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「今どきの中学生」に拍手!―石巻・湊中学校生 [2012年04月18日(Wed)]



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 東日本大震災で校舎が流された宮城県石巻市立湊中学校の3年生12人
(全員女生徒、引率者なし)が、18日昼、社会福祉法人さぽうと21を訪ねてくれました。
東京駅から目黒駅前の事務所に直行してきたのだそうです。

 東京への修学旅行の自由研修の中で、同校吹奏楽部員たちが、
楽器を提供したさぽうと21にお礼を言いたいとやって来たのです。
最初、理事長である私と懇談した後、姉妹団体である認定NPO法人難民を助ける会の
職員数十名が一緒になり、各生徒がそれぞれに
「演奏を続けられたことが何度も折れそうになった心を支えた」
「コンクールに出場できてよかった」「伝統が消えないでがんばることが出来た」
などとお礼の言葉を述べてくれました。

また、質問に答えてどの子も「家族を亡くしました」「祖父祖母が行方不明のままです」
「自宅が全壊しました」「実験教材がありません」・・・と涙もなく語るのです。
生徒たちも緊張していたのでしょうが、こうなるとこっちも緊張します。

言われてみれば当たり前ですが、全員、阪神淡路大震災から数年経って生まれた
私にとっては孫の世代なのです。今の学生がみな平成生まれなのと同じで、
いまさらながらちょっとびっくり。

 最後に、
「きょうこれからどうするの? お昼は?」
「渋谷を歩いて、どこかに入ってみんなで食べます」
「あとはどんなところに行くの?」
「ミュージカル・ライオンキングが楽しみです」
「それとディズニーランド」
もう、微笑いっぱいです。

 私たちの中学3年の修学旅行は、青函連絡船で北海道に渡り、函館近郊でトラピスト修道院、
札幌で時計台、クラーク博士の胸像、ポプラ並木・・・、思えば60年近く前のこと、
うん、今の中学生にはこの行程でいいんだろうと、心配しつつもなんとなく納得して、
「ジジ」は一人蕎麦屋の暖簾をくぐりました。

 いやぁ、それにしても、まず楽器をくれたところにお礼に来るというその気持ち、
先生方のご指導あってのことでしょうが、うれしかったなぁ。
湊中学吹奏楽部、がんばれよ。
学校教育:栃木県と秋田県 [2012年01月17日(Tue)]










 栃木県出身のジャーナリストY氏からの
メールです。

 わが秋田と比較してくださり、
光栄です。

   ✾  ✾  ✾  ✾  ✾

Y:故郷・秋田県の中学生の学力が
毎年、
全国一位であるのは今や
相当知られるようになりました。

私も何気なく知っていたのですが
民主党の
前文部科学副大臣・佐藤寛参議院議員は
秋田県は少子化傾向が続いても
小中学校の教員の数を減らさず
先生一人当たりの子供の数を減らして
子供が学ぶ環境を
改善して行ったことがある、と
指摘していました。

秋田県についで
子供の学力が高い福井県は
また
福井大学と協力して
教員希望の大学生の教員研修を
1年間続ける制度を作り
大学生が教育を経験しながら
子供の成長過程を観測することが出来る
ようにした結果
新任教員の質が
飛躍的に高くなったことがある、
とも指摘しています。

浅学の私には初耳で
近所の
小中学生を持つ母親たちに聞いてみたら
皆さん良く知っていました。
秋田県は更に
補助教員を増やしたことも
子供の学力を高くするのに貢献している、と
羨ましがる母親もいました。

そこで考えてしまったのは
秋田県、福井県も
学力ある子供たちを世に送り出しながら
過疎に悩んでいる。

勿論、人の価値は学力だけで測れるものでは
ありませんが、

やはり、学力を身に付けた子供たちがやがて
社会の中核として活動する人材になる訳です。

そうして育てられた人材が
能力を故郷、地方の活性化に貢献する
可能性が少なく、結局、
東京などの大都市圏の住民になり、
地域格差を広げるだけになっているのを
思いました。

一極だけが繁栄し、活発な地方がない国が
長期的には矛盾をはらみ疲弊するだけなのは
世界の歴史を見れば判ること。

俄かに、ではありますが
秋田県や福井県の努力がきちと活かされる国造りを
考えてしまいました。

吹浦:これは貴重な情報をありがとうございます。
納得しますね。栃木県はいかがですか? 

