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8月20日20時からNHK総合テレビで [2013年08月19日(Mon)]
mr_fukiura.jpg

国旗のホームページは、
ほぼ毎日更新しておりますが、
どうも、なぜか、どうしたものか
6年間徒然なるまま書き綴ってきたブログから
遠ざかってしまっています。

多くの方からご心配・叱咤激励を戴き
御礼およびお詫びを申し上げます。
しかしながらと申しますか、
おかげさまでブログも更新できぬほど?
健康で多忙にしております。 
今年はなにかさまざまな分野で集大成
のような活動になっているようです。

その一つともいうべきか、
明日8月20日の20時〜NHK総合にて
放送の『1964東京オリンピック』の
特番に少し出演します。
番組は19日から3日間の特集で
「感動の開会式」が初日で、
私が出るのは2日目の
「こうして東京誘致に成功した」です。
7月9日正午前、猛暑の国立競技場の
アリーナにて、収録を終えました。

あの東京オリンピックから来年で50年。
当時まだ早稲田の学生だった私は、
東京オリンピック
組織委で最年少職員でした。

この番組は当時の回顧談で、主として
田畑政治(まさじ)組織委初代事務総長
の貢献を語らせていただきました。

開会式までにはさまざまなドラマがありました。
組織委で働く若き私が
学ばせて戴いたことは数知れず。
国旗のホームページの方には少し書きました。

お時間があれば
明日の放送もご覧戴ければ幸いです。

明けましておめでとうございます [2013年01月05日(Sat)]


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謹んで新春のお慶びを申し上げます。

平素のご愛読を深謝し、新しい年もよろしくお願い申し上げます。

みなさまからたくさんの年賀状を頂戴し、昔のことを懐かしんだり、健康回復を喜んだり、お子様の成長を寿ぎ、新たな挑戦に拍手したり、大同小異はあろうとも国を憂い、平和と発展を求める気持ちに共感したりして正月を過ごしております。

2013年、各国はさまざまな課題や重荷を抱えたまま新年を迎えました。しかし、昨年は多くの国で政権が変わったり、現役苦戦の再選を果たしたりという動きがありましたが、そうした政権がこの難局にどう取り組むかが今年の注目点かと思います。

安倍政権は7月の参院選でのネジレ解消を目指し、国民に実感の伴う景気浮揚策をタイミングよく採り続けなくてはなりません。それができてこそ、得意の外交、安保、教育などの分野で力が発揮できるわけですので、ここは辛抱のしどころです。移ろいやすい国民の政治意識の未熟な面とどう折り合いをつけるかが肝要です。

ただ、だからといって国家主権にかかわることをないがしろにしてはなりません。毅然としつつ、柔軟に思考し、練度の高い政治的リーダーシップを図る必要があります。

そのためには国民も、メディアも自重と協力の精神を発揮する必要があります。政府に求めるばかりではなく、自己責任、自己努力ということに、「まず隗より」の精神で私も念頭にさまざまな約束を自分としました。

実は、失礼ながら、恒例のウィーン・フィルのニューイエアー・コンサートを聴きながらこの一文を書きました。シュトラウス一家の作品を巧みな構成と演奏で、「これを聴かないと年が明けた気がしない」というのは私だけではないと思います。中欧ウィーンの民族性の強い音楽で、21世紀の、その名もFar East、極東の「老生」が感動するんですから、「真に国際的なものは真に民族的」であり「その民族により練り上げられたもの」であると思います。

私自身、挑戦すべき課題の多い1年になりそうです。

昨年2月末まで、連日、ほとんど複数回更新し続けた小欄ですが、「IT格差容認」としか思えない小欄運営の方針とシステムの変更に「老生」は完全に切り捨てられました。難しくてついていけないのです。ですから、引き続きご愛読をなどとはとても言えませんが、どうかご寛恕くださり、せめて逆に昨年の元旦から始めた「タディの国旗の世界」をご愛読ください。「上(canpan)に政策あれば下(私)に対策あり」で1年間、こちらは少なくとも毎日1回、時には複数回更新し続けました。今年も頑張りたいと思いますので合わせておつきあいください。


