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日本の持つ対北朝鮮カード [2013年04月15日(Mon)]
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どうやら、きょうは無事に過ごせそうだ。4月15日、金日成主席の生誕記念日であった。
 次は24日かなどなど、日米韓をはじめ、世界がいろいろと予想を立てる。

 しかし、アメリカや韓国は軍事演習の縮小や対話の呼びかけといったカードを持つ。
日本は? 北朝鮮が引くなら人道援助再開か経済封鎖の緩和、在日朝鮮人総連合会への緩やかな対応、日朝間の人的交流の条件緩和くらいしかなさそうだ。

 今日の緊張は、北が自ら高めたものだが、「勝った」という形を作ってあげないと
ミサイルの撤去や核実験の停止には向かえないのではないか。

 ここは、知恵の探り合いだろう。イージス艦の移動などは最後の最後でいい。自衛隊の役割は極めて大きいが、ここは国民の輿望を担って、奮起してほしいところだ。
尖閣諸島で米軍射爆演習の映像を [2012年10月29日(Mon)]



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熊「尖閣諸島ってさ、台湾や中国がいちゃもん付けてきたのは」

八「国連のなんとかという機関が周りに石油があるかもって言ってからだよね」

熊「それって、あんまりだよな」

八「うん、それまでほっといたんだよね」

熊「いくら、昔は明だか何だかのものだったとかいってもさ」

八「ほったらかしにしてたんだもんね」

熊「1895年に日本が閣議決定しても何も言わなかった」

八「ぬかってたってことだ」

熊「いや、関心がなかったか、当然、日本のものだと思い込んでいた」

八「と国際法ではいわれるんだ」

熊「しかも、戦後は米軍が射爆場として使ってたちゅうじゃないか」

八「1978年6月までは本当に使っていた」

熊「よく知ってるね」

八「琉球新報の一昨年の10月23日付に記事が出ていた」

熊「で?」

八「その後は使ってないのだが、日本政府は引き続き米軍が必要としている地域だという内閣への質問主意書に答えているんだ」

熊「ふん、ふん」

八「照屋寛徳議員からの質問主意書に対して、10月20日に閣議決定した回答でだ」

熊「すってぇと、中国にしてみれば、ずっと米軍が中国の領土で爆撃の演習を行い、これからもするかもしれないということになるね」

八「日本にしたって同じだね、それは」

熊「すると、そのことについては中国がアメリカに文句を言わんのかね」

八「言わないね。日本としても米軍が使うかもというのが都合がいいよね」

熊「78年6月まで米軍が実際に射爆訓練をしていた映像や画像はないのかね」

八「米軍には必ずhistorianというのがついていて、そうしたものを保管しているんだ」

熊「みたい、見たい」

八「中国にも、見せたいね。あんなたちこんなことを許しておいて、自国領なんていえた義理かねとね」

熊「これは有効な説得力になりうるね」

八「1972年5月15日、つまり沖縄祖国復帰の日に日米両国は尖閣諸島のうち、民間人が所有していた久場島と国有地である大正島について、米軍への提供施設として合意しているんだ」

熊「それにも中国は気づかなかったというのは、尖閣諸島を管理していなかったということだね」

八「そういうことだ」。
人民日報が尖閣を日本領と認めている [2012年09月17日(Mon)]
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以下は外務省のHP。中国の皆さん、これを認めないのは、反国家的犯罪ですぞ。中国共産党中央委員会の機関紙・人民日報さんがこう書いているのですから。この記事を拡散しましょう。

      ✾  ✾  ✾  ✾  ✾

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html

【参考:1953年1月8日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」】(抜粋・仮訳) 
「琉球諸島は,我が国(注:中国。以下同様。)の台湾東北部及び日本の九州南西部の間の海上に散在しており,尖閣諸島,先島諸島,大東諸島,沖縄諸島,大島諸島,トカラ諸島,大隈諸島の7組の島嶼からなる。それぞれが大小多くの島嶼からなり,合計50以上の名のある島嶼と400あまりの無名の小島からなり,全陸地面積は4,670平方キロである。諸島の中で最大の島は,沖縄諸島における沖縄島(すなわち大琉球島)で,面積は1211平方キロで,その次に大きいのは,大島諸島における奄美大島で,730平方キロである。琉球諸島は,1000キロにわたって連なっており,その内側は我が国の東シナ海(中国語:東海)で,外側は太平洋の公海である。」

