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サントリーホールの舞台裏に著名演奏家の色紙が [2012年09月17日(Mon)]


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ご存知、サントリー・ウィスキーやビールのマーク。この写真はサントリーホールの楽屋入口に立つ私の身長ほどの高さの標柱。「響」の一字をデザイン化したものです。ウィスキーも音楽も響きできまるということから来たそうです。

さて、そのサントリーホールの舞台裏(back stage)にはここで演奏した巨匠たちの色紙が大きなボード3枚に展示しています。サントリーホールでは時々、back stage tourというのをしていますので、ご覧になった方も多いかと思いますが、13日に「忘れないで3.11」チャリティ・コンサートを主催した時、何度か通りかかりましたので、急ぎ、撮影しておきました。

朝比奈 隆、小澤征爾など日本人の著名な指揮者のサインもありますが、欧米人演奏家のも、この写真を拡大して、判読してみてください。
安土町で金管22重奏 被災地に思い込め [2012年06月05日(Tue)]




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 大阪・京都・三重・兵庫・滋賀の
近畿二府三県から集まった金管楽器と
コントラバスに
滋賀県安土町の文芸セミナリヨの
パイプオルガンの演奏家、合わせて計22人が、
5月27日、信長由来の安土文芸セミナリヨで
非公開コンサートを開きました。

名前は「この日限り(?)」の
安土祝祭金管合奏団。

指揮は前田郷司氏。

プログラムには
東日本大震災の被災地復興への祈りを込めた
「A Song for Japan(日本に捧ぐ歌)」も。

この曲は、ベルギー人の作曲家で
トロンボーン奏者の
スティーヴン・フェルヘルスト氏が
「3.11」の大震災に心を痛め、
作曲して、楽譜をインターネットで
公開したことにより、同合奏団も
「A Song for Japanプロジェクト」への
協力を決めたそうです。

そこで、インターネットなどで
広く参加を呼びかけたところ、
普段は別々の団体に所属する演奏家や
演奏愛好家が
この日、安土に集まったのでした。

プログラムは、
このほかバロック音楽の名曲や
ワグナーの「マイスタージンガー序曲」など
四曲も。

合奏の様子は、後日、
「YouTube」にアップされます。

前田さんは
「ほとんどが初対面、初見での演奏にしては、
まあまあ良かった。時間とともに
被災地への注目度が下がってくる。
まだまだ困っている人が
たくさんいることを、
もう一度思い起こしてくれれば」と、
被災地復興への思いを
世界に発信しました。

編成と前田氏の編曲が面白く
関係者の話題になること必至です。

ちなみにこの日集まった楽器は
次の通り。

中にはかなり珍しい楽器も
あるようです。

ピッコロトランペット 3本
Ebソプラノトランペット 1本
Ebソプラノコルネット 1本
Ebソプラノフリューゲルホーン 1本
Bbトランペット 8本
Bbポケットトランペット 1本
Bbフリューゲルホーン 4本
フレンチホルン 5本
フランペット 2本
メロフォニアム 3本
改造メロフォン 1本
オーバル・テナーホーン 1本
ユーフォニアム 1本
テナートロンボーン 1本
テナーバストロンボーン 2本
バストロンボーン 2本
バストランペット 1本
エキサイトボーン1本
p-ボーン 2本
Ebバス 1本
Bbバス 1本
Bbテューバ 1本
コントラバス 1台
オルガン 1台

募金が36,700円も集まり、
前田さんは29日、上京の折、
「難民を助ける会の被災地支援、
特に音楽支援に役立ててください」と
特別顧問である私に直接、
手渡してくださいました。

ありがとうございます。
被災地に楽器を贈り、音楽を届ける活動に
活用させていただきます。

実は、私がこのコンサートを知ったのが2,3日前。
当日は新神戸まで往復する予定があり、何とか調整をと試みましたが果たせず、
「是非、次回は」と今から楽しみにしています。
飯田悠紀世先生のリサイタル [2012年03月28日(Wed)]


