いただいた年賀状からC [2011年01月10日(Mon)]
蝋梅。富山県在住の伊東美智子さまが 年末に撮影してお送りくださいました。 今頃は大雪でしょうか。 下村満子さんからです。元朝日新聞の敏腕記者として 鳴らした方です。
メールでの年賀状です。
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昨年3月に、10年務めた福島県男女共生センター「女と男の未来館」館長を、退任させていただきました。その直後に、地元「福島民友新聞」の依頼で「人生春夏秋冬――私の道」という、半生記を32回執筆し、久しぶりに朝日新聞時代の新聞連載の感覚を取り戻しました。内外を飛び回りながら、パソコンの前に坐る時間は夜中しかないという多忙な毎日の中での連載は、かなりしんどいものでしたが、駆け足ではありましたが、ちょっと立ち止まって、自分の歩んできた道を総括する良い機会になりました。
この間、トルコと、そして私のジャーナリストのスタートラインであった中東のオマーン(この国の日本人との混血の王女との独占会見がスクープとなりました)を37年ぶりに訪れました。また、現在JALの再生に心血を注いでいる稲盛和夫京セラ名誉会長の主宰する経営塾「盛和塾」の北京での開塾にも塾生として参加しました。
自伝の執筆中に、これから自分がしたいことの輪郭がおぼろげに見えてきました。で、今年「下村満子の生き方塾」なる私塾を、両親の故郷であり、先祖の地でもある福島で立ち上げる決意をし、昨年の夏以降の準備に時間とお金とエネルギーを使い、ようやく、今年4月16日開塾というところまで、こぎつけました。
同時に、福島県の中小企業の活性化のために「盛和塾福島」を立ち上げる準備も進めており、こちらは稲盛塾長を迎え、6月2日開塾です。日本全国だけでなく、世界各国から1000人近い塾生経営者が、福島の開塾式に集まることになると思います。
なぜ、「生き方塾」なのかということですが、最近メディアで毎日のように報道される政治の混迷、経済の長い停滞、考えられないような様々な残酷な犯罪、教育現場のいじめ、子供の自殺、高齢者に対する詐欺や暴力、弱者を騙すビジネス、これまで社会の規範とされてきた職業、例えば警察官、医師、教師、弁護士、新聞記者、検察などによる数々の犯罪を見るにつけても、戦後私達は、かつてなかったような物質的豊かさを手にしましたが、それと引き換えに大切なものを失ってしまったのではという思いは、深まるばかりです。
もはや、政治家が悪い、官僚が悪い、教師が悪い、経営者が悪い、医者が悪い、警察が悪い、メディアが悪いと、非難し合っていても始まらない、これは私達日本人一人ひとりの「心の劣化現象」に起因すると思うようになりました。
「日本の国の再生」に、魔法の杖はなく、時間をかけて「日本人の心の再生」「人間力の再生」に取り組むしかないというのが私の結論で、そのための一粒の種が「生き方塾」です。それも地方(福島)から全国、全世界に発信する気構えです。まさにドンキホーテだとは分かっているのですが、内側から沸き起こってくる、やむにやまれぬ気持ちを抑えることができません。
組織もスポンサーも時間もお金もなく、一人でスタートさせたもので、全く自信もなく、時々「何でこんなことを始めてしまったのだろう」と引きたい気持ちになりますが、すでに「生き方塾」には100人近い、「盛和塾福島」には80人近い入塾申し込みがあり、いまさら後に引けません。私を勇気付け励ましてくださる皆様方の応援が是非必要です。宜しくお願いいたします。
私の「人生春夏秋冬――私の道」の新聞連載と「生き方塾」「盛和塾福島」の詳細は:
下村満子のホームページ http;//www.m-shimomura.com/ をご覧いただければ幸いです。
でも、楽しいこともやってます。昨年に続き、湯川れい子さん、鳩山幸さん、細川佳代子さん、そして私の4人で続けてきたボーカル・グループ「スワンシスターズ」も10周年を迎え、昨年12月19日、東京の新装なったばかりのキャピタル東急ホテルで、チャリティー・ディナーショーを行いました。240人来てくださり、五木ひろしさん、奥田瑛二さん夫妻などをゲスト迎え、盛り上がりました。歌よりも、怖いもの見たさにいらした方が多かったようです。今年も宜しくお願いいたします。
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吹浦 忠正