(中国語原典)
【参考:一九五三年一月八日人民日报文章《琉球群岛人民反对美国占领的斗争》】(摘录)
“琉球群岛散布在我国台湾东北和日本九州岛西南之间的海面上,包括尖阁诸岛、先岛诸岛、大东诸岛、冲绳诸岛、大岛诸岛、土噶喇诸岛、大隅诸岛等七组岛屿,每组都有许多大小岛屿,总计共有五十个以上有名称的岛屿和四百多个无名小岛。全部陆地面积为四千六百七十平方公里。群岛中最大的岛是冲绳诸岛中的冲绳岛(即大琉球岛),面积一千二百十一平方公里。其次是大岛诸岛中的奄美大岛,面积七百三十平方公里。琉球群岛绵互达一千公里,它的内侧是我国东海,外侧就是太平洋公海。”
韓国・李明博大統領の独り相撲 [2012年08月15日(Wed)]





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玄葉外相




7月3日、メドヴェージェフ・ロシア首相が国後島を訪問、
8月9日、李明博韓国大統領が竹島上陸、
8月15日、香港の活動家5人が尖閣諸島に上陸。

弱体政権はよくもここまでなめられたものだ。

他方、14日、李大統領は天皇陛下訪韓の条件として
独立運動家への謝罪を求める演説をした。

しかし、めったに現政権を誉めない小欄だが、
玄葉光一郎外相が即刻、
「理解に苦しむ。極めて遺憾だ。
外交ルートを通じて抗議した」
ことは評価する。

 天皇陛下の訪韓については
歴代の韓国大統領が招請してきたが
実現していないし、
現状の日韓関係と陛下の公務の範囲を
考えれば、
韓国側がこうした発言をするのは
適切ではない。

玄葉外相は
「わが国政府から韓国政府に対して
天皇陛下の韓国訪問について
取り上げたことはない」「冷静に
対応しなければならない難しい問題で、
あえてナショナリズムを
あおるような言動は韓国のためにならない」と
指摘したと報道されているが、
これでいい。

何か韓国には独り相撲をして
騒ぎたてなければならない事情があると
言わざるを得ない。
今さらながら、中国のデタラメ [2012年06月05日(Tue)]


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PCを開いたら、いきなり2つのこんなニュースに出くわしました。
まずは、驚き、呆れ、しばらく中国に出かける用事のないことにほっとしています。

今さら書生論を言うようですが、中国って、結局、まだまだ「発展途上」なんですね。

     ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

<1> 中国・上海市食品薬品安全研究センターは30日、食品、薬品の安全性に関する
白書を発表した。白書では、調査を受けた市民の7割以上が国内の食品が「安全ではない」
と考えていることが明らかになった。中国網が伝えた。

 同研究センターが発表した白書は市民調査の項目を設けた。
調査は、北京、上海、広州など全国各地域を代表する8都市の市民計4000人を対象に
食品安全への認知度などについて尋ねた。

 調査の結果、調査参加者の45.60%が「わが国の食品はあまり安全でない」、
27.76%が「極めて安全でない」と回答し、市民の大半が食品の安全性に
疑問を持っている状況が浮き彫りとなった。また、日常生活で最も不安な食品のトップは
肉および肉製品で、以下乳および乳製品、水産および加工品、青果、穀物および加工品と続いた。

<2> 2012年5月26日、中国・北京市で中国の地下防水と建築安全に関する
フォーラムが開かれたと、大衆ネットが伝えた。

フォーラムでは現在の住宅の防水状況について議論が交わされた。
それによると、現在中国の防水工事全体の約80%に水漏れが確認されている。
とくに地下室の防水工事はずさんなものが多く、雨が降るたびに水漏れするケースが
後を絶たないという。

