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日中の外交力の差 [2009年02月20日(Fri)]











 笹川陽平日本財団会長がブログで主張されている、
「日本の首相、外務大臣は国会の制約が強すぎるため、
海外に出張する時間がなかなか取れない。

 特に外務大臣は国会対応に追われ、
実質<国会担当外務大臣>となっている」という判断は
まったく正しい。

 国会会期中は、直接の質問がなくても
終日、委員会に着席していなくてはならず、
在京大使はもとより、
訪日する貴賓との会談もおざなりにならざるを得ない。

 歴代の外務大臣の多くと私は親しいのだが、
就任後は、会うのを遠慮したり、メールや手紙で
意のあるところを伝えるほかない。

 今の中曽根弘文外相とは、
ご本人が旭化成延岡工場にお勤めの頃からの
付き合いだが、
今年になってから直接、声を交わしたのは
2月7日の北方領土返還要求全国大会での
控え室(九段会館楽屋)ででのみである。

 ユーラシア21研究所の理事などとともに
ゆっくりお目にかかろうとしても、
大臣は「是非設定を」と言っても、
秘書官が工夫しようがないほど、
濃く合い日程が詰まっている様子だ。

 笹川会長がおっしゃるとおり、
中国は、「外交大国」である。

 その中国に、日本は約1500億円のODA(政府開発援助)を
供与している。そして中国はこれとほぼ同額の援助を
アフリカ諸国に実施し、
日本の国連安保理常任理事国入りについては、
アフリカ諸国の多くが、
中国の差し金で
日本に味方しなかった。

人的、ODA的に、
これでは中国と競争も何もあったものじゃない。
アメリカへの不信 [2008年10月12日(Sun)]






    この人とこの国を
   むやみに信頼してはいけないと言うこと。







 アメリカへの不信に繋がりかねないことが2件起こった。

 ロサンゼルス市警留置場での三浦和義元社長の“自殺”に続く、
北朝鮮の「テロ支援国家」指定解除である。

 詳しく書いたり、所見を書くには、この3連休、
残念ながら、あまりに情報が少ない。

 三浦元社長が移送中にかぶっていた野球帽のような帽子に、
白で大きな文字が並んでいた。「PEACE」「POT」「MICRODOT」。

 私の語学力では到底、理解できないが、それぞれの単語は規制薬物を意味するスラングだとか。

 また、3つで、米国の若い人たちが使う
「あばよ」「またね」「お幸せに」「さようなら」など、
軽い別れのあいさつを意味するのだという
報道が流れている。

 真相は分からないが、遺族や友人など関係者は
自殺は考えられないと言うし、
留置人の自殺は、基本的に警察の責任だ。

 被疑者とはいえ、判決の確定までに起こる
こういう事態は残念だ。

 率直に言って、素朴な不信感をぬぐえない。
                      
 同じく次元で扱ってはいけないとも言われそうだが、
アメリカによる北朝鮮の「テロ支援国家」指定解除は
いつ、どの程度、日本政府に通告ないし相談があったのか。

 今週あたりその可能性があると言う情報は流れていたが、
わざわざ、うるさい日本の3連休を狙ったのではないか、
と思う。

 ブッシュ大統領にしてみれば、
残された任期中に対北朝鮮外交で“実績”を残したいという
判断だっただろうが、

 これは拉致問題を抱える日本への軽視にほかならず、
これまた率直に言って、

 残念ながら、日本国民の
「対米不信」を大きくした。

 世界政治が、とりわけアメリカという国は
「権力」がすべてであって、
「日本における熱心なキリスト教徒」への
国際的には信じられないような信頼感を、
「アメリカにおける熱心なキリスト教徒」である大統領に
抱いてはいけないということだ。

 麻生政権は、
中山国土交通相の辞任、金融危機に次ぐ逆風ではあるが、
ここが踏ん張りどころ、対北朝鮮外交には、
単独でもしっかり取り組んでもらいたい。
外務省の体質 [2008年07月24日(Thu)]









  国際派ジャーナリストのQさんから、
久々にこんなコメントが来ましたので、
ご紹介します。

  //☆//☆///☆/★\\\\☆\\\\☆

外務省は、(というか日本の官僚一般の特質なのかかも知れませんが)
自分が門外漢のことでも
何でも自分たちで抱え込もうという体質なのか
それとも
その分野の人たちに連絡を取ったり
斡旋する発想や能力が無いのか
それは判りませんが
今年の春
ヨーロッパで恥ずかしい出来事がありました。