at 15:32 |
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いただいた年賀状からA [2011年01月08日(Sat)]
私(吹浦)にとって、昨年は、 カンタータ「大いなる秋田」(石井歓作曲)に テナーの一員として出演(5月23日、杉並公会堂)したことが、 ユニークな思い出の1つ。写真は、翌日の地元紙・秋田魁新報から。 男声の左から10番目が私。今頃の秋田は、雪と寒さで大変でしょうね。 2枚目は、秋田大学学芸学部付属中学校時代の 同級生で、秋田市在住の弁護士・ 加藤堯くんkら。
◆古希の同窓会出席。未だ69才と抵抗する自分と、 そうだよねと納得する自分。
親の世代より10才は若い筈と妄想し、余暇に暴走。
減量で検診数値は軒並み改善(しかし油断大敵)。
◆個人事業主の宿命は、仕事量と収入の上下動。 並で良いから直流的水平化を望む(無理かな)。
◆山は目玉なし。 予告どおり、低山(9月の二王子岳1420m・ 御神楽岳1387mの連日登山)・ ゴンドラ付き(10月安達太良山1700mの 紅葉が見事)を楽しむ。
ゴルフは道具(ドラ購入)に頼るも効果なし(G93.5)
8月念願のバイロイト音楽祭に 友6人で参加 (私だけニーベルングの指輪全4公演を許される)、 切符手配・案内・特別配慮の友らに感謝。
初日1列目で木造劇場の地鳴りを体験、 過激演出へのブーイングも。
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吹浦 忠正
at 18:28 |
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いただいた年賀状から @ [2011年01月08日(Sat)]
今年も千人を超える方々から 年賀状を頂戴し、嬉しく、かつ、 恐縮しています。
中には個性的なものが たくさんあって、 人生訓から、 天下国家を憂うるものなど 個人の思い入れをたっぷり 含んだものや、 私へのご教導をふくむものなど、 1枚の賀状と数分間対面したものや 何度も読み直して 考えさせられたものなども数多く ありました。
いくつかをご紹介し、 ご参考に供したいと思います。
なお、新年の祝辞や 「今年もよろしく」式の文面は省略させて いただくことにします。
勝手をお許しください。
まずは、「ナポレオン・ソロ」で 活躍し、大正製薬の 「元気一発! リポビタンD」のCMを 続けられた、青少年赤十字(橋本祐子先生)の 兄弟子で声優で、 ナレーターの矢島正明さんからです。
難民を助ける会のボランティア活動でも いろいろご協力いただいた方です。
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キミの紅に魅せられて ボクは長いこと キミに見蕩れた
それでもボクはわからない キミはただ 圧倒的に其処に在るだけ。
キミの紅に魅せられて ボクの眼玉は ホラ こんなに赤く凝固した
それでも ボクはわからない その紅に隠された キミの《こころ》が。
ボクの求めて来たものは サテ 何だったのか 改めて問いたい 年の始めです。
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吹浦 忠正
at 18:17 |
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自衛隊員の婚活 [2010年09月29日(Wed)]
婚活って、今の時代、大変なんですね。
ところが明治以来の「軍港・舞鶴」では こんなことがあったそうです。
例によって、メル友・鷲田マリさんからの メールです。
☆☆ ★ ★ ☆ ☆ ★★ ☆ ★ ★
体調不良の中での1時間の生出演、お疲れ様でした。 風邪の人が多いです。東京、ウラジオ、伊豆、花巻を 短期間に回るのは、ご老体には少々… 寒暖の差が激しいですものね。
そしてきょうからパラオですか? 私の数少ない、行って見たい所の一つです。 くれぐれもお大事にお出かけ下さい。
尖閣諸島の問題、日本人がシッカリしないと 大変と気づく出来事でした。気づいてもチャンと 対応出来るのかと心配は続きます。
お坊っちゃま的なこの国の未来は どうなるのでしょうか?
