上海寸評 [2006年04月05日(Wed)]
上海を訪れて、帰国後、10日ほどになる。1年4ヶ月ぶりくらいなのだが、目に見える発展を遂げている。おそらく、今世界で最も急速に伸びている大都会ではないだろうか。 上海は、北京、天津、重慶と並んで、中国の4つの特別市となっている。 上海市統計局のホームペイジに、「2004年上海氏国民経済と社会発展統計公報」という欄がある。それによると、面積は、群馬県とほぼ同じ6363平方キロ、人口がややこしい。「戸籍人口1352万、常住人口1742万」。この差、約400万人というのが、各地から流入しているひとたちの数である。 常住人口は0.8%ずつ増加しているものの、戸籍人口の自然増加率はマイナスが続いているという。つまり、他の場所からの流入人口が増えているということだ。 中国に限らず、共産圏は階級社会である。階級をなくしたはずなのに、ソ連時代のモスクワでも、今の上海でも、最近の言葉で言えば「勝ち組」と「負け組み」の差は、日本での想像を超えている。北朝鮮には確か32階層があって、日本からの帰国組みは31番目だと、脱北した人から聞いたことがある。 早い話が、法的に立場が違う。同じ中国人であっても上海で暮らすには、通常、「査証(ビザ)」のようなものがいる。「外地人」は「居民身分証」がないと差別される。それでもよそ者にはしばしば「郷下人」という別称がある。「田舎者」という感じだと、自らも東北部からやってきて10年間の上海滞在許可をとったという、Rさんはいう。この人は大学院まででているので、党員ではないがこういう場合に優遇されるのだとか。 1990年代初頭、ロシアは政治の自由を優先して経済を混乱させ、その余波は今も深刻である。それに対し、中国は依然、一党独裁で、政治の自由は厳しく制限されている。他方、「改革」「開放」で経済はきわめて活気的だ。但し、環境無視。昔の四日市や川崎のような状態が続き、それに黄砂、排気ガス、霧まで混じり、南京ではホテルの9階から地表がぼやっとしか見えなかった。 上海発展の1つの象徴が、リニア・モーターカー。空港から都心部まで8分である。3分間加速し、最高時速431キロまで出し、それで2分間走行し、また3分間で停止する仕組みだ。但し、都心部の駅のロケーションが悪いのと、しょっちゅう故障するのが難点とか。 いまひとつは、上海港の取扱量であろう。コンテナの取扱量は神戸港を超え、横浜港に迫っている。 在留邦人数も、公表されているだけで約4万。「おそらく6万はいるんじゃないか」とJETRO関係者は言う。「登録した企業は数千社あるが、上海日本商工倶楽部に入って積極的に事業展開しているところは800〜900社程度」「日本企業の中には、大手を含み、不動産関係や雇用関係に十分精通していないため、苦境に立っているところも少なくない」と、ある日本企業の幹部が言っていた。 在留邦人の急増で、従来、1校だった日本人学校が、今春、2つになった。小中学生の数は合わせて2300人を超えた。ちょうど1年前の反日デモ(暴動)の時には、通学にずいぶん苦労したという。 共産圏のいいところは治安の良さと心得てきたが、どうやらそうとばかりはいえないのが上海の日常のようだ。全国的にも賄賂の横行、地方の党幹部の汚職、家屋敷や農地の強硬な接収などから、特に地方では暴動が絶えない様子。紙幣にも中国語とともに、アラビア語、新疆語、モンゴル語など7つの言語で金額などが印刷されている。そうした民族問題も決して簡単ではない。 一人っ子政策のひずみはあちらこちらで見られる。子供一人が親と祖父母の計6人を面倒見るという構造のムリ、地方にはその制約がゆるい現状・・・中国の社会と経済は、急速に発展する影で多くの矛盾を抱えている。 北京五輪までは大丈夫、上海万博まではなんとかなるという声も聞くが、楽観は許せない不安定要因がいろいろ見えてくる。 挿画「我が家の桜」は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。 |