Y:どのように順序を算定するのか判りませんが
業界新聞によると
1位、秋田県、 2位、福井県、
3位、富山県、 4位、香川県、
5位、石川県、6位、青森県、などと続き
わが栃木県は30位です。

関東地方で
最も上位に位置づけられているのは
群馬県で16位、
次いで千葉県と東京都が同列22位、
それから栃木県30位
その後に神奈川県32位、
茨城県35位となっています。

いわゆる都道府県の個人所得では
栃木県は恐らく4位位になっており
全国水準では相当豊かな県です。

ただ
私の甥、姪、従兄弟の子供たちを見ていると
親も同じですが一般に
のんびりしていて受験などに
切迫感が無いようです。

調べてみないと正確なことは言えませんが、
教職員もそうかもしれません。

この素人の夢想を、どう思われますか。

吹浦:小欄は学校の先生方が結構見てくれていますので、
一度、皆さんに公開して、ご意見を求めてみましょう。
津波と教職員の決断D [2011年09月15日(Thu)]










畏友・名越健郎前時事通信
東北支社長の論文
「危機管理から見た東日本大震災」
(拓殖大学海外事情研究所の
『海外事情』7、8月号)は、
さらにさまざまな学校の悲劇を
伝えている。

宮城県東松島市野蒜(のびる)小学校の
ケースだ。

なぜか、
津波を予想したマップはいろいろあって、
安全かどうかもかなり度合いが違うようだ。

宮城県の石巻市立女子高校で見たものは
危険地域をもっと広く予想していた。

それにしても、なぜ、児童全員を
そして避難してきた住民を
3階に誘導できなかったものか。

現場をしらない私が言うべきことでは
ないかもしれないが、
惜しみて余りある。
           合掌

   ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

子どもの安否を気遣う家族や近隣住民らが、
海から600メートル離れた
野蒜小学校に集まった。

同校は市の指定した一次避難場で、
東北大学が監修した
市の津波防災マップでも
安全とされていた。

人々は学校の体育館と
校舎に分散したが、
やがて津波が200人近くがいた
体育館に海側から押し寄せ、
みるみる数メートルの高さになった。

多くの人が2階ギャラリーに逃れたが、
数十人が溺れて水死した。

3階建ての校舎側に逃れた人は
無事だった。

水が引いた体育館のフロアでは、
ピアノがひっくり返り、
5センチの厚さに泥が堆積。

その上に多数の遺体が散乱した。
津波と教職員の決断C [2011年09月13日(Tue)]












  畏友・名越健郎氏の論文は、
さらに岩手県の避難井成功した
例を紹介している。

  ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

 海に近い岩手県大槌町の大槌小学校や
宮古市田老第一小学校では、
いつもの避難訓練に沿って
教師が児童を裏山の高台に誘導し、
無事だった。

 この地区では、明治、昭和と
何度も津波被害を受け、
自治体はその記録を基に、
浸水の危険区域地図を作成。

 学校も避難訓練を繰り返してきた。

 死亡したのは、車や自転車で迎えに来た
一部の保護者と児童で、
平地を走行中に津波に襲われたのだ。

 生死はまさに紙一重の差だった。
 
 死者・不明者1300人を出した
岩手県釜石市では、
湾に面した鵜住居(うのすまい)地区が
津波で壊滅したが、
海沿いの小・中学校の児童570人は
奇跡的に全員無事だった。