それはEUと宗教関係者との国際会合で
2年前から始まったようです。

各国とも大使館から連絡を受け
直ぐに
宗教界の代表が参加するようになっています。

ところが日本は
相変わらず駐在国の外交官だけが出席して
話にならないため
主催者から
「何故、日本の宗教界の代表が来ないのか。
大使館を通じて駄目なのであれば直接、接触する」と言われて
初めて
WCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会の代表が出席しました。

彼は
改めて日本外務省の”無能力さ”に呆れていました。

宗教界の会合でさえ
この有様ですから
何故、心広く出来ないのか
他の分野では
何が起きているか
推して知るべしです。

===================================

 外務省がいつもこういう具合ばかりではモチロンないのです。
また、多くの外交官が日夜献身的に努力をしているのですが、
芸術、スポーツ、NGO、学術などさまざまな分野で
同様の事態があったことを、私はいくつも知っています。

 在外勤務が長く、日本国内にしっかりした人脈が少ないという体質で
あるのはわかりますが、それならば、
自らその弱点を重々自覚し、
平素、
特段の努力を重ね、各界と十分、人脈を構築しておく必要がある
ということではないでしょうか。

 あるいはこれは、外交官に限らず、
お互いみんなが気をつけるべきことでもあるのでしょう。
中国・モンゴル課でいいのか [2008年07月03日(Thu)]







  挿画は石田良介画伯の
特段のご厚意で掲載させて
いただいております。禁無断転載。




 7月1日、外務省はアジア局中国課を「中国・モンゴル課」としました。

 それは当然でしょう。しかし、
 
 中国・モンゴル課の下に台湾班があるということが、
外交の自主性を損ねているのです。

 ここは、わが国との重要な関係に照らして、
アジア局中国・モンゴル課とは別に、
アジア局台湾室を立ち上げるべきです。

 台湾との外交をすべて中国課長が取り仕切るという形を
換えることが重要なのです。
中国と台湾 私の立場 [2008年01月27日(Sun)]







    






 岐阜の「飛騨」さんからの質問にお答えします。
今朝は、新しい本棚が配送され、そのための大整理で
めずらしく奮闘しましたので、お返事が遅れましたことをお詫びします。

 質問は、「吹浦さんは、台湾のことをよく“南の隣国”と書いています。
もしこの“南の隣国”が北京に実効支配されたならば、
日本は大変な不利益を蒙り、
安全保障や経済面で大きな打撃となることは必至です。

まもなく、台湾では総統選挙が行われます。

日本はこれを慎重に見守り、
さまざまな可能性について準備する必要があるように思います。
このことについてどう思われますか」
でした。

 以下、箇条書きにて私の思いを書きます。

@ 台湾の多くの人々が、果たして
今の中国政府の支配を望んでいるでしょうか。
私は何度も台湾を訪問し、大勢の友人と徹底的に語り合いましたが、
2300万国民のほとんどが、
北京の軍門に降ることを望んでいないことは確かです。

A だとすれば、台湾としての選択肢は、大きく二つです。
独立するか、現状維持するかです。


B 私は同じドイツ民族が大ドイツ主義(オーストリアを含む統一)か
小ドイツ主義(プロイセンを中心とする統一)で
第2帝国を建国するべきかを論じた19世紀の故事と同じで、
中国人は、大陸中国と台湾という2つの国になればよいと考えます。

すでに、シンガポールという、
中国人を中心とした立派な独立国があるではありませんか。

C その上で、台湾が中国と連邦国家になるとか、
単一の国家になろうがそれは自由です。
あるいは、シンガポールを含むとか、
日本と連邦をしたいというかもしれませんが、それも理論上、自由です。


D 当面のこととしては、3月22日におこなわれる、
台湾の総統選挙の行方です。先日の立法院議員選挙では、
結果として国民党が圧勝(民進党との間に総得票数の差は
それほど大きくはない)しました。しかし、
国民党の馬英九候補がやや優位などと言われつつも、
さて、結果がどうなるかは分かりません。