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私が、落語の「寝床」よろしく、声楽を習っていることは何度か書きました。

松田トシ先生が旧臘逝去されましたが、私はその最後の門下生でした。

今は、飯田悠紀世先生に発声をときどきご指導いただいております。

その飯田先生が6月9日午後5時より、日本橋公会堂で、

ご自分の恒例のリサイタルを開催します。是非、お越しください。

何でも、今回は「○○を記念して」とのことですが、

とてもそんなには見えません。

「海ゆかば」でもめた演奏会 [2012年02月10日(Fri)]







  左端が森 敬恵さん。最後はこんな形で斉唱した。





「海ゆかば」(詞・大伴家持、曲・信時 潔)を
ステージ歌うか否かで、
本番が大混乱するというコンサートだった。 

友人・仲間と誘い合わせ
「国分寺・日本のこころ音楽祭」でのこと。

森 敬恵(としえ)さんという戦後生まれの
ソプラノ歌手(二期会会員)を中心とする
コンサートである。

あらかじめチラシで、
第2部は「みんなで歌おう」と題して
唱歌・童謡12,3曲を歌うという構成だった。

このため、出演希望者は事前に届けて
ステージに上がり、
会場の人たちも一緒に歌うという
趣向であるとしていた。

「海ゆかば」は配布された歌詞カードにも
印刷されている。

それが、いよいよ「海ゆかば」の
順番になってから、
森さんは「これを歌うかどうしましょう?」
と場内に呼びかけたのだ。

そこで一部の女性が場内中央で立ち上がり、
いささかヒステリックに反対を表明し、
音楽祭代表の木村智行さんがあっさりと
「きょうはこの歌は止めにします」と
マイクを通じて、あっさりと削除した。

既に、事前にこの歌を歌いたいと
申し込んでいた人を中心に、
ステージにはざっと30人ほどが
上がっていた。

そこで「止めにします」であるから、
当然、騒ぎとなった。

実は、私も事前に申し込んで
この曲の時はステージに上がろうと思って、
数日来、楽譜を持ち歩き、
確認と心構えをしていた。

また、この歌の素晴らしさ、
歴史的役割については
私なりに十分検討し、10年ほど前の拙著
『歌い継ぎたい日本の歌―
愛唱歌とっておきの話』(海竜社)でも
触れている。

学徒出陣のときに歌われた歌であり、
戦時中は
第2の国歌的な存在であったこと、
戦後は『信時 潔全集』から
GHQその他の意向を気にして
削除されていたことも熟知し、
小欄でもその奇怪さについて
書いたことがある。

それを木村代表は
詫びもせずに、ただ、止めにするというのでは
納得ができない。

だから、私は
「チラシでこの歌を演奏し、
みんなで歌うからというので、
入場料を払ってやってきた。歌わないなら
入場料を返してほしい」と客席から
力説した。

最終的には
圧倒的大多数の賛成で
この歌は演奏され、
唱和することができた。

私は全体の雰囲気を見たかったので、
ステージに上がることは止めたが、
もちろん、大きな声で一緒に歌った。

こういう重要な変更をするというなら、
チラシやプログラムに
「都合によりプログラムの一部を
変更する場合があります」とでも
表示しているなら、
私もここまで強くは
主張できなかったと思うが、
一部に反対があるから止めるというのは
承知できない。

その人たちも、チラシを見て、
この曲が出てくることを承知のうえ、
入場料を払って来場した人ではないか。

社会は常識というルール、
プロセスという通路を通りながら
動いているのであり、
こういうことで主催者がビビったり、
丸くまるくという風潮がはびこるのは
まっぴらである。

一部の観衆(と言っても
ほんの2、3人程度)が騒いだからと言って、
木村代表、自分の良心と、
圧倒的多数の賛意、
事前の約束に基づいての入場料の徴取を
行っての演奏会、
主催者としての矜持と責任を、もっと
しっかり理解して毅然とした態度で対応して
ほしいものである。