 地震の後、教師は大声で
「てんでんこで走れ」と叫び、
中学生は小学生の手を取って
沿岸から高台へと一目散に走った。

 三陸地方には、津波が来たら
取るものも取らず、
てんでばらばらに逃げるという
「てんでんこ」の言い伝えがあり、
学校ではその教えが徹底していた。

津波を逃れるキーワードは高台なのだ。
           
  ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜

 てんでんこに逃げて全員無事だったのが
釜石市立釜石東中学校。

 今、生徒たちは釜石の中央部にある
釜石中学校に「居候」している。

 ここからは私の「想像」だが、
さぞかし肩身の狭い思いをしているのではないか、
もとい、避難の成功を喜び合い、
さぞや堂々と伍して勉学に、藝術にスポーツに
頑張っているに違いない。

 私が社会福祉法人さぽうと21の理事長として
この釜石東中学校にしてあげたことは、
校舎とともに流された吹奏楽部の楽器を
ひととおりそろえてあげ、
15人を推薦して、
8月17〜26日まで、東京経由、
ウラジオストクでの日露青年交流事業に
参加させてあげたことだ。

 引率教師は理科の佐々木俊先生。
「理科の教材も何もなくなってしまいました。
特に化学の実験用具がないのです」と
ウラジオストクから戻った晩、
上野で「反省会」をしたとき、
寂しげに語っていた。

 わが非力が情けない。

 きっと、釜石中学校の皆さんが、
気持ちよく、東中学校の生徒にも
貸してくれていることを祈るのみだ。
津波と教職員の決断B [2011年09月13日(Tue)]





   水はここまで来ていました。私の身長は168センチ、
  危機一髪で全校生徒を救った大曲小学校の玄関前で、筆者。







 名越健郎前時事通信東北支社長の論文は、
続けて2つの対照的な例を紹介している。

   ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.

高台もビルもない平坦な
閖上(ゆじょう)地区では、
人口の一割に当たる800人が
死亡・行方不明となった。

しかし、閖上保育所の所長は
大津波が来ると直感し、保育士らの
マイカーで子ども54人を分散して
3キロ離れた3階建ての閖上小学校に運び、
全員無事だった。

…………………………………

大川小学校。全校児童108人のうち、
74人が死亡・不明。10人いた教師も
生き残ったのは1人だけだった。

北上川の岸辺にある同校では、
地震による混乱の中、
教師が児童を校庭に集めて点呼を取り、
迎えに来た保護者らの対応に追われた。

教師らは避難先を議論し、
40分が瞬く間に過ぎた。その後、
広報車が「津波が来る」と叫ぶのを聞いて
ようやく学校脇の高台に移動中、
巨大津波が「ゴー」という音とともに
北上川を遡って襲来。

高台もろとも児童を巻き込んだ。

助かったのは、保護者が車で連れに来た
児童らだけで、
学校に残った児童は大半が死亡した。

★ .。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.

私(吹浦)は必ずしも
大川小学校の教職員を非難する気には
なれない。

 隣の東松島市の大曲小学校では
全員を校庭に集めて点呼。そこまでは
マニュアルどおり。

 そこで津波を直感した校長・教頭は
全員を校舎の3階に誘導した。

 そのときに、
児童を引き取りに来た保護者が9人の
子供とともに亡くなったという。

 ご遺族は、なぜ、引き取らせたのかと、
学校を告訴しようとしているとか。
             (つづく)
津波と教職員の決断A [2011年09月13日(Tue)]







































  石巻市立門脇小学校では日ごろの訓練と
教職員の判断と指導で、
この惨状に直接出あうことなく
児童全員が、裏の日和山に避難できた。

 しかし、近所の幼稚園では子供たちを
バスで避難させる途中で、津波にあってしまった。
津波と教職員の決断@ [2011年09月13日(Tue)]





    石巻市の日和山から石巻港方面を臨む











     石巻市立門脇小学校の現在












    門脇小学校のすぐ隣は墓地。同行したロレックス・ジャパンの
ブルース・ベーリ社長共々、思わず合掌した。












    門脇小学校1階の教室はあの日のままになっている













  門脇小学校の
玄関前には、おそらく、以前、
児童が植えたのであろう
歌壇の花が 数輪、
この夏にも咲いていた。






                   写真はいずれも8月19日、石巻市門脇地区で撮影







 拓殖大学海外事情研究所の月刊学術雑誌
『海外事情』(2011年7・8月号)に
畏友・名越健郎氏が
「危機管理から見た東日本大震災」という
玉稿を掲載している。

名越さんは8月いっぱいまで
時事通信社に勤務、バンコク、モスクワなどの
在外勤務が長く、
モスクワには14年も在勤しておられたが、
最後の2年間はせん代の東北支社長だった。