E 台湾は中華民国の建国者である孫文の考えから、
5権分離の民主主義国家です。

各権力の最高機関として
「立法院」「行政院」「司法院」「考試院」「監察院」があります。

つまり、日本で言えば、
人事院、会計検査院、総務省行政評価局(行政監察機関)を
格上げしたような形になっている、民主主義国家であり、
複数政党制の国であり、
言論、集会、結社、表現などの自由という、
民主主義の価値を尊重し、諸原則を遵守し、
自由主義市場経済を確立している国です。
その上で、見事な経済発展をも遂げています。

つまり、台湾は日本と同じ政治・経済・社会システムを
持っているということです。そして、
いまどき、世界にも稀なというべき、「親日国」です。

これに比して中国は、はなはだ遺憾ながら、
そして、最近は経済が急速に発展しているとはいえ、
共産党による一党独裁、
汚職の蔓延、
少数民族への抑圧、
移住に伴う労働条件や人権上の差別、
言論、集会、結社、表現などの自由の制限、
軍事力の急激な拡充、
世界各地への強引な進出・・・
といった中国とは比較にならないのです。

 私は中国の変化を注目しています。発展を歓迎しています。

 日本が中国においてさまざまな分野で協力してきたことは
すばらしいことだと思っています。

 しかし、その中国の対日政策は何たるものでしょうといいたいのです。

 中国がG8の正式メンバーになろうというなら、
日本の国連安保理常任理事国入りに率先して賛同しなさい。

 中国は大好きですし、「日中友好」は大事です。
しかし、その言葉や「熱烈歓迎」の美名に、
私たちは踊らされすぎました。

昨年は「日中国交回復35周年」でした。しかし、それは
裏を返せば、「台湾断交35周年」だったのです。

私は中国が各分野で健全な発展を遂げることに大賛成です。

しかし、同時に、“南の隣国”台湾を、
日本は軽視してはいけないと確信している者です。
外務省の在外公館数 [2007年12月30日(Sun)]











小欄の読者でいらっしゃる「セフィロス」さんから、12月27日に、
「中国の青島で総領事館を創設する話ついて、どう考えているのでしょうか
よろしければ、ご意見をぜひ聞かせていただきます」という趣旨の一文が「コメント」欄に送られて来ました。

そこで、翌日までに私は、
「私は青島に総領事館を置くことに賛成です。
但し、今日の福田首相の台湾の国民投票について中国にとやかく言う必要はない、余計なことをしたと思います。わが国にとっての台湾の重要さをもっとしっかり認識すべきです。
日本の外務省は今の50%は人数を増やしても言いと思います。在外公館も、スクラップ&ビルドではなく、大幅に拡充すべきです」と返信しました。

するときょう30日、「セフィロス」さんから重ねて、
「福田さんは、言わされたのだと思う」とのコメントとともに
「在外公館の増設について
中国の沿岸地域に増設することは分かりますけど。
内陸のほうへ『深入り』することについてのご意見もよろしければ聞かせて頂きたいですが」と送られて来ました。

 私は、こういう話は、日本の外交のあり方や進路を考える
まじめなやり取りでしたら、
ほんとうは、1対1で、お互いに名乗って対話し、
意見を交換したいと思います。

 さもなくば、総論で終るか、解説のような話になってしまいます。したがって、これ以上、小欄で続けることは避けたいのですが、今回は、一応、できるだけのお返事させていただきます。

 ご承知のように、わが国は北京に大使館を設置しているほか、重慶、広州、上海、瀋陽の4カ所に総領事館を、大連には出張駐在官事務所を設置しています。

 ちなみにこれを在米公館と比べてみると・・・
同盟国であり世界唯一の超大国アメリカには、ワシントンの大使館のほか、アトランタ、サンフランシスコ、シアトル、シカゴ、デトロイト、デンバー、ニューオーリンズ、ニューヨ−ク、ハガッニャ(グアム島)、ヒューストン、ポートランド、ボストン、ホノルル、マイアミ、ロサンゼルスの15ヵ所に総領事館を構えています。ほかに、総領事館から格下げされたアンカレッジ(アラスカ)には出張駐在官事務所があり、サイパンにも同事務所があります。

ついでに他も見てみましょう。日系人がとても多いブラジルには、ブラジリアの大使館のほか、サンパウロ、アマゾン河口のベレン、アマゾン河流域中央部のマナウス、リオデジャネイロ、最東端の港町レシフェ、南回帰線の少し南の都市クリチバの6ヵ所に総領事館、

