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大鵬にまつわる私の思い出 [2013年01月21日(Mon)]


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32場所優勝という最多勝利記録を持つ大横綱・大鵬が19日、亡くなった。合掌。

大鵬、王貞治、金正日、小泉純一郎・・・わが世代には好き嫌いは別として、なかなかの人材がいるでしょう、とまず胸を張り、内、二人が故人になってしまったことは、あまりいい気持ちではない。

それはそうと、大学に入ってすぐのころ、私は日赤病院奉仕団のメンバーだった。日赤中央病院(現・日赤医療センター)の整形外科病棟に手分けした毎日、数名がボランティア活動に行った時期がある。「日本における病院奉仕の嚆矢」と、社会福祉の専門書に紹介されたこともある。

スタートは駐日ランダ大使館のソンリースン参事官の奥様リラさんの呼びかけによる。「病院で看護婦さんがスト」という報道に、「病める人に守る人たちがストライキをするなんて患者放棄だ」と日赤本社に押しかけ、わが師・橋本祐子(さちこ)先生と出会い、「夫の前任地アメリカにはgray ladiesというのがあり、自分のそのメンバーとして病院でボランティア活動をした。日赤病院の患者さんたちをみんなで助けましょう」。

かくして、当時の日赤中央女子短大(3年過程の看護科、現・日赤看護大学)の学生と早稲田の私のクラスメートたちが中心になって「日赤病院奉仕団」を創設した。隔週土曜日にソンリースン邸に全員が招かれ、お茶や、お菓子、果物、サンドイッチなどで迎えられ、「反省会」をしたのも、英語の勉強にもなったし、「我ら若い男女」には楽しくなかったわけがない。

なぜ整形外科というと、@患者が概して長期間入院、A手足が不自由で些細な用事が果たしにくい、B感染の恐れがない、といった理由からだった。

そこで出会った患者に、難しい原書を枕頭に置きながら、大鵬大好きという40歳くらいの男性A氏がいた。この人の大鵬好きは、ナースステーションの「申し送り書」に記載されているほどで、仲間たちは異口同音に「大鵬は強い」「大鵬が好きだ」などとゴマをする。

へそ曲がりの私にはそれがどうしてもいえない。もともと隣の山形県出身で、豪快な勝ち方をする柏戸を応援していたので、A氏に正直に言った。

「よく言ってくれたね。みんなが大鵬、大鵬というから、いくら鈍感な私でもこれはおかしいなと気付いていたんだ。そりゃ大鵬は大好きだよ。しかしね、柏戸がいるから、そしてほかにも北の富士、玉の海(ともにその後の横綱)などいいお相撲さんが出てきてるから、なお大鵬を応援したくなるんだ。これからもキミは柏戸を応援したまえ。ボクはもちろん大鵬だよ。でも、仲良くしようね」。

軽薄な「申し送り」のお粗末さ、「敵」があってこその味方びいき、正直であることへの評価・・・この人との出会いから多くの教訓を得た。

大鵬はその後、私の故郷・秋田のすぐ近くのお嬢さんと結婚した。また、私が学生時代に日赤献血学生連盟の会長をしていたこともあり、70台もの採決車を寄贈されたことなど、ご縁を感じたし、すばらしい人と尊敬してきた。

大鵬の逝去に当たり、あの患者さんを思い出してしょうがない。再合掌
23年ぶりの奇跡の再会に思う [2012年10月11日(Thu)]


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    ロアンさん(右から二人目)一家と筆者(右端)

世の中、まさに「一寸先は闇」。隣家の女性を86歳の元警視が日本刀で切り殺して自殺という信じられないような事件も我が家の近くで起こリました。ところが、私は4日前、サンフランシスコで、これこそまったく信じられないような偶然の再会をしたのです。

1989年に結婚式東京・山手通りの教会での結婚式に招かれて以来、実に23年ぶりに元ベトナム難民ブ・ティ・キム・ロアンさん一家と、航空ショウの何十万人もの雑踏の中で出会い、なんと昼食までごちそうになったのです。