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今夏の鳥海山、登山を諦めました [2012年05月10日(Thu)]



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  昭和20年代の鳥海山登山仲間。筆者は左から2人目の丸刈りの
 「かわいい坊や」。帽子は今も昔もほんとに苦手。



まことに情けない話ですが・・・
今年の夏、
秋田・山形県境の鳥海山(2236m)に登るべく、
私なりに準備していたつもりでしたが、
予定の3か月前である今週、
ついに諦めました。

国会の定数削減と、私の鳥海登山と
どっちが早いかなどと
ふざけていましたが、
両方とも見通しが立ちません。

 諦めた理由の最大は、
生来の怠け心と弱音に加え、
本番の前に1000m級の山に
登って試すつもりでいたのが、
どうにも時間が
とれそうにないという
日々の日程です。

「荷物」を軽くしようと
80台後半であった体重も
70台後半までダイエットし、
いまや目標の74sも視野に
入っています。

毎日、原則として
駅までの約25分を歩いて通勤するという、
かつてないことも
続けてきました。(35年間、
自動車を運転して通勤)

 しかし、ここ数日、
あいつぐ中高年の遭難事故が
紙面をにぎわしています。

 確かに60年ほど前、
中学1年生の時、
担任の藤原立宏先生に引率されて、
元気いっぱい、
麓(秋田県矢島口)から
鳥海山の頂上を極めました。

それが今では鳥海山のかなり上まで、
自動車で行けるというのに、
しかも、
麓がその名も山形県「吹浦」(ふくら)口
からというのに、
われながら情けなくもあるのです。

しかし、ここは、
高齢者の単独登山など
すべきではないという
結論に達しました。

 藤原先生には2月に、
「やります」とご挨拶に参上した手前、
なんとも格好悪いのですが、
「身のほどを知った」不肖の弟子として、
許しを請い、
次回の挑戦にご期待?願うほか
なくなりました。
講演も声楽も中身とともに姿勢が肝要 [2012年04月01日(Sun)]




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話するときや歌を歌うときの姿勢が悪いというのは私の大きな弱点だ。

下を向くな、表情が硬い、総論と各論を交えよ、結論をビシッと言え・・・は講演するにあたっての、師匠・橋本祐子(さちこ)先生、末次一郎先生からのご指導、
スマイルがない、レガート(滑らかに)を活用して聞かせよ、色気がない、手が遊んでいる・・・は声楽を師事した松田トシ先生、飯田悠希世先生からのご指導・・・

私にとっては、これってホントに深刻な教えです。なかなか守れないのです。

橋本先生は、「面白いだけでいいのではない。ユーモアは聴き手へのサービス、本筋ではない。感心されるだけでもダメ、情熱に感染させて、行動づけてこそ価値がある」。

末次先生は「客席の7割くらい後半のところに二人ぐらい、具体的にこの人とこの人に話すという相手を仮想し、その二人に向かって話をしてみなさい」。

松田先生は、「詩人が何をこの歌で言いたいのかを出演の直前まで想起しなさい。ピアノ譜を思いながら歌いなさい」とも教え、
飯田先生は「歌は呼吸、発声は努力。高音も低音も怖がらないで出ない音に挑戦しなさい」。

そのほかにも何人かの先生にも同じようなご指導いただいたことがある。アンネット・ストゥルナートさんは「手や表情が歌手の情熱を感じさせ、説得力を増やす」と教え、ジュゼッペ・ジャコミーニさんからは「自信をもて、その詩人になりきることだ。堂々と」と教わった。

以上いただいたご指導は、みな私の「気弱」で、「自信なさそう」で、「東北の片田舎から出てきた控えめさ」という、親しい仲間や友人は私にはおよそ感じないらしい致命的欠陥である。