森さんもまた、
「木村代表がこの曲をここで演奏することで
職を失ったらみなさんお世話ください」
などという悲壮なことをいうべきではない。

自分の信念、価値観への確信で、
主体的に堂々とステージを
動かしてもらいたい。
ロシアと韓国の国歌 [2012年02月03日(Fri)]








ソ連の国歌とロシアの国歌について、
名古屋のWさんという高校2年生から
質問が来ました。

Wさんはもとより、今の大学生は、(まともに?
入学していたら)みな平成生まれです。

と言うことは「冷戦」は知らないし、
「ソ連の崩壊」も「昔のことね」でおしまい。
中には、「ソ連ってなぁに?」という人さえ
いるのです。

無理はありません。平成3年末には
ソ連は崩壊していたのですから。

念のために書きますと、「ソ連」は、
「ソビエト社会主義共和国連邦」の略です。

各種のスポーツ大会でソ連選手は
世界を席巻し、
「CCCP(「ロシア語による国名の略号、
セ・セ・セ・エルと読む)」のユニフォームは
ひかり輝いていました。

中学生だった私は、
いつのまにかソ連国歌を諳んじてしまうほど、
何度も表彰式でこの国歌を聴かされていました。

今のロシアの国歌は、
紆余曲折はありましたが、
プーチン大統領(当時)の一声で、
1944年に制定されたソ連時代のメロディー
(アレクサンドル・アレクサンドロフ作曲)が
復活したものです。2001年の元旦からのことです。

歌詞もまた、
ソ連国歌の作詞者である
セルゲイ・ミハルコフがメロディーに合わせて
新たに作詞したものなのです。

実は、1990年代に脱ソ連化を推し進めていた
ボリス・エリツィン大統領(当時)により
ミハイル・グリンカ作曲の「愛国歌」を
暫定国歌として定めていたのですが、
経済が未曾有の混乱を続け、
貧窮のさなかに陥っていたためもあり、
この歌詞のない暫定国歌は、
定着せず、
多くの人にとって
「今では思い出したくもないという時代と歌」に
なってしまっています。

ロシアの国家院(ドゥーマ)では、
ジュガーノフ率いる共産党は、
当時も今も一定の勢力と影響力を
保持しています。

国民の中に潜在している大国ロシアへの郷愁と
誇り呼び起こすことが出来るとして、
共産党がソ連国歌の復活を提案、
エリツィン大統領と対立していました。

エリツィンに代わって大統領となった
ウラジーミル・プーチンは、
共産党への懐柔策と「強いロシア」を夢見ている
国民の「夢よもう一度」の期待に迎合して、
このいかにも大国の国歌らしい
荘重なメロディーの国歌の復活を図りました。

そしてこれは多くの国民に大歓迎されたのです。

ただ、こうした経過は諸外国、
とりわけ旧ソ連構成国には
「ソ連復活を企図か」という「悪夢」を呼び起こし、
「冷戦時代の再来」という印象さえ振りまいたのでした。

それでも、原油の高騰と天然ガスの輸出で
ロシア経済が発展し、
人々が自信を取り戻しつつあったこともあり、
この曲は定着したと言っていいでしょう。

国歌のメロディーはそのままにして
歌詞だけ変えたのはロシアですが
お隣りの韓国はその逆をやっています。

韓国の国歌は、かつて「蛍の光」の
メロディーだったのですが、
独立後、安益泰が作曲しなおしたものです。

いっしょに「日本の心」を歌いましょう! [2012年01月31日(Tue)]







日本への誤解を解くために
英語で頻繁に発信しておられる尊敬する友人・
茂木弘道氏のお誘いで、
数人そろってこのコンサートに出かけます。

聞くところによると、
「海行かば」(大伴家持作詞、信時 潔作曲)の
演奏には、一部から反対の声が
上がったそうですが、それでもあえて
プログラムに加えたそうです。ご立派!