同じくベトナム難民であるご主人が不動産鑑定士、ロアンさんは3人のお子様を育てつつ経済分析の仕事をしているそうです。ロアンさんは以前、小欄で紹介したコイくん(医師。西武線沿線で外国人の患者を中心に診察するクリニックを経営)とわがユーラシア21研究所の特別研究員であり、上智大学で文学博士の学位を取得したスアンさんのお姉さんです。

この3人とロアンさん(昭和女子大学卒)のお姉さんにあたるランさん(聖心女子大学卆)の4人は、1980年代はじめに、ベトナムからのODP(合法出国難民)第1号として、元南ベトナム大統領顧問だったお父さま、お母さまと来日し、難民を助ける会(相馬雪香会長=当時)がロアンさんの中学生時代から生活支援をして来たご一家です。

サンフランシスコ市内を周っていて、気まぐれにバスから降りました。海岸沿いのそこでは午後からPier 39(39番埠頭)上空を中心に航空ショーがあるというので、埠頭の最先端にあるレストランNeptuneで海鮮料理でもと思って、空を眺めながら歩いていると、いきなり、「先生っ!」といって抱きつかれました。私のあわてようをご想像ください。

13歳と15歳の二人のお嬢さんが、海軍の白い制服を着て続き、実に立派に見えました。ロアンさんはほとんど23年ぶりの日本語だと言ってましたが、互いに英語と日本語を混ぜて近況を語り合いました。

帰国すると、社会福祉法人さぽうと21の高橋敬子事務局長からのメールが来ていました。さぽうと21は1993年に難民を助ける会の国内支援活動を分離して、独立した法人(事務所は、難民を助ける会と同じ目黒駅前のみずほビル3階)とし、外国にご縁のある若者を中心に支援している団体です。不肖・吹浦忠正が現在の理事長です。

曰く
「カンボジア出身の元支援生ソム・モノラックさんが事務所をお訪ねくださいました。
樋口静子理事、堀江良彰AAR(難民を助ける会)事務局長、そしてカンボジア担当のスタッフとお迎えをしてお話を伺いました。
現在はカンボジアにご兄弟で建設会社を作っていらして、お仕事は順調に軌道に乗っているということでした。
AARの園田さんが現地で建設会社を探していらして、たまたま出会われたようです。
ご兄弟共々、難民を助ける会に大変お世話になったと恩に着てらっしゃいました。
兄弟で総額300万円以上の支援を受けられたとか・・・・少しずつでも返済し、自分たちと同じ境遇で頑張っている後輩のために使ってほしいとのお申し出でした。

難民を助ける会の支援金は貸与ではないので、返済をしていただく必要はない訳ですが、お申し出は大変ありがたく、頂戴した場合には後進の就学支援のために使わせていただくということで、さぽうと21の口座番号等ご案内させていただきました。

なお、モノラックさんの会社は、AARのカンボジアでの事業計画に公的助成金がつけば入札をなさることになっているようです。
そちらのほうも公正な審査を経て落札され、上手くいけばすばらしいと思っております。
以上、元支援生にお目にかかったご報告まで」。

カンボジアでは同じく元支援生のメヤス・アスナさんが現地法人のマルハン銀行のトップとなり、カンボジア政府の事務次官待遇で国の復興と発展に努めていると、先日、私にメールをいただき、親会社の韓社長とは親しいので、「嬉しいことです」と喜び合いました。

窮鳥として日本の懐に飛び込んできたインドシナ難民の人たちの活躍が、各地で見られます。

社会福祉法人さぽうと21ではほかにも元支援生活躍の報告がたくさん届いています。

また、年末の26日(水)13時から、日本記者クラブで現在支援している人たちの研究報告会が開催されます。
毎年のことですが、一人ひとりのあまりに優秀なことに驚嘆してしまいます。
どなたでもご参加できますので、日比谷の記者クラブ9階にお越しください。