面積最大の国ロシアにはどうでしょう。
戦前はシベリア鉄道沿いにずらっと領事館を並べていましたが、これはいわば、情報収集の要路に配置したからと言うことでした。今は、モスクワの大使館のほか、サンクトペテルブルク、ハバロフスク、ウラジオストク、ユジノサハリンスクの4カ所に総領事館があるだけ。

オーストラリアには、キャンベラの大使館のほか、シドニー、メルボルン、パース、ブリスベンの4ヵ所に総領事館、ケアンズに出張駐在官事務所があります。

ドイツにはベルリンの大使館のほか、デュッセルドルフ、ハンブルク、フランクフルト、ミュンヘンの同じく4ヵ所に総領事館、カナダにはオタワの大使館のほか、すぐ隣のモントリオール、最大の都市トロント、太平洋岸のバンクーバーの3ヵ所に総領事館があります。

 そうした例に比べると、中国の4総領事館、1出張駐在官事務所というのはあまりに少ないと、私には思えるのです。

 青島にできても、例えば、南京、旅順、杭州、武漢、天津、西安、成都、福洲、長春、ハルビン、丹東(中朝国境)、海南などのうちのいくつかに総領事館があっても不思議ではないように思います。

 進出企業、在留邦人、留学生、日本人観光客などの数や全体の配置を考慮して決めて行くのでしょうが、中国の巨大な人口、面積、人的交流、貿易額、世界的な地位・・・を考えると、現状の日本の対中外交の体制はあまりに貧弱ではないでしょうか。

 また、海岸部と内陸部の格差、大都市と地方との格差など、さまざまな問題を抱えている中国にあっては、内陸部を含め各地に日本の公館を設置することが重要だと考えます。

 日本の外務省が、国土交通省北海道局1つよりも職員数がすくないという現実は、悲しくなるほどです。もちろん、一騎当千の外務官僚たちでしょうから、一概に数だけではないでしょうが、職員数も公館数も拡充すべきではないでしょうか。

 このほか、香港には古くから総領事館がありますが、澳門(マカオ)にもあっていいと思います。

 ちなみに、中国からは、東京の大使館のほか、大阪、福岡、札幌、名古屋、長崎の5ヵ所に総領事館が設置されています。
与那国と花蓮と [2007年06月05日(Tue)]





 写真はNHKテレビから。





与那国町が日本の市町村としては初めて、海外(台湾の花蓮市)に事務所を持ったことは、台北駐日経済文化代表処)が刊行している「台湾週報」でも以下のように取り上げられている。

 辺境の町が新しい視点で、「国境の町」のメリットを発揮して町づくりしようとしている努力と工夫をみんなで理解し、拍手を送ろうではないか。


      ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★


 日本の西端にある沖縄県与那国町(与那国島)が東台湾に位置する花蓮市に設立した連絡事務所が2007年5月29日にオープンした。

 花蓮市と沖縄県与那国町との交流の歴史は古く、両者が姉妹都市となりすでに25年が過ぎた。両者は2006年に与那国町で開催した「国境交流増大戦略会議」の中で花蓮市に駐在連絡事務所を設立することに同意し、その翌年にあたる今年5月29日にオープンの記念式典を開催した。

 この記念式典のあいさつの中で与那国町の外間守吉・町長は「与那国島は長い間日本の辺境の地として離島のさまざまな特有性を備えている。現在、世界は国境を越えた交流の『ボーダレス化』の傾向が日増しに大きくなっており、これはとめられるものではない」と指摘した。

 与那国町はかつての琉球王国が守っていた「万国との橋渡し」の精神を指導的思想として積極的に近隣の東南アジア地域との交流を推し進め、与那国島の自立を保ってきた。

 外間・町長はさらに「花蓮市に連絡事務所を設置したことは国境を越えた善隣交流であり、東アジア経済圏における拠点の地位獲得と与那国島の自立を確保する目的に対し、貴重な一歩を踏み出した」と強調した。

 また、蔡啓塔・花蓮市長は「花蓮市と与那国町の双方が展開する新しい交流関係を楽しみに期待している」と述べた。

 外間・町長はこの連絡事務所が役割を発揮し、また、地域間交流特区の設立を推し進め、国際社会のモデルとなることを期待している。花蓮駐在連絡事務所では姉妹都市交流、訪台の与那国町町民へのサービス、双方の経済交流の促進、与那国島の観光資源のセールス等などを担当する。