爾来、講演前の一時には、一人静かに控室で瞑想、諸先輩、諸先生の注意を思い浮かべて深呼吸する。挨拶に来て下さる方々が多くて、それが出来なければ、トイレに逃げ込んででもする。

そんな私が先日、神戸でのロータリークラブ50周年、同 いそなれ会(女性部)40周年での講演では、自分では「まずまずのでき」だったと思う。私も分を心得ていますから舞い上がりはしませんが、想定外にお褒めいただいた。そして送られてきた写真数葉を見ると、カメラマンがいいのか、私にしては恩師たちの指導・助言を活かしているような気がしていつもより少々、嬉しい。

4月に入った。今月も来月も、有難いことに、首都圏や九州でお話しする機会やテレビ出演が続いている。しっかり、話す内容を消化し、情熱を胸に、活き活きとしゃべって、お聞き下さる人を行動づける・・・歌でも話でも、これは、依然、70路の私の挑戦課題だ。
震災から1年 [2012年03月11日(Sun)]



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昨年のきょうをを思い浮かべつつ、
東日本大震災で亡くなられた方々に
謹んで哀悼の意を表し、
被災地域の一日も早い復興・再建を
衷心よりお祈り申し上げます。
自ら始めるべし・恩師との再会 [2012年02月13日(Mon)]





      恩師・藤原立宏先生は80台半ばでなお、心身とも衰えず。
     自らを律し、愛情たっぷりのご夫婦でのお暮らしぶりを
     拝見させていただきました。








「まず、自ら始めるべし」とは、
秋田大学学芸学部付属中学校
1年B組の教室で、今でも尊敬おくあたわざる、
当時の担任教師・
藤原立宏先生にリーダーたるものの心得として
教わったこと。

すっかりご無沙汰していましたが、
3日前、雪の秋田で1時間余
ご挨拶することが出来ました。
歓待に感謝します。

帰路、新幹線の中で
「自ら」の「自」という文字の言葉を
思いつくままメモしてみました。

<最近多い「自」、少ない「自」>
自転(車)/
自動(自動車、ATM、駐車場、PC、携帯)
/自販/自弁/自腹/自費/自民

<努め、大切にすべき「自」>
自己(責任)/
自己(実現・犠牲)
/自分/自宅/自国/自衛/自覚/
自立/自助(努力)/自尊/
自律/自戒/自愛/自家/
自我/自学/自発/自給/
自警/自治/自適(悠々)/
自主/自身/自信/自炊/
自若(泰然)/自習/自浄/
自制/自説/自然/自由/
自律 autonomy(自分の考えで行動する)
/自立 independence/自在
/自業自得/自責/
自問(決断・助言・友人・家族)

このうち、自己、自助、自立、自律、自主の
5つは、ウシオ電機の牛尾治朗会長が
大切にしたい徳目として呼びかけている項目。

<残念な「自」>もいろいろあります。

自己(中心)/自害/自壊/自傷/自棄
/自虐/自刃/自失/自縛/自称/自滅
/自賛/自供/自首/自爆/自噴/自慢
/自明

1つひとつに、いろいろな意味があり、
私の分類は不十分かもしれませんが、
とにかく、今年は少し余裕を持って、
「自」を見つめて
日々を過ごしてゆこうと思います。

藤原先生、奥様
引き続きご指導、ご鞭撻ください。

神戸の皆様、どうぞ! [2012年02月05日(Sun)]





















謹賀新年 [2012年01月01日(Sun)]







   八ヶ岳中腹・海抜1900m地点で。



  小欄を今年もよろしくお願いいたします。

  また、元旦からスタートした「タディの国旗」HPも
 ご愛読ください。

 「国旗を知ることは国際理解の第一歩」
 であると確信して、書き続けたいと存じます。

                      吹浦忠正
12月は悲しい、哀しい・・・ [2011年12月10日(Sat)]