なお、ご寄付はこのように間違いなく活用させていただいておりますので、皆様のさらなるご支援を下記にお願いいたします。
「一寸先は光明」と信じつつ、支援してきたことの満足感を保証します。

さぽうと21の活動は皆さまからの会費や寄付金によって支えられています。
活動をより充実させるために個人、企業や自治体、各種団体の皆さまのご支援が必要です。
ご協力をお願い申し上げます。

なお、さぽうと21へのご寄付は税法上の優遇措置がございます。

□■ご協力方法■□
★ 会員として・・・
さぽうと21会員の皆さまには、ニュースレター「さぽうと通信」を通して、
事業の様子やニュースを定期的にご報告いたします。
また、さぽうと21が開催するイベント等のご案内をいたします。
年会費:  個人 5000円
       法人 50.000円
※銀行(ゆうちょ銀行含む)からお振込み下さい。

★ ご寄付
支援活動をより充実させるために皆さまのご協力、ご支援をお願い
いたします。
いただいたご寄付は、大切に使わせていただくことを約束いたします。
※銀行(ゆうちょ銀行含む)からお振込み下さい。

★ 書き損じはがきや未使用切手のご寄付
さぽうと21事務局の通信費の節約にもつながるため、もしご自宅に書き損じはがきや未使用切手がございましたら、事務所までお送りください。

<<書き損じはがき・未使用切手の送付先>>
〒141-0002 東京都品川区上大崎2-12-2 ミズホビル5階
さぽうと21事務局


□■年会費・ご寄付の受付■□
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加入者名 社会福祉法人さぽうと21
※会費をお振込みの場合は、通信欄に「会費」とご記入下さい。


《ゆうちょ銀行以外の銀行からお振込みの場合》
銀行口座 三井住友銀行目黒支店(普)851872
口座名 社会福祉法人さぽうと21
理事長 吹浦忠正
※ゆうちょ銀行意外の銀行からのお振込みの場合、当法人でお振込み人様を特定できません。 領収書をご希望の方や会費をお振込みの方はお手数ですがご連絡ください。
北朝鮮の人たちとの出会いで [2012年07月08日(Sun)]


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日本 171.82 cm 158.84 cm 20-24 2010

中国 170.2 cm 158.6 cm 17(都市部) 02

韓国 170.8 cm 160.6 cm 17 ?

北朝鮮 164.9 cm 154.0 cm 20 ?


ウィキペディアで
「身長」と引くと、こんな表が出ていた。左から、
国名、男子平均身長、同女子、
調査対象年齢、調査年。

これによると、韓国と北朝鮮では、
男女とも平均身長が約6センチ違う
ということだ。

1昨年、ウラジオストクでの会議から戻るとき、
ウラジオストクの空港で
大勢の北朝鮮労働者たちと一緒になった。
毎週木曜日の2時に、成田行きと
ピョンヤン行きが
そこから出発するのだった。

そこで驚いたことが6つ。
@北朝鮮の人たちは常にだれかと一緒、
Aそれでいながら
お互いにものを言わないし笑わないので静か、
Bほぼ全員が喫煙者、
C日本人よりかなり背が低い、
D携行品がほとんどない、
E服装が貧弱。

特に4番目、私は168センチだが、
私よりほぼ全員が小柄。

別に身長が大きければ
いいという問題ではないが
いろいろ気にはなる。

原因は、
推測はできても確証はない。
読者の判断に委ねたい。

次回は秋にウラジオストクに行く。
もう一度、
北の人たちに会えるかもしれない。

今度は落ち着いてもう少し観察してみよう。

沿海州には常時4,000人以上の
北朝鮮労働者がいるそうだ。
松原 仁大臣らと康 仁徳先生の話を聞く [2012年03月26日(Mon)]
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大臣(左)も元大臣(右)も、同じ「そのあたりで仕入れた弁当」を食べながら、率直に
ホンネで語り合うのが、同じ釜の飯を食った仲間というもの。康先生の右が森高愛媛県議。