                        《2007年5月30日》
昭和天皇との秘話 [2007年05月28日(Mon)]



 安倍晋太郎(1924〜91)

 http://www.apda.jp/support2.htmlより。


 旧宮家のことは、われら庶民はめったに考える機会がないが、秋篠家に王子が誕生するまでは、その皇族復帰の話が持ち上がったりした。

 ここで、私が体験した「秘話」を1つご紹介しよう。

 安倍晋三首相のご尊父・晋太郎氏から直接聞いた話。

安倍「いやぁ、外務大臣になって、陛下の前にでることがとても多くなったが、なんど参上しても私はあがってしまうんだよ」。

吹浦「何か失敗でもしましたか?」

安倍「いろいろヘマをやったね。なかでもお粗末だったのは、最近のことだが、ある日、外交の報告を終えたあと、『時に、今、カヤはどうしておるか』とご下問があった」

吹浦「東大の学長だった茅(かや)誠司先生のことでしょうか」

安倍「キミもそう思うだろう」

吹浦「はい。それとも・・・あっ! 賀陽(かや)治憲大使のことでしょうか?」

安倍「そうだったんだよ。ところがこっちはてっきり茅先生のことと思い、かしこまって『はい、ただいま小さな親切運動の会長を務めておられます』と答えちゃったんだよ」

吹浦「万一そういう機会があったら、私は、理事の末席に連なっている、社団法人協力隊を育てる会の会長でいらっしゃいます、と答えたかもしれませんね。そこで、陛下はどうなさいましたか?」

安倍「そういうことがあるのかね、と怪訝そうな顔をしておられたよ。あとから外務省のスタッフに指摘されて真っ青になったが、もうどうにもならん」。

 これは実話。
1984年11月にザンビアの首都ルサカ市内にあるインターコンチネンタル・ホテルの一室で、ともに「焼酎のお湯割梅干入り」を飲みながら、4時間以上閑談していた中のことである。

 安倍外相は、日本の外務大臣として、国際会議以外に初めてアフリカを歴訪された人である。

 当然、専用機で数十人の随員と随行記者たちも大勢いた。

 時差の関係で大臣は寝付けず、旧知の私を呼びつけ、現地の大使のお酌で(申し訳ありませんでした)、あれこれと話をしていたのであった。

 私はそのとき、難民を助ける会の代表幹事として、当時の三宅和助中近東アフリカ局長らとモザンビーク、ジンバブエと周る先発メンバ−の一員で、ザンビアで大臣の一行と合流したのであった。

 現在、スペイン大使である吉川元偉(もとひで)氏は当時、担当課の首席事務官としてご一緒して以来、親しくお付き合いしている。

吹浦「賀陽大使は国連局長やベルギーを終えて、今は・・・」

安倍「ブラジルの大使だよ。考えてみれば私はこのとおり外務大臣なんだから、外交の関係者のことだと思わなくちゃいけないのに、やはり固くなり、あがっていたんだよね」。

 このザンビア行きで、安倍外相から「明日カウンダ大統領と会うんだが、NGOの人間として何か伝えたいことはないか」と訊かれ、「難民を助ける会がここで活動するワーキング・パーミット(労働許可)が下りず、ザンビア政府との協定も交渉を始めて半年近くにもなってまだつまっていないんです」とお話した。

 安倍外相は翌日の会談でその話を持ち出してくれ、おかげで協定はほどなく署名に至った。

 また、外務省と私ども民間団体が力を合わせ、「アフリカに毛布をおくる会」を組織し、森繁久弥会長、吹浦忠正実行委員長として活動が出来た。176万枚の毛布と12億6千万円の資金が寄せられ、事業を全うすることが出来た。剰余金の3億円近くは、南アフリカの黒人のための奨学基金になって今も活用されている。
 
 ところで、私は昭和天皇を遠くで拝見したことは終戦直後以来何度かあるが、もちろん、言葉を交わしたことも、お近くにいたこともない。しかし、園遊会などでお会いした人たちの話を聞いても、みなさん、いろいろ失敗しておられるようだ。やはり極度に緊張するのだろう。
 