私の友人(男女)たちはカラオケでいつも
これを最初と最後に歌うというんですから
これまたご立派!!

あれは文句なしに天下の名曲です。

さあ、Let's go to 国分寺!!!
高木竜馬君の演奏に期待する [2012年01月08日(Sun)]









 ウィーンの留学先からたまたま帰国した
高木竜馬くんのピアノ演奏を
約3年ぶりに聴かせていただいた。

 前回は、早稲田の同級生の富沢誠二くんに
勧められてだったが、今度は、
この若者の魅力に釣られて馳せ参じた。

JR千葉駅前の京葉銀行文化プラザは満席、
みなさんの期待の大きさが分かるし、
私もこの19歳の演奏家に
かねて期待していたから
自宅から1時間半近くかけて
出かけたのだった。

 期待は外れなかった。

3年間の成長ぶりは、
レパートリーの広さと
確かな技術力に十分反映されていた。

以前の荒っぽいまでの演奏さは
少しずつ豊かさに変わっていたが、
欲を言えば、
もう少しppを聴かせてほしかった。

ppであっても「歌う」ところは
しっかり歌ってほしかったということだ。

 それと、前半がベートーベンの
ソナタ2曲というのが、少し重かった。

 それに比して、後半のショパンの「舟歌」や
リストの壮大なソナタは
充分堪能させていただいた。

 リストのこの大曲はよくぞここまで
という弾き手のスケールの大きさまで
感じさせてくれる名演奏だったと思う。

 もう1つ、これはお願いだ。

 プログラムにまるで音楽学の論文かのような
曲目解説を本人が掲載していることについて。

 私は?である。若者は、
このような一万字もの「お説教」を
垂れるより、
どうだ、参ったかと演奏だけで勝負してほしい。
九十九里浜 [2011年12月25日(Sun)]








 北見志保子作詞、平井康三郎作曲
「九十九里浜」を勉強している。

  沖はるかに 荒れて波立ち
  水平線 日の出近くして 
  海鳥飛べり

  沖つ浪 みるに遥けし  
  思うこと いほえへだてて    
  わがなりがたし
  わがなりがたし

  わだつみの 太平洋に  
  まむかいて 
  砂浜白し 九十九里なり 
 
1935年、昭和10年に
発表され、佐藤康子、柳兼子といった
戦前から名歌手とされた人や、
近年では鮫島由美子が歌っている
名曲である。

三連休などとなると、
たまった仕事もそっちのけで、
はたまた引っ越しの埃で喉を
痛めたのも忘れて、しばし、
この曲の楽譜とにらめっこしている。

私は、先日、亡くなられた松田とし先生の
最後の弟子であると小欄で
何度か申し上げた。

だから、最後に先生のレッスンで教わった
この歌は松田先生を偲ぶ歌でもある。

 変化するテンポ、再三の転調で、
私にとっては難曲だが、素人なりに
どうしてもマスターしたい。

 そうした中でどうしても
すっきりとわからなかったのは、
この部分の「いほえ」である。

  沖つ波 見るに遥けし
  思うこと いほえへだてて
 わが成り難し わが成り難し

「いほえ」の意味が分からなかった。

「広辞苑」(岩波書店)にも
「日本語大辞典」(講談社)にも
このままの項目では出ていない。

「いおえ」ではないかと思って、
これを引くと「五百重」とある。
「幾重にも重なっていること」

 しかし、それならば
「いほへ」ではないのか。

「万葉集」に、柿本人麿の歌として、

大君は神にしませば天雲の
いほへが下に隠り給ひぬ

とある。「万葉集」の原文では、
王者 神西座者 天雲之
五百重之下尓 隠賜奴
である。

いろいろ考えた末の結論は、
私を含めて今の人はおしなべて、
語彙が減り、かつ、旧仮名遣いに
通じていないので、
「五百重」がすぐ出てこなかったのだ。

「九十九里浜」の歌詞で、
思わぬ勉強をさせていただいた。