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   左端は筆者(吹浦)




 去る3月23日(金)、
私が主宰するユーラシア21研究所に
松原 仁国務大臣(国家公安委員長、拉致問題担当相、
末次一郎門下生)が来てくれた。

これは森高康之愛媛県議(元県議会議長、
元都道府県議会議長会副議長、元末次一郎事務局書生)を
リーダーとする「一学会」(末次一郎に学ぶ会)の
月例勉強会が開催されたからであり、
当初は、仲間の松原くんを中心に、
拉致問題や政局を語り合おうという意図だったが、
考えてみれば、
同くんの守備範囲は、機密事項ばかり。

たとえ少数の旧友との会であっても、
そうは話せないことばかりであろう。

冒頭、最年長ということで、
私が形ばかりの大臣就任祝いを述べたが、
「松原くんは政治家にしておくには
もったいないほどのクラシック音楽通」と、
あまり知られてはいない
少し砕けた祝辞を述べるだけにした。

ちょうど、康 仁徳元韓国統一相も
参加してくれたので、話題は
もっぱら北朝鮮情勢を中心に
韓国の次期大統領選挙のことや日韓関係、
松原くんも聞き役に徹した。

康先生は、朴正煕政権時代から
韓国の情報部で北朝鮮分析一筋に
研究してきた人。金大中政権の時に
統一相となったが、
前日まで末次一郎先生以下、
私たちと一緒だった。

まさかの人事にご本人も
戸惑ったようだった。

この日の話では、
@「金正恩権力共同体」の維持が
何よりも重要な張成沢ら「北」の中枢部の
価値観、
A韓国は大陸国家ではなく、
半島国家ないし海洋国家と考えるべし、
B中国の北朝鮮への投資が進んでいるが、
これが39度線以南にまで及んだら
問題が違うなどといった示唆に富む話が出た。

勉強会の後の懇親会まで
重要な話を聞かせていただいたが、
オフレコの会合なのでこれ以上の
詳述は避けたい。

拉致問題は国を挙げての取り組みが
必要な喫緊の課題。担当大臣に加えて、
末次一郎事務所でわが同僚だった
平田隆太郎と山岸丈良の両くんが
「家族会」の事務局長・次長をやっている。

官民よく連携していい結果を
導いてくれることを期待する。

3.11に金八師匠の結婚披露宴へ [2012年03月11日(Sun)]
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   結婚届に署名して参席者に披露する新郎・新婦




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    金八師匠は三遊亭金馬師匠の直弟子です。



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    至芸を見せてくれた柳家さん八師匠 


きょう3月11日、全国で哀悼と復興への祈りの日でした。

その日に、木村吉伸・福村弥生さんの結婚式と披露宴に出かけました。最初は神妙でしたが、全体として3時間40分ほどの「ほとんど」を、笑い尽くしてしまいました。不謹慎と言われるかもしれませんが、木村吉伸さんというのは、三遊亭金八師匠(41)のことで、新郎側の大半は、師匠の三遊亭金馬さん以下の落語家やその関係者でしたので、これは笑うのというのが無理、読者に特段のご寛恕を乞うしかありません。

中でも、私は柳家さん八師匠(落語協会監事)の至芸、もとい祝辞には感動さえ覚えました。鈴木宗男元衆院議員のものまねで、結婚の祝意を伝えるのです。ムネオさんは10年前の金八さんの真打披露の前日、「銀色のブレスレット連鎖型」(出席した別の人の祝辞)を警察から頂戴し、そのお披露目には出ることができなかったそうです。それはともかく、さん八師匠のものまねは声色だけでなく、しぐさから顔まで、「この人」を彷彿とさせるのですから驚きです。