また、北京市の地下鉄10号線では、18カ所の駅で水漏れが確認されており、
武漢市中山公園の地下通路も水漏れが酷いためついには封鎖となった。
現在の防水材や防水技術は日増しに向上しているが、
なぜか防水状況はよくなるどころか、逆に悪化している。

その原因として考えられるのが、手抜き工事である。
マリ北部でアザワド共和国が独立宣言、笹川会長の所感を伺いたい [2012年04月07日(Sat)]



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マリ共和国の国旗




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   「アザワド共和国」の「国旗」

「マリの国旗は交通信号と色の順番が同じ」などと呑気なことを言っていられない、緊迫さと干ばつによる飢餓が北部を送っているのです。

西アフリカ・マリの反政府勢力「アザワド解放国民運動(MNLA)」は今月初めまでに世界遺産の都市トンブクトゥを陥落させ、国の北半分を支配に置きました。

クーデターを起こした軍はまともな武器もなく、訓練も受けていないのに対し、MNLAはリビアでカダフィ政権側に加担した将兵が大半で、高性能の武器を持ち、重装備でもあるようです。加えて、イスラム過激派からの支援もあるのだとか。

そのMNLAは4月6日、アザワド共和国としてマリからの独立を宣言したのです。「おそらく国旗も採択されているでしょうが、まだ、判りません」と言っているうちに、新情報が入ってきました。アフリカ諸国に共通な赤黄緑と黒。国旗ができたから独立というわけにはゆかず、目下、旧宗主国フランスも承認を拒否しています。しかし、首都バマコが混乱している以上、国際的な調整が図られなければ秩序の回復は期待できません。

日本財団の笹川陽平会長はつい最近、そのマリ、チャド、中央アフリカを訪問され、私が理事をつとめる「nippon.com」のフランス語HPを「大いに宣伝したが、その前に、電気もPCもない状況をなんとかしなくてはならない」と4月3日、暴風雨のさなかに開かれた同法人のJapan Echoからnippon.comへの名称変更披露レセプションで話されたのですが、ちょうどそのさなかに、マリは大混乱し始めたのでした。

マリ情勢についての会長の所感をブログで掲載してくださることを期待しています。
イスラエルはイランを攻撃するか [2012年03月17日(Sat)]



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 イランの選挙で、野党が大きな勝利をおさめた。
その結果、イランはより強硬路線を進む
可能性が一層強まった。

 もとより私は戦争を望むものではないが、
結論からいうと、イスラエルの対イラン攻撃は
現実のものとなってきたと言わざるを得ない。

 ただ、この戦争はミサイルと航空機による爆撃が
主であり、戦車や大砲を用いた地上戦には
なりえず、短期で終戦となると見ていいであろう。

 イスラエルの目的はイランの核兵力の排除であり、
拠点攻撃に集中するであろう。また、
地上戦に入るには両国間にイラクやシリアがあり、
国際関係上もまた地理的にも無理というほかない。

 心配なのは、シリアがイランに同調し、
また国内情勢を考慮して
何らかの加担をしまいかということだ。

 ホルムズ海峡の封鎖は日本にとって
大きな脅威だが、イランの海軍力から言って、
米第7艦隊の進入を阻止するだけの実力はない。

ただ、機雷敷設、特攻攻撃、ミサイル攻撃などによって
一定の被害を与えることはできるかもしれない。

日本としては当面、備蓄原油
(石油200日分、LNG70日分)の
出番ということになろうが、
原油価格の高騰を考えれば、
将来的にはアラビア半島北東端に
パイプラインを敷設・整備して、ペルシャ湾岸諸国の
原油をタンカーによるホルムズ海峡通航から
UAE(アラブ首長国連邦)かオマーンの
インド洋岸まで送油するほかあるまい。

日本としては、関連情報の蒐集と集約が
当面、喫緊の課題であるが、同時に、同盟国や
EUなどとの協力体制を
しっかり構築することが肝要であろう。。
北朝鮮/金正恩テーマにシンポ [2012年01月30日(Mon)]


















