春賦」)は、石田良介画伯作。特段のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。
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