しかも、その直後にガラッと変えて、君が代の序奏とともに、極めて品よく今上天皇と昭和天皇を演ずるのですから、驚き呆れ、爆笑してしまいました。

その上、北方領土の「2島返還論」を「2兎(島)追うものは1兎(島)をも得ず」にかけて、正論を吐くのですから、この信念と芸、この人は只者ではないと思いました。

そうそう、なぜ、そういう珍しい席に私のような「堅物(?)」が招かれたのかを説明する必要がありますね。

金八師匠はご両親が歯舞群島の1つ・志発(しぼつ)島の出身で、本人は根室で生まれ、根室高校を出て1年ほどサラリーマンをした後、どうしても落語家になりたくて金馬師匠に手紙で訴え、弟子入りしたという人。メインテーブルでご一緒した金馬師匠ご夫妻によると「今の落語会はダメだ。自分が落語を勉強して抜本的改革をして見せる」というすごい内容で、今でもその手紙は大事に保管しているのだそうです。

そして定期便の助手席に乗せてもらい、東京まできたという、落語家でも、今どき珍しい根性あるスタートだったのだそうです。

31歳で真打に、その直後から、九段会館での北方領土返還要求全国大会で、時の首相以下、各党代表も参加する場を金八師匠は司会者として仕切ってきたのです。また、5,6年前には、私は一緒に国後、択捉両島を訪問しました。南京玉すだれや、腹話術で、ロシア人をも魅了していました。

10年前、我がユーラシア21研究所の設立の時にも芸で大いに盛り上げてくれましたし、昨年はオペラシティでの東日本大震災罹災者支援チャリティ・ショウに企画段階から加わっていただき、大鼓の大蔵正之助、歌舞伎の梅玉、落語の志ん輔、円楽のみなさんのコーディネータ役をしながら「目黒のさんま」を演じてくれました。そのあたりのことは私もスピーチで触れさせていただきました。

最初に、<「ほとんど」を、笑い尽くしてしまいました>と書きましたように、実は、笑いの連続の中に、いくつもの感動の話や場面もあったのです。落語だってそうじゃないですか。単純に笑うだけではなく、そこには人生を考えさせられたり、参考にすべき場面がしばしば入ってますよね。

それにしても、兄弟子・三遊亭金時師匠の司会は見事ごとでした。会場がシュンとなりそうになったら盛り上げ、長話になりそうなときは巧みに割って入り、悪乗りを抑え、盛り上げる。そしてもちろん、たっぷり笑わせてくれるのです。

新婦の職場のみなさんがその人柄や思い出を詳しく話しているうちに、2時46分になりかけました。金時師匠は巧妙に話を引き取り、そこで、全員に起立を求め、適度な長さで、厳粛に黙祷に導いたのです。

もう一つ感心したのは、千島歯舞居住者連盟富山県支部のみなさん。地元から鯛の形をした巨大なかまぼこを数個など持参し、富山風の演出をされました。金八師匠のご両親をはじめ、北方領土、とりわけ、歯舞群島には「越中衆」と呼ばれる富山県出身の人が多かったのです。ですから、今でも、富山県は黒部・魚津周辺を中心に、元島民が多く住み、返還運動も特別熱心な県になっています。

金八師匠、もとい吉伸・弥生さん、幸せな家庭を築いてください。どなたでしたか、落語家の方が祝辞で「金八とかけて縄文時代と解く。心は弥生が待っている」とか言ってました。師匠もまた最後の答礼で、「金八・弥生の披露宴とかけて何と解く?」と出され、「鮭のイクラと解く」「心は?」「出席者が粒ぞろい」と応じました。

これからも、大きな悲しみの日ではなく、「健康のもと」である笑いを大いに提供してください。
夕焼けtと街灯 at Disneyland [2011年07月26日(Tue)]







先日小欄で
新幹線の岩手県新花巻駅前で撮した
夕焼けの写真を載せたところ、
茨城県の女子中学生の方から
「お母さんとディズニーランドに行ってきました。
先生の写真のように、手前に街灯を入れたら
とてもきれいでしたので差し上げます」
とかいておくってくださいました。