話は変わりますが、 最近、自衛隊の独身隊員の為に 先輩達が棔活のイベントをしていました。
会場は市内に二ヶ所、一つは市政記念館でした。 ドアが開いたままでしたので中の様子がチラチラと。 「はい、クルクル廻って下さい、握手して〜」と 先輩達は真面目に一生懸命でした。
隊員達のびしっと細めのスーツに日焼けした顔が EXILEのよう。
インターネットで集まった60人の女性達も 素敵でした。
何よりも私は、先輩達が部下の為に 大真面目で一生懸命に棔活の手伝いをしている姿に 熱いものを感じました。 自衛隊の素敵な一面を見ました(*^∇^*)
☆☆ ★ ☆ ★★ ☆ ★ ☆☆
海上自衛隊って、遠洋航海などもあり、転勤もあり ご家族はさぞ大変なんだと思います。
それでも、国と国民を守る使命感で、 みなさん、がんばっておられます。
その姿に惚れてくれる女性、 いないはずがありません。
ちょっとほほえましいお話でした。
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吹浦 忠正
at 08:47 |
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尊敬する看護師Tさん [2009年12月28日(Mon)]
いまは一時の母であるTさんとは いろいろ啓発し合ってきた仲です。
9か月ぶりでしょうか、メールをいただきました。 出産と育児で大変だったのでしょう。
この人は日赤看護大学を出、臨床を重ねつつ、 東洋英和女学院大学の大学院で白血病について 研究された看護師さんです。
4年前の12月、私の兄が、 私からの造血幹細胞移植もむなしく、 国立ガンセンターに入院し、で亡くなるまでも、 多くのことを教えてくださいました。
それでいながら日本酒の利き酒鑑定士のような 資格をお持ちなのです。
私が出会った多くの看護師さんの3本の指にはいる、 人物的にも素晴らしい人です。
幅広い知識と深い教養をお持ちの方です。これで 美人と書くとだれだか バレそうですから(笑)止めましょう。
1年の終りにこういう人からお便りをいただくことは うれしいことです。
☆ ☆ ☆
吹浦先生 お久しぶりです。随分、ご無沙汰して申し訳ありません。 しばらくぶりに、先生のブログを拝見して、 110万アクセスを超えたことを知りメール致しました。 おめでとうございます 。
その中の、三浦朱門先生との「ワープロの話」を、 私は日赤看護大学での授業の中で聞いたのを思い出しています。
詳細は覚えてないのですが、こんな話もありましたね。
バングラデシュでの救援物資の配布についての話でした。 盗難や二重受給を防ぐために配布券には漢字で 「吹浦」というサインをした、 ということを話されたときだったと思います。それでも途中で サインも模倣されたため、 変更した(漢字を使用した)ということまでは、覚えています。
気がつけば、もう16年も前のことになります。
ブログの影響力は、本当に大きいですね。 レスポンスの速さも凄いです。あっという間に 大量の人間に意見を伝えることが、 出来るのですものね。
少人数の直接の授業とは対極にあるように思えました。
日赤での『政治学』の授業は印象深く、いろいろ覚えております。 自分の中での考えるきっかけを沢山頂きました。
それをきちんと解決に向けているかと言われると、 出来ていませんが。
東洋英和の大学院での授業もですが「人気ブロガー?」の 授業を直接お聞きすることが出来、今考えると贅沢でした。
ありがとうございます。情けない学生のままに終わらないように、 努力したいと思っております。
今年もお忙しい毎日を過ごされていたことと存知ます。 お体には十分お気をつけて今後もご活躍ください。
来年、年女になります。飛躍の年にしたいと思っております。 今後とも、どうぞよろしくご指導お願い致します。
年末になると、白血病で亡くなられた先生のお兄様のことを 思い出します。
骨髄バンクのボランティアは、継続しています。 臨床現場の厳しさを改めて感じたり、 たるんでる?様に感じることもあります。
私の立場で何が出来るかを考えて、行動したいと思います。 年末年始は寒い様ですので、 どうぞインフルエンザ等には気をつけて、お過ごしください。
また、お姿を拝見できることを楽しみにしております。
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吹浦 忠正
at 10:33 |
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外交・安保の合宿研修 [2009年09月27日(Sun)]
北朝鮮情勢をめぐって、急遽、モスクワを訪問した オバマ米大統領(左)と会談するメドヴェージェフ大統領。 全員が6カ国に分かれ、刻々と変化うする情勢に合わせて 熾烈な外交戦を展開する おせわになったセガサミーの伊豆高原研修所 ついさっきまで、3日間、伊豆高原に行ってました。
そのため、昨日は小欄を開くこともできませんでした。