 もっとも、小さな親切運動の今の会長は、田中義具(よしとも)元ハンガリー大使。一昨年、二人部屋の同じ船室で国後島や択捉島に行った。今も、北方領土の研究会ではお仲間であり、毎月のようにおめにかかり、何かとご指導いただいている。
 
 ご令息の現総理は、何か今上天皇の前で失敗したことがあるのだろうか。今度、機会があったら聞いてみたい。


弔問外交またも不発 [2007年04月26日(Thu)]






 エリツィン元大統領の葬儀が25日、モスクワの救世大聖堂で行われた。

 プーチン大統領をはじめ、ゴルバチョフ元大統領やロシアの要人が列席したのは当然であるが、外国からも、米国からはブッシュ元大統領、クリントン前大統領、英国からはメージャー前首相など、エリツィンが活躍した1990年代を主導した政治家たちが多数参列した。こうした世界の指導者だった著名人が、未亡人となったナイナ夫人を抱きしめて弔意を示す映像や写真が世界に流れると、ジーンと来るものがある。

 残念なのは日本。ロシアに赴任してまだ1年という斎藤泰雄大使のみで、特使の派遣もなかった。中国、インドも要人の出席が間に合わなかったとはいえ、またも「弔問外交」の機会を逃した。

 23日に亡くなってから葬儀までの期間がなんとも早かった。何事にもゆっくりのロシアがどうしてこんなに早いのかは、地下鉄のエスカレーターの速さ(日本の3倍)とともに不思議だ。

 しかし、普段からの構えや備えがあれば、その日のうちに決定して24日の飛行機でモスクワに向かうことは可能だったのだ。

 ただ、小欄では、1993年にエリツィンとの間で「東京宣言」をまとめた細川護煕元首相が一番適任だと言ったが、政界を離れている、野党だからまずいなどということなら、1990年代に大使だった枝村純郎、渡辺幸治といったエリツィンと何度も会っている人や、外相経験者くらいは参列してよかったのではないか。

 かつてソ連のアンドロポフ首相が亡くなったとき、就任からほどない中曽根首相は果敢にモスクワに飛んで「弔問外交」を行い、継承したゴルバチョフ氏らとの関係をよくした。

 しかし、4年前、サハリン州のファルフトジノフ知事が航空機事故で亡くなったときにも、7時間の時差をこらえてプーチン大統領が州都ユジノサハリンスク(戦前の豊原)までやってきたが、日本からは、交代期で総領事がいなかったこともあり、30代半ばの総領事代理が出席しただけだった。

 こういう場合は、せめて北海道知事とか、主要な閣僚経験者などが参列すべきではないか。

 せめてしかるべき人大使館に弔問にでかけるとは、数時間でもいいから半旗を掲げるとか、やりようはいくらでもあろう。日本人はこういう場合、本来、決して冷淡な国民性ではないはずなのに。

 外交問題では外務当局や官邸にこういう形であまり文句をいうのは私の趣味には合わないが、どうも残念なことが多すぎるように思われてならないので、きょはあえて書いた。
国連軍縮活動のトップ [2007年03月28日(Wed)]





「清泉寮」。挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。




 国連ではバン新事務局長の下、事務局機構の改革が進められており、軍縮局が格下げになるのではないかという見方が強かった。

 この局長ポストは事務次長扱い(高等代表)で、いわば日本の大使経験者の指定席になっていて、阿部、田中両大使が続いて就任していた。

 結局、局は消えたが、その場合には事務総長、次長からなる幹部会からも締め出されるのかというのが私の大きな心配だった。つまり、それでは軍縮が国連の活動の中で小さくなってしまうからだ。

 紆余曲折の末、下記のような結果になったことを、軍縮ネットワークの関係者からお報せいただき、ほっとしたので、紹介したい。関係者のここ数ヶ月のご尽力を多としたい。

    ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

 総会決議には新しい高等代表の任務は細かく記されていませんが、一月末に事務総長が加盟国に提示したAdvancing the Disarmament Agendaという文書のなかには、高等代表はSenior Management Group, Senior Advisors meetings, Executive Committee on Peace and Security, Policy Committeeといった幹部会に出席し、軍縮部を代表し、また軍縮問題において加盟国と国連事務局の関係の取りまとめ役(focal point)を務めるとあります。

 したがって、その後バン事務総長が幹部会の現在の形態を変更しない限りは、新しい軍縮担当高等代表は現在行われている幹部会に出席することになります。

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