ありがとうございます。
夕焼けっていいですね。
私のような感性の鈍い老生さえも
ロマンチックにしてくれますから。

紹介させていただきます。

実は、先月、フランスとドイツを
訪問し、私はなぜかいささか街灯に
取り付かれ、
結構、撮してきましたので、
近々、少し掲載させていただきます。
自衛隊音楽隊員も頑張ってます [2011年07月07日(Thu)]








    エリック・オービエさんの美しい音色は
昨年9月1日、サントリーホールでの
「1+235本のトランペット大集合!」で響き渡った。
今度は、8月5日、
被災地仙台の青年文化センターで、
無料演奏会を行う。詳しくは近々に小欄で。




 私には全国の陸海空の自衛隊に
現職・OBの友人や仲間がたくさんいます。

防衛大学校で講演したり、
各地の関係の博物館を訪問したり、
隊誌に原稿を書いたりしたことがきっかけ
でしたでしょうか。

ユーラシア21研究所にも常時、
何人もの自衛隊出身の方々や現役の隊員が
自由に出入りしています。

それより私自身、基本的に自衛官を限りなく
尊敬しているし、
感謝の念を抱いているからでしょう。

 昨年、キリスト教系の有名大学を出て
海上自衛隊に入った「美女」、
もとい美女もいれば、
自慢の鼻髭をいじりながら
情報一筋に目をぎらつかせている
中年のイケメンもいる。

さらには、将や佐官にも
仲間や気を許して議論する関係にある友人が
多いのです。

皆さんを尊敬し感謝しています。

 そんな中に、昨年5月、杉並公会堂で
「大いなる秋田」(石井 歓作曲)を
共演させていただいた、
○ ○駐屯地の××さんもいます。

クラリネットでの出演でしたので、
テナーの私からは後姿しかわかりませんが、
確か新婚さんで、
秋田のご出身ですからもちろん美女に
決まっています。

さきほどこんなメールをいただきました。

 あらためて自衛隊員の献身的なご尽力に感謝します。

   ❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀

震災以来、様々な業務を通じて
自衛官として身の引き締まる思いをして参りました…

地震当日は仙台の音楽隊の支援のため
東京エレクトロンホール仙台にて
リハーサル中に被災いたしました…

打楽器が被害を受け、
私の仲間が足に負傷致しましたが、
皆の命が無事だったことに
感謝しないといけないと思いました…

私は自衛官で音楽隊員です。

ニュースで報道されているように、
御遺体の捜索や生活支援には直接
携わることはありませんでした。

駐屯地に残り、
特別勤務について駐屯地を守ったり、
民間の皆様から寄せられた
支援物資輸送の支援をしたりと、
後方で一月ほど過ごしました。

一月ほどたつと、
いよいよ慰問演奏(○師団長の方針で、
激励演奏と我が師団は位置付しています)の
依頼があり、まずは
宮古市田老地区にあります
グリーンピア宮古で演奏致しました。

それから今まで、
被災した岩手県の各地を回らせていただいて
おります。

先月の大船渡市での演奏では、
吹浦様が、たくさんの方々のご支援で
被災された学校に楽器を届けるプロジェクトで
楽器が贈られた岩手県立高田高校の吹奏楽部で
トランペットを吹いている生徒さんに
お会いしました。

私たちの演奏に混じって
一緒に何曲か演奏致しました…

実は、私は秋田の高校生のときに
当時まだ吹奏楽部がなかった高田高校の文化祭に
ご招待頂き、演奏させていただいたことがあり、
陸前高田市はとても思い出深い土地であり、
高田高校のことは忘れることができませんでした…

ですので、その生徒さんと
演奏後にお話したときは胸が一杯で、
吹浦様の楽器支援のお話をすることが
できませんでした…

たくさんの子供たちの笑顔に励まされ、
たくさんのお客様の拍手に
勇気を頂き今まで頑張ってきました…

来週はいよいよ学生指導つきの
激励演奏がありますので、
そちらも頑張らないと…

実は、ブログを
いつも拝見させて頂いているのですが、
仙台での
仙フィルとオービエ氏のコンサートの詳細を
お教え頂けたらと思いまして、
ご連絡致しました…

私たちの音楽隊のトランペットの後輩が
震災で仙台で叔父様を亡くされておりますので、
彼にこの企画を知らせたいと思いまして…
どうぞよろしくお願いいたします!