  挿画は、石田良介画伯のご厚意によるものです。





 昨日は父・忠治の、19日は兄・忠晴の命日です。

 家族のことは、時々、胸にこみ上げてくる
つらさと懐かしさに襲われますが、
今年は、お世話になった方々が相次いで
他界され、
今週は6日に、トルコの余震で亡くなられた
宮崎淳くんの「おわかれの会」、
今夜は、私が最後の弟子だった
声楽家・松田トシ先生の通夜式と
私が理事長を務める
東京コミュニティカレッジの
小泉多希子元理事長(50年前の創立者)、
竹田倫子前理事長代行(先月逝去)姉妹を
しのびながらの「卒業生のつどい」、
そして明日は午前中に松田先生のご葬儀、
夕方は、まだ公表できないのですが、
私が弟のように可愛がって50年近く
つきあってきたAくんの通夜式、
明後日の午前中がその人のご葬儀、
20日は、台湾独立運動の旗手・
黄 昭堂先生の「お別れの会」
そして22日は竹田先生の「おわかれの会」・・・

みんなほんとうに立派な人だったし、
もう少し待ってほしかったと
最後まで祈った人たちなのです。

今年は、忘年会もクリスマスのケーキも
止めにして、せめて一杯のワインで
ご厚誼への感謝を胸に静かに
それぞれの目指したものを求め、
、偲ぶことにします。
                合掌
東京コミュニティカレッジの理事長に [2011年11月29日(Tue)]












「個人と集団、社会を結び、生涯学習を通して
“自己成長”と“共生”の道を学び、
ボランティアマインドをもって
社会に還元することを
設立理念とし」、
この理念を目的とした
「講義、カウンセリング講座、ワークなどを中心に
活動を展開してい」る
特定非営利活動法人東京コミュニティカレッジの
理事長に就任いたしました
(もちろん無給、持ち出し)。

 この社会教育団体は1963年の創設ですから、
まもなく50年目を迎えます。

1963年、泉多希子先生を中心に、
戦中戦後、実質的に教育の機会が
十分でなかった女性たちが相集い、
子育てのさなかであっても、
自主的な勉強の機会をとしてのスタートであると
聞いております。

早くから三笠宮崇仁親王殿下には
名誉会長として、また、
多年講座もお引き受けいただきました。

竹田倫子先生や今、挙げた方々、そして、
関係者が美濃部亮吉、中曽根康弘、
永井道雄、若泉敬といった諸先生など
著名な方々にも声をかけ、
相集い、自己改革と心の豊かさを求めつつ、
自他共生の社会づくりを目指して
出発したものでした。

 私は1970年、当時理事であった
中曽根康弘氏が防衛庁長官に就任し、
全ての役職を辞した際に、
そのご指名で30歳にも満たないまま
理事になりました。

 途中、数年間、
理事を抜けたこともありましたが、
今となっては最長期間理事であったことと、
瀬尾秀彰理事長が病に伏し、
竹田倫子理事長代行が急逝しということで、
急遽、浅学菲才の老生が
あとを継ぐことになったのです。

 今日は三笠宮さまのところにご挨拶に
行って参りましたので、
小欄でも書かせていただきます。

 実務は常勤の理事さんたちが
何人もいらっしゃいますので、
全く負担にはなりませんが、
最初の仕事は、
12月22日に津田ホールで挙行される
竹田先生の「お別れの会」で
弔辞を読むことになりそうです。

 このカレッジはいうならばカルチュアスクールの
先駆者であり、ながらく財団法人だったのですが、
竹田先生などの努力で、
先年、NPOに組織替えしたものです。

 これまでの伝統に立脚しつつも、
新しい理事さんたちの21世紀的発想も活かし、
来年度からは新たな形でのスタートを
切りたいと思っています。

 みなさまのお知恵を
拝借したいところです。
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