    早稲田大学アジア研究機構シンポジウムのご案内


ユーラシア21研究所では

下記のシンポジウム後援させていただくことになりました。

主催は早稲田大学アジア研究機構

後援は早稲田大学日韓グローバル研究所と
ユーラシア21研究所。

入場料は無料 (申込不要) でございますので、
ぜひご参加ください。

             記

総合司会: 重村智計 早稲田大学国際教養学部教授 

出演:

 挨拶

  小口彦太 早稲田大学アジア研究機構長

   吹浦忠正ユーラシア21研究所理事長



 シンポジウム

  五味洋治 氏 (東京新聞編集委員、

           早稲田大学日韓グローバル研究所招聘研究員)

  惠谷  治 氏 (早稲田大学アジア研究所招聘研究員)

  徐  義東 氏 (韓国 京郷新聞東京支局長)

  古田博司 氏 (筑波大学大学院教授)


テーマ:

  早稲田大学アジア研究機構シンポジウム

  「金正恩の北朝鮮」


と  き: 2012年2月6日(月) 
      14:00〜17:00 (受付開場13:30)

と ころ : 日本記者クラブ (日本プレスセンタービル9階)

      東京都千代田区内幸町2-2-1

Tel 03-3503-2721
      
お問合せ:ユーラシア21研究所
        虎ノ門フォーラム事務局
MAIL: t-forum@eri-21.or.jp  

TEL: 03-5545-9955

FAX: 03-5545-9951

マラウイ、ホンネとタテマエ事情 [2012年01月24日(Tue)]










アフリカ南東部のマラウイで、
ズボンやミニスカート着用の女性襲い、
裸姿にする事件多発していると
CNNが伝えています。

それによると、マラウイでは
伝統的な衣装ではなく
ズボンやミニスカートを着用した女性が
街頭で襲われ、
裸にされる事件が最近相次ぎ、
「民主国家なのに暗黒時代に
戻そうとしている」などと怒る女性活動家らによる
抗議デモが20日起きたというのです。

事件は同国の2大都市である
リロングウェやブランタイアで
今週発生したもので、
あるケースでは「ズボンなどの利用は
伝統を無視している」と反発する男の露天商が
女性を殴打し、衣服を剥ぎ取っていました。

騒ぎを重視したムタリカ大統領は
警察に襲撃の加担者の逮捕を命令。

国営メデイアを通じての演説では
「女性は自ら望む衣服を着る権利がある」と
説きました。

商都ブランタイアで19日に実行した
抗議デモには
ズボンやミニスカートをはいた女性が参加し、
露天商を非難する字句が
書かれたTシャツも着込み、
気勢を上げたようです。

マラウイはかつて英領ニアサランドと
呼ばれていました。

1964年に独立し、国連にも加盟しました。

66年にはマラウイ会議党 (MCP) による
一党制国家となり、
その党首である
ヘイステイングズ・カムズ・バンダが以後、
30年間にわたって大統領の地位に
留まっていたのです。

マラウイは長らく、
国民の主要な出稼ぎ先であるという
経済上の理由から
アパルトヘイト時代の南アフリカ共和国と、
また、イスラエルや台湾とも
外交関係を維持し、
共和国からこうした国々から
大きな経済支援を受けていました。

私も1980年代に何度か訪問しましたが、
首都を最大都市ブタンタイアから
リロングェに移したときなど、
政府公官庁の建物一切を
南アに建築してもらったと、
案内する政府高官がむしろ
嬉しそうに語っていました。

わが国からも青年海外協力隊が
最も大人数を派遣していた時期があり、
私はこれは、南ア、イスラエル、台湾という
当時、世界で孤立化を強めている
国々であることを考えると、
もう少しコントロールすべきではないかと、
関係筋に強く進言したことがあります。

1990年代になって急速に民主化が進められ、
上記3国とも距離を置いたり、
断交したり、国交の調整を行イました。

まず、複数政党制が認められ、
94年の選挙では統一民主戦線の
バキリ・ムルジが大統領に当選し、
ついで、2004年の選挙では
民主進歩党のビング・ワ・ムタリカが
大統領に当選しました。