蛇足ではありますが、
私たちの音楽隊の活動状況が明日の
「みのもんたの朝ズバッ!」で放送される
ということです。

時間は朝の8時5分〜15分の予定
とのことです。(生放送のため時間は
前後する可能性があるそうです)

3日間密着されまして、
私もインタビューを受けましたが、
おそらくカットされていると思います(笑)。

以前、「めざましテレビ」で
山形の第6音楽隊も特集されたのですが、
私たちの演奏形態とあまりにも違うということと、
演奏に感動していただいた
ディレクターさんの御尽力で
今回の取材に繋がった、
ということです。

もしよろしければ、ご覧ください♪
ますます暑い日が続きますが、
どうぞお体にお気をつけて
お過ごしくださいませ!!

     ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆

やはり被災地での勤務でしたか。

失礼ながら音楽隊は駐屯地に留まっての
お留守番くらいかと思っておりましたが、
大変な活動振りですね。

被災された方々も大いに
激励されていることでしょうし、
自衛隊員自身が
気を張り詰めて業務に励むことが
出来るたではないでしょうか。

皇室の方々のご発言も、従来は
「警察、消防、自衛隊のみなさん」だったのが、
「自衛隊、警察、消防のみなさん」
という順番になりましたね。いいことです。

これまた失礼ながら、
楽器贈呈のことで被災地を周りながら、
平均年齢44歳とかの自衛隊員の頑張りぶりを
あちらこちらで拝見しました。頭が下がります。

それにしても、防衛省が
最大時10万8千人の動員という数字を
発表したのは、安全保障上、いかがなものかと
私は菅政権のあり方につき、ここでも呆れました。

どこかの国のおえらいさんでしたら、
いまこそ、日本に軍事的ちょっかいを
出すべきと考えたかもしれません
(少しそういうことがありましたね)。

おかげさまで、楽器支援は
8校となりました。

ご依頼の関係資料は、別におおくり申し上げます。

たぶん、明日、小欄できちんと紹介できるかなと
思っています。

 ただ、明日は日本青年会議所の
大きなシンポジウムが北海道の根室で開催され、
パネリストとして朝から出かけますので、
その際は、社会福祉法人さぽうと21のHPを
ごらんください。
赤十字の父アンリ・デュナン [2011年05月01日(Sun)]













 GW、わがユーラシア21研究所の
スタッフは
東日本大震災被災者の支援にゆく者、
割安航空券で海外旅行に出掛ける者、
ひたすら研究調査にあたる者・・・
それぞれだが、私はたまった本を
読みこなすことと
体力維持のための散歩に
明け暮れている。

 とりあえずは、
エーテル・コッハーと
ハンス・アマンの共著である
『赤十字の父アンリー・デュナン』(春風社)を
九頭見和夫の翻訳で読んだ。

 2005年の刊行だが、
参考になるときがあるだろうと、
積んで置いた。

 著者がドイツ系の人だけあって、
デュナンが赤十字を創設するよりも
その経済的な破綻による長い困窮生活を
送ったドイツやドイツ語圏スイスでの
記述に、新しい事実や、率直な描写が
あって、参考になる。

 こうした伝記の著者は、しばしば
人物を美化しすぎたり、誉めすぎてしまう
傾向にある。

 わが師であり、日本におけるデュナン研究の
端緒を開いたひとであり、
「アジアで初、女性で初、平時事業で初」の
アンリー・デュナン章を授与された
橋本祐子(さちこ)先生の
『私のアンリ・デュナン伝』(学研)は
デュナンについて「人間らしい人物」という
公平な見方をして、
「だから親しみを持てるし、参考になるのよ」と
おっしゃっていた。