全国から、よくもこれだけ優秀な若者がいると感心するくらい 素晴らしい男女計約40名と、講師約15名という、 贅沢な2泊3日でした。
「正味3日です。体育会系の合宿波の日程です」と 企画の責任者兼プロデューサーの菅原 出(国際政治アナリスト)さん。
全体会議、分科会、講義、国別閣議・・・ アフガニスタンから戻ったばかりの横田カメラマンによる報告会、 自衛艦の乗艦視察もありました。
といささか他人事のように書いてしまいましたが、 わがユーラシア21研究所の主催による、 2回目の「外交・安保ファーラム」の合宿です。
圧巻はポリ・ミリ、日米韓露中朝の6カ国に分かれ、 全員が、大統領、首相、外相、国防委員長、 報道官、参謀長、特使・・・になり、現実そっくりの ストーリーの中で、閣議を開き、 説得力ある演技をするのです。
参加した若者は大学院生、NHK記者、産経新聞記者、 防衛省や外務省の職員、現役自衛官、民主党政策秘書、 米国人研究者・・・、関西からも数人が参加した。
講師は、日経記者、慶応の教授・准教授、元空将、元海将、 シンクタンク主任研究員、防衛省の中堅幹部、テレビでおなじみの エコノミスト、元海上保安庁特殊部隊長、元中大教授、 武器取引専門商社幹部・・・。
ほとんどお礼もしないのに、すさまじいまでの情熱で、 午前零時を回っても、議論するのです。
ある国を担当したグループは3時まで、 最後のグループは朝の5時まで シミュレーションをしたといっていました。
ちなみに、責任者の私は 執筆中の書籍の推敲もしつつ、零時には寝ました。
老いも若きも興奮さめやらぬまま、 3日目を16時30分で終えました。
セガサミー(里見治会長)のご厚意で、 同社の「日本一の研修所」を今年も自由に使わせていただきましたが、 テニス、カラオケ、マージャン・・・ 誰もそうしたものには見向きもしないで、 管理人があきれるほど研修しました。
知力、体力にすぐれ、弁論、演技、語学、そして閃きのある こんないい青年が日本にまだまだいることを確信できるのは、 最高に、いい気分になれることです。
内容については近く産経新聞に掲載の予定。
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吹浦 忠正
at 22:11 |
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BMWとの惜別 [2009年07月25日(Sat)]
きょう、思い出がたっぷりと詰まった愛車BMW別れた。
22万キロ、よう走ってくれた。最初のうちは尾灯がよく切れて いささかうんざりしたが、 なぜかそれもいつの間にかご機嫌がなおってくれ、 その後は終始、快調だった。
それが、きのうで車検切れ。
高輪のBMWのディーラーに 見積もってもらったところ、途方もない補修費がかかるという見積もりを 提示され、10年間、命を共にした“賢妻”とも 「きょうでお別れ」となった次第。
ある外国人の友人に 「おまえごときがなんでBMWか」といわれたこともある。
当方、長年の「その日ぐらし」の身として 「ごもっと」とうなだれるしかないが、 実は、これは親友・高野國夫から贈られたもの。
去る6月1日、急逝した高野を追うようにして、 BMWはさきほど引き取られていった。角を曲がるまで見送った。
高野と愛車にはほんとうに感謝している。
思い出したのはもう一つ。吉田兼好が「徒然草」に 「もつべきものはものくるる友」という、 難しく考えるといささか分かりにくい一文を書いていることだ。
一方、「愛情を金で買うことはできないが、 金に愛情を込めることはできる」。というのは、天下の名言。
高野はあのとき、友情をたっぷり込めてひとこと言っていた。
「天下国家に尽くせ。そのためには身を慎み、かつ、 交通事故に注意せよ。 いざという場合は(当時の)日本車より外車がずっと安全。 そのために贈るんだ」。
幸い,BMWの鉄板に守られずとも済んだが、 「天下・・・」に尽くしたというには、あまりに微力。
明日からの日々、自己抑制とささやかな勇気で、 霊前に合掌して恥じない生き方をしたいものと念じている。
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吹浦 忠正
at 17:03 |
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一時間皿洗いをしたら [2009年04月09日(Thu)]
舞鶴・郵便局前のさくら。鷲田マリさん撮影。
わが「若き!」メル友、鷲田マリさんから、こんな感動的な話が寄せられました。
今時、こんなおやじがいるんですね。
☆☆ ★ ☆ ★★ ☆ ★ ☆☆
京都、出町柳の王将〜店長の井上さんは良い人です。
『金のない学生は食後に一時間皿洗いをしたら料金はいらない。毎日でも来い。』 と山盛りの定食を出します。
自分に出来る人助け。
この話、私は心が満腹になりましたo(^▽^)o
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満腹の時にこのメールを読んだ私は、どうしたらいいんでしょう。マリさん!