 しかし、バンダ大統領当時は、
女性の服装には特に厳しく、
ノースリーブ、ミニスカート、パンツルックは
厳禁でした。

それでいながら、こんなこともありました。

日本の政府筋の仕事でマラウイに出かけたときの
ことです。実は秘かに某筋から連絡があり、
なんと私がVIPとして
別の出口から出るようになるという
「歓迎振り」を示され、
とある政府筋の方から
成田空港で「書籍です」と段ボールを
1箱預かりました。

 どうやらこれが決め手だったようです。
あとで知ったのですが、
これが全部、日本女性のカレンダー(中身は不詳!)で
政府要人へのお土産として
持たされたのでした。

最近ではこんなこともあったようです。

2011年2月、「民主主義の国となったことで、
国民がところ構わず放屁をするようになった」
という理由から、
公共の場所での屁を禁止する法案が
提出されたのです。

いささか奇抜なようですが、
日本ではとっくに放尿の禁止に関する法令が
できています。すなわち、
1908年の警察犯処罰法で
「街路放尿犯」が定められ、
さらに1948年の軽犯罪法で「街路又は
公園その他公衆の集合する場所で、
たんつばを吐き、又は大小便をし、
若しくはこれをさせた者」には
1年間の懲役もしくは100万円以下の罰金を科すことが
できるようになっています。

しかし、放屁に関する取り締まりはありません。

日本とマラウイ、
どっちが進んでいるのでしょうね。
ソ連崩壊から20年Bエストニア [2011年12月31日(Sat)]
  


   

    1991年、独立回復後から現在に至るまでの国旗は、
   1919年にこの国が独立してから
   39年にソ連に吸収合併されたときまでの
   国旗と同じ。

    青はエストニアの空・湖・海を表わすとともに、
    エストニアの国民を象徴し、
    希望・友情・団結を表す。
    黒はエストニアの大地と
    暗黒時代の悲しい歴史を忘れまいとする
    強い決意を示す。
    白は雪と国の発展、人々が力を合わせ、
    幸福を追求しようという意思を表す。




     

      ソ連邦の一員であった
     1941年から1991年までの
     エストニアソビエト社会主義共和国時代の
     エストニアの国旗。













       
エストニアでは
2001年には、横三色旗を
スカンジナビア諸国に共通の十字型の
デザインに変更しようとして
具体的な提案がなされたが、
未だ改定には至っていない。








ソ連を構成していた共和国は15、
その連邦加入の経過にはいろいろあるが、
バルト3国(B3)、すなわち、エストニア、
ラトビア、リトアニアは、列記とした
独立国で、各国と外交使節を交換してした
にもかかわらず、第2次世界大戦中、
巧妙かつ狡猾な手口で、
ソ連に編入され、かつ、
多くの指導的立場の人々は「シベリア送り」
となった。

 これを怒ったアメリカはワシントンの
B3大使館をそのまま外国公館と認め、
そのステイタスを与え続けていたのであった。

 1991年8月、モスクワで起こった
クーデター未遂直後に、B3は独立回復を
宣言、翌月、国連に正式加盟した。

 爾来、ロシアとは極力距離を置き、
CIS(独立国家共同体)に
加入しないのはもちろん、
2004年には、いずれも
NATOとEUへの加盟を果たした。

 年率8%もの順調な経済発展を続ける
エストニアは今年、2011年、
ユーロを採用し、西欧諸国との
一層の経済統合体制に入った。

 特に、通信・IT部門の発展は
目覚ましく、映像を見ながら
話せる電話SKYPEはこの国に
本部がある。

 人口130万のエストニアでは
毎年夏に、10万余の人による
大合唱祭が屋街で行われる。

 この国独自の繊細な文化は
大国ロシアとはとても同調できない
ことは、ソ連時代から
実は、この国を知る誰でも
感じていたことではなかったか。
           (つづく)

★    ☆    ★

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