 かくいう私も中公新書で
『赤十字とアンリ・デュナン』を
上梓して久しいが、子弟ともども、
「デュナンはジュネーブのカルヴァン校を
成績不良で退学の憂き目にあった」事実を
そのまま記述している。

いっしょに同校に行き、
成績の記録を確認してのことだが、
ひたすら美しく書く人は
「卒業した」と記述しているほどだ。

特に、英語から訳した人は、
Dunant left Calvin school.とあれば、
卒業だと思い込むらしい。

閑話休題。
なんであれ、日本では赤十字というと
まずはナイチンゲールを思い、
看護婦(師)、血液、病院・・・を連想し、
海外の赤十字(赤新月)社のほとんどが
これらと関係が少なく、
原点である救護活動が第一であること、
ナイチンゲールは赤十字の創立に
反対ないし否定的であったことも
知られていない。

最近でこそ、デュナンは子ども用の物語や
たまには教科書にも載るようだが、
まだまだメジャーではない。

ところが、先日、大阪の朝日放送(ABC)から
赤十字の原点と現状についてのTV番組を
制作したいという話があり、
先日、大阪まで行って打ち合わせをし、
この4日には収録する予定だ。

番組名は「Night in Night,
ビーバップ・ハイヒール」という題で、
関西の人気タレント・ハイヒール
(リンゴ、桃子)の進行に拠る
「関西的教養クイズ番組」。

私は一昨年、春と秋2回メインゲストとして
これに出演し、信じられない14%前後の
視聴率に驚いたのだった。

その時は世界の国旗がテーマで今度は
赤十字。

神戸淡路そして東日本大震災における
日本赤十字社の対応については
かねて舌鋒鋭く批判してきたが、
「坊主憎けりゃ袈裟…」ではなく、
橋本先生がおっしゃってたように、
「坊主が憎くても仏典は素晴らしいでしょう」
という精神で出演を引き受けた。

オンエアは関西以西が中心のようだが、
12日の23:17からになるらしい。

そんなこともあって、並みいる
「買っただけの本」の中から
まず、これを読んだのだが、
拙著はともかく、
橋本先生の本ぐらいは
お薦めする日本語の書籍としてあげて
もらいたかった。

刊行には、
日赤福島県支部が大きく関わっていると
あるだけに、不思議なほどだ。
大使館でいたたいた料理と酒 [2011年01月21日(Fri)]





























「ノルウェー大使館での午餐会って
どういう料理が出るのですか」と
料理研究家を「自称(?!)」する
Y氏から問い合わせ。

配布されていたメニューの裏を使って、
たまたまメモをしていたので、
簡単にお答えします。

 いやぁ、おいしかった。
長生きはしてみるもの。

最初の直輸入したニシンなんて、
もうそれだけで幸せでした。

メニューにはシェフの名前が
ありましたが、何と日本人・ささき・まさる氏でした。

親父の遺言(?)が
「昼酒は飲むな。東京の女には気をつけよ」
だったので、
「絶えて久しく」この2つは敬遠してきたが、
思わず口にしたのが、
このアクアヴィット。冷えて、ホントに
美味しかったです。

全体で2時間40分、
尊敬する宮城県のS町長と3児の約束をして
25分も待たせてしまったのは
申しわけなかったですが、
いやぁ、何ともいい気分で
ユーラシア21研究所に戻りました。

 そうそう、そのアクアヴィット、
これは北欧各国に見られる
ジャガイモからつくる蒸留酒。

1756年の7年戦争後、
ジャガイモが北欧に広がり、
盛んに作られるようになったお酒。

43度だからかなり「来る」。原意は「生命の水」。

オーストラリアで造られた酒が、
そこから一番遠いノルウェーに運ばれる
船中でよく混ざり、いい酒になると、
瓶のラベルにも地図入りで書いてあるし、
大使もそう説明してくれました。

もう一度言おう、
長生きはしてみるもの。

親父よ、許せ!
いただいた年賀状からC [2011年01月11日(Tue)]








 某メディアの幹部のお一人からの年賀状です。逸名。
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