 現在、ユーラシア21研究所の
ロシア語によるHPの編集長のほか、
拓殖大学、秋田教養大学で授業を持つ。

 去る9日にはユーラシア21研究所の
非公開研究会で
一般には報道されていない震災の詳報を
話していただき、
非常時対応、メディアの報道のあり方、
自衛隊の諸事情等売るところが多かった。

 そこで、ここでは、
「海外事情」の論文から、主として、
震災時における各小中学校の
対応についての具体例について触れた
部分を少しずつご紹介したい。

 まずは、石巻市立門脇小学校。
この小学校は石巻港から1キロ程度の
ところにあった。

 今でも校舎の外枠と、
当時のままの教室の中が残されたままだ。
マニュアル、勇断、告訴 [2011年08月21日(Sun)]



   大曲小学校。地目oから1.7mのところまで津波が来た。
   自動車もガレキも押し寄せてきた。自衛隊の献身的努力で
   車もヘドロもかたつけられ、校舎の1階は依然、使用不可だが、
   8月4日撮影したときにはグラうンドで少年野球の練習が
   行われていた。






 宮城県東松島市立大曲小学校でのこと。

 3月11日の震災直後、
教委からあらかじめ示達されていた
緊急時のマニュアル通り、
全校生を運動場に集めた。点呼。

 その後、津波までの数十分、電気は切れ、
外部の住民向けスピーカーの音声は
放送していたのかどうかさえ、
わからなかったが、
津波が来るかもしれないというので、
学校長と教頭で判断し、
全員を校舎の3階へと登らせた。

 その間に、9人の保護者がやってきて、
わが子を引き取って下校した。

 内、7人が死亡、2人は依然、
行方不明という。

 噂によると、その家族が
下校させた学校の判断をめぐって
法的措置を講じようとしているとか。

 児童のご冥福を祈るが、
告訴でいいものなのか、
疑問が残る。
魁皇って漢方薬の名前? [2011年07月13日(Wed)]











 いやぁ、これじゃ国技も何も
あったものではないですね。

 わが郷里秋田県は往年の美男横綱・照国や
名大関・清国、そして名横綱大鵬だって、
奥さんは私の小中学校の後輩だというのに、
そこの知り合いの若い中学の女性教師から、
さきほどメールをいただき
「魁皇ってご愛用の漢方薬でしたっけ」と・・・

 確かに「魁」という字はめったに見ないし、
これで「かいおう」と読むのは
難しいのかもしれません。

 しかし、秋田県の人には「魁」という字は
なじみ深いもの。毎日新聞に次いで
古い歴史を持つ、わが郷土紙は
「秋田魁新報」。

 う〜ん、これで学力日本一の
秋田の伝統はどうなるんだ、と少々
心配になってきた。

 先生、明日までに調べて
生徒たちにその偉業を語ってくださいよ。

 日本相撲協会の再建も、
これでは前途多難?
中学生の作文力を見直しました [2011年07月13日(Wed)]





































「今の若者は・・・」などと嘆くのは
年寄りのたわごと。

古代エジプトの遺跡にも
江戸時代の「浮世床」にも、
若い人を嘆く一文があるそうです。

ところが、ところが、昨日入手した
舞鶴の中学2年生・白木千夏さんの
作文には参りました。

途中から、音読しましたが、
目がうるうるしました。

この生徒は
作家になれる文章力ですね。

改行、体言止め、書き出しのうまさ、
リズム感、繰り返しの使い方・・・

ただ者ではありませんね。

間接的に聞いたのですが、
「将来は?」の問いに、
「作家になりたい」。

小欄も爪の垢を煎じなくてはなりません。

健康で長生きをし、
老眼用を買いつないで作品を読み漁り、
この人の直木賞か芥川賞の
授賞式で乾杯したいものです。
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