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小学校の先生に言われました [2010年02月08日(Mon)]






 

 小学校5年生のとき、作文の発表会で担任の先生に言われました。
 「自分で書いた内容でしょう? よく知ってることを話しているんでしょう?
 自分の言葉で話しましょう。
  北方領土返還要求全国大会で、この人だけが、お母さんが、もとい、
 官僚が書いたであろう作文を、ほとんど棒読みしました。残念!

 









 昔、秋田で、小学校の先生がおっしゃっていました。 「大事なことはちゃんとノートにメモしながら話を聞きなさい」。
 小欄は、過去4年、この人を褒めたことがないのですが、メモをとって話を聞いていた唯一の人であったことは、正確にお伝えしなくてはいけません。













  会場で隣合わせに座ってた小学校の先生がおっしゃっていました。「他人の話を聞くときは腕組みをしたり、頬杖をつくのは失礼です。不遜です」。壇上でこの二人がそうでした。

地名・タクシー談義 [2010年01月15日(Fri)]












私「霞町のアマンドのところ左に曲がって100mほど
  行ったあたりまでお願いします」

タクシーの運転手「ん? うんうん、西麻布ね」

私「そうでした。最近はそうなったんですよね」

運「最近なんてもんじゃないですよ。もう、2,30年になりますよ」

私「もう、そんなになりますか」

運「私もこの商売33年やってけど、旦那も古いね」

私「いい名前のところがどんどん消えちゃったね。
  私なんか、今でも尾張町の交差点っていうもんね」

運「それでも霞町という人はまだたまにいますよ」

私「西だ東だというんじゃ、地方から来た人でなくたって
  方角が判んなくなっちゃうよね。で、尾張町は?」

運「もう、そういう人はいないね。銀座四丁目の交差点でしょ?
  私さえ、とまどっちゃうよ」

私「田村町は?」

運「新橋の交差点とこだったよね」

私「佐久間町は?」

運「西新橋一丁目」

私「材木町は?」

運「?」

私「ほら、六本木ヒルズのあたり、いや、
  アークヒルズ付近だったかな」

運「わかんないね。神谷町は地下鉄の駅の名前」

私「高樹町は」

運「インターだよね。町はないもの」

私「学芸大前だの都立大前なのってのも困るよね」

運「学芸大は西東京に、都立大は町田のほうに行っちゃいましたね」

私「受験生なんて地方から出てきて困らないかな」

運「新宿区や千代田区はまだ古い名前が残ってますよね」

私「坂町、柳町、荒木町、左門町・・・」

運「本村町、揚場町、住吉町に愛住町、榎町・・・」

私「番地がいらなくていいやね」

運「せめて昔の江戸城下か、山手線の中くらいはそういう情緒ある
  名前を残してほしかったですよね、旦那」

私「林修三さんという
  池田、佐藤内閣あたりに法制局長官をされた方が中心になって、
  ご自分のおられた新宿区民が頑張り通したからだと、
  ご本人から聞いたことがありますよ」

運「その先生は偉いですね。旦那もそのお知り合いってんですから、
 偉い人なんだ。ね、旦那」

 18歳のとき、池袋の大踏切をタクシーで通過するとき、
なぜか、「旦那」と言われてから、久々に聞いた「旦那」で、
すっかり妙な気分になり、
軽口?が弾みました。チップは弾みませんでしたが。
流行語大賞は「政権交代。」か [2009年11月17日(Tue)]





  挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で
 掲載させていただいております。禁無断転載。







 今年も自由国民社による流行語大賞の選考の時期。

 あなたの予想はいかがですか?

 大賞授与式にその言葉にゆかりのある人が来なくては
盛り上がらないので、私の予想は

「政権交代。」・・・・鳩山首相か幸夫人の出席
「友愛」・・・・・・・・・鳩山首相の出席でしか盛り上がらない
「愛」・・・・・・・・・・・直江兼続を演じた妻夫木 聡

といったところ。

 知恩院の貫主が書く1文字は、
「愛」かな。「友愛」の愛で、兼続の兜の「愛」。
野坂昭如さんの詩 @ [2009年08月21日(Fri)]










歌は思い出の箱
過ぎし日々が立ち上がる・・・

朝、柄にもなく
三木露風の「ふるさとの」の歌を稽古していたら、
なぜかこの野坂昭如さんの詩『もう一度歌おう』が浮かんできた。

あの日 空は青く
あの日 川の水はガラスのように
光っていた 僕はひとりぼっち 十四才
あの日 僕はひたすら腹がへっていた
僕の周りは誰もいない
聞こえるのは遠い波の音
ザザーッ ザザーッ ザブン
波が寄せて 僕の裸足の足を洗う
敗戦の日から三日目 
僕はひとりぼっち

あの日 アメリカの空襲があった
それは 僕と父の間に焼夷弾を落とした
僕は父の手をしっかり握っていた
父は死んだ
あの日 大人になった

八月十五日 この日からこの国は 始まった
かつて この国は神の国だった
この日から 人の住む島国となった
僕は生き残った
どうしてこの国を見捨てられよう
君のしらないあの時代 戦争があった
(中略)

今 つくづく思う
くり返してはならない愚かな行いを
忘れてはいけない悲しみを
この平和な大空に
飛ぼう 歌と共に
雲より高く 鳥より速く
風を追い越して
あなたと二人なら いい
もう一度 歌いたい
あなたお二人
もう一度 歌おう
もう一度 歌おう

 2ヶ月ほど前、紀尾井ホールでの
「天満敦子デビュー30年、小林亜星喜寿記念コンサート」で
天満さんの演奏をバックにこの詩を小林さんが朗読した。

 あの巨体にふさわしい朗々とした声で、それでいながら
実に繊細に、詩を生かした読み方だった。

 先月、小林さんと食事する機会があった。
「野坂さんは病院だよ。なおってほしいなぁ」といいつつ、
「彼は敗戦のときに14歳、私は13歳、多感なときだったよね」
と過ぎし日々へ思いを馳せる。野坂さんの全快を祈る。

一度お会いしたい人だ。そして、小林さんと一緒に、
この『もう一度歌おう』を歌い、「過ぎし日」を語り合いたい。          (つづく)
ズンダモチの故郷は? [2009年06月30日(Tue)]






 「ズンダモチ」。ウィキペディアより






どなたか、ズンダモチで
まちづくりをしているところを
ご存知ありませんか?
くちなしと母ちゃん [2009年06月22日(Mon)]













聖心女子大でのくちなし(梔子)の花について、
昨夜、小欄は

「純白のなんとも言えぬ香りと風情、品の良さ、柔らかさ、優しさ…」と
書きましたが、早速、埼玉県深谷市在住の
「姫野宇多好」さん(たぶん筆名)から、一句が参りました。

   くちなしの 花を見習え わが妻よ

ときました。

「川柳は世界一短い小説」であると、かの
川端康成は喝破しているが、まさに名句!


”選者”たる私なら、この名句をリメイクして、

   くちなしを かあちゃん 少し見習えよ

とでもしたい。いかが?

   (本稿、わが妻・見ることを禁ず)
テレビ出演とブログの執筆 [2009年05月14日(Thu)]











 昨夜はメディア関係の友人と六本木で会食していたのですが、
その間に、「今、テレビで見ました」という、電話やメールを
いただいてしまいました。途中で電源を切りましたが、
友人には失礼しました。

「爆笑問題のクイズ雑学王」(テレビ朝日)に、
バングラデシュの国旗について、
解答者として録画出演していたのです。

 明日は20時からの「日本を変えた100人」(テレビ東京)で
相馬雪香難民を助ける会会長について語りますが、
それは録画で、実際には19時から「日露関係と北方領土」という
文化チャネルさくら(CS)の生放送に出ています。

 ですから今週の3つは、どれも自分では見ることが出来ません。

 来週の月曜日(18日)にはNHKの方が、夏にオンエアする
捕虜問題について最初の打ち合わせにいらっしゃいます。

 さらに25日にはMXテレビでの1時間番組「対露外交のあり方」で、
モデレータとコメンテータを務めます。

 私はテレビは映像にならないものは報じないという姿勢が嫌いで
いわば忌避してきました。しかし、学生たちといろいろ付き合うと、
「テレビで受け入れられている人は真実を語る人」という神話?が
あるようで、その神話を崩せない以上、
無碍に嫌悪していてばかりではいけないのかなぁと
最近は思うようになってきました。

 しかし、諸全、テレビは映像に幻惑されたり、
バーチャルなものであったり、
一方通行のものであり、また、あまりに時間が短いです。

ですから、さまざまな陥穽のあるものとの基礎に立ち
応分の役割を担ってゆく程度にしたいと思います。

 自分のホンネは、まず、小欄だということを確信しつつ、
日々、物事を考え、発言しててゆきたいと念じています。
これは何? [2009年04月18日(Sat)]











 これは何でしょう?

 都会の子供には、わからな光景でしょうね。

 秋田で18歳まで暮らした私には、とてもとても懐かしい
春そのものの様子です。


皇居の桜に思う [2009年04月07日(Tue)]





   駒沢公園でに。4月7日朝。









 近からば わが庭ざくら 北支那の
   たむろに折りて やらましものを

 この歌は、日露戦争のさなか、1905(明治38)年春、
おそらくはちょうど今頃、明治天皇が御詠みになった短歌です。

 同年3月10日の奉天大会戦まで、日本軍は死屍累々、
世界最大の陸軍国ロシアを向こうに回して、
よくぞ
戦勝を重ねていったと思います。

 この戦争は、5月27日の日本海海戦で決着し、
サハリンでの戦闘を最後に、
9月3日のポーツマス条約で集結したのはご承知の通りです。

 春、桜の季節、
明治天皇はあらゆる意味で気が気ではない日々を
お過ごしになられていたに違いありません。

 桜の枝、私は今上陛下が東宮でいらした頃、
戦時中、カウラ(オーストラリア)での
捕虜脱走事件に話が及び、
当時のカウラ会の会長が今、余命いくばくもないことを
申し上げたところ、
自ら庭に出られて、桜の大きな枝を折られ、
黒田侍従に渡された。

その場から侍従とともに
私は大井町のその方のお宅を訪ねました。
病床に臥しておられましたが、身を起こし、
しばし、枝を捧げ持って涙しておられました。

 陛下の優しさに、私ももらい泣きしたのはいうまでもありません。

 あれから35年、去年の3月のことです。

夜、吹上御所で拝謁したとき、
陛下が自ら庭で摘まれたつくし(土筆)が調理されて
お皿に盛り付けられていました。

  君がため 春の野に出でて 若菜摘む
   わが衣手に 雪は降りつつ

 言わずと知れた、
光孝天皇が詠まれ、「古今集」や「小倉百人一首」に選ばれている
名歌です。

 何を言われなくとも、しっかり職務に励みなさい、
世のためひとのため尽くせよ
というお気持ちが、私の頭に強く伝わり、
しばし、箸が止まりました。

 両陛下とのことはいっさい非公開にすべきなのでしょうが、
春の今宵、
あまりに桜がきれいで、
つい、浮かれて
一言多く、しゃべってしまいました。
地球的規模の課題一覧 [2009年03月31日(Tue)]











好むと好まざるにかからず、今やグローバリゼーションの時代、
人類が挙げて取り組むべき課題を
とりあえず、
しっかりと数え上げてみたい。順不同。

感染症(エイズ、新型ウィルス・・・)

科学技術・医療の発展、

気候変動(地球温暖化、砂漠化・・・)、

自然保護、

戦争の防止、

冷戦の残滓(朝鮮半島、両岸問題)

未解決の領土問題(北方領土、竹島・・・)

国際テロリズム、

大量破壊兵器の拡散、

小型武器の蔓延と不法取引、

国境越えた組織犯罪の横行、

麻薬の製造・取引、

人身売買、

地域紛争、

非人道的行動と人道的国際協力、

開発、

少数民族の人権抑圧(チベット、東トルキスタン、クルド・・・)

民族的な対立、

独裁勢力による国民の人権抑圧(北朝鮮、ミャンマー・・・)、

海上航行の安全(ソマリア、マラッカ海峡)、

人口問題(増加と少子化)、

違法移民、

金融危機、

自由貿易の維持・発展、

投資保護、

国連改革、

国際法の尊重、

公平感の醸成、

エネルギーや水、

経済格差、

教育格差、

汚職、

サイバー犯罪、

文化遺産の保護、

「一人では出来ないから、まず一人から始めよ」
「一生かけても出来ないくらいのことに一生をかけよ」

わが師・橋本祐子(さちこ)先生は、
いつもこうおっしゃっていました。

「健康で長生きし」多少たりとも、その改善・解決に
貢献しなくちゃ、とマジに思う日々です。