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吹浦 忠正
at 21:40 |
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何回忌より生誕何年 [2009年02月09日(Mon)]
昨2月8日は、「われらが恩師」橋本祐子先生の 100歳の誕生日。
既述のように、カナダ、テキサス、インドネシアをはじめ、 国内各地から、計約100人の方にお集まりいただきました。
私のつたない進行でしたが、皆様のご協力で 大いに盛り上がり、最後は、 高橋重宏東洋大学社会学部長と 池上清子国連人口基金日本事務所長を 次回の世話人に決め、 5年以内の再会を誓って別れました。
はからずも多くの方から、お礼状やお電話、 メールなどをいただき、恐縮しています。
中でも、A夫人からの、心のこもった次のメールには 心が温まりました。橋本先生の気持ちをよくぞ、 慮ってくださっておられます。
持つべきものはよき先輩ということです。
ありがとうございます。これからもご指導くださいと お電話でお礼を申し上げました。
☆ ★ ☆
素敵な会を企画実行して下さいまして、 本当にありがとうございました。
よく「生誕100年記念」などということを 思いついてくださったものと 感服いたしました。
ご逝去よりご生誕のほうが良いに決まってます。 特にハシ先生には! 近衛社長の歯切れの良い、 温かいすっぱ抜きも爽快でした。
ハシ先生はあのような評され方をされたことは なかったでしょう。
多少目を白黒なさったかもしれませんね。あの大きなお目を!
100回目のお誕生日がよく晴れた日曜日というのも、 実に先生に相応しいと お思いになりませんでしたか?
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吹浦 忠正
at 19:53 |
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恩師の生誕100周年 [2009年02月08日(Sun)]
恩師・橋本祐子(さちこ)先生の生誕100周年の会が、 先生の誕生日である2月8日、 日本青年館で開催され、約100人が参加してくれた。
青少年赤十字の団員、青少年赤十字の指導者、 日赤語学奉仕団の団員、日赤本社ボランティア、 青年の船の関係者、車椅子バスケットボール関係者、 日赤看護婦経験者、日赤幹部看護婦研修所指導者や元研修生、 日本赤十字社本社・支部職員、 献血運動関係者、中央青少年団体連絡協議会幹部、 アンリー・デュナン教育研究所幹部など、 生前に橋本先生が決定的な役割を果たした組織の関係者だ。
そして御親戚も数名の方がお越し下さった。
さらに、先生を謦咳に直接、触れたことのない ニューフェイスの外国人も二人、 来てくれた。
また、遠くは、 トロント(カナダ)からエイデルマン敏子、 テキサス(米国)からカールトン千鶴子、 インドネシアから森井克彦のみなさん、 国内からでも佐賀から樋口浩康くん、 山形から江口源助、 米沢から大橋久三郎、 そして秋田から山谷浩二の各先生がお越し下さった。
山谷先生はわが母校・秋田県立秋田高校の 青少年赤十字の指導者で満80歳。
この先生がいなければきょうの私はない。
すなわち、高校2年の時、 この先生が私を選んで、 三重県伊勢市での 第3回青少年赤十字スタディセンター参加の機会を 作ってくれなければ、 当時、日本赤十字社青少年課に勤務しておられた 橋本先生に出会うこともなかったのである。
きょう、私は司会者兼発起人代表を務めた。
それにしても、名簿整理の悪い私から直接、 連絡できた人はほんのわずか、あとは、 「相互にメール、電話などでお知らせいただきたい」 「出席予定者はブログで書く」 としただけで、1994年の葬儀以来の 顔合わせができたというのは、 「国際マフィア」と陰口?を叩かれるだけのことはあると、 再認識した。
きょうの会合では、最初に、 本来なら、当然ここに集っているであろう先輩、 仲間たちで早世された方々に黙祷を捧げた。
橋本先生が去って15年、 この間に、まるで先生が呼び寄せるかのように、 坂野昌男、森川啓介の先輩、 そして、私より若い丸山一郎、浜本勝行、 高島和子、酒井直子ほかのみなさんが逝かれた。
これを思うと、声も沈み目も潤みがちになる。
しかし、私がこの会を思い立ったのは、 先生の生誕100周年を祝おうという気持ちからである。
ここは気分を変えて、 先生の誕生日にふさわしくと、 「Happy Birthday」をみんなで歌った。
そうか、ろうそくを1本でも、10本でも、 いや100本立てておくべきだったと わが想いの至らなさを、途中で思った。
バースデイ・ケーキだってあってもよかった。
こんな素晴らしい出会いを、15年経ってなお、 作ってくれた先生なのだから。 (つづく)
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Posted by
吹浦 忠正
at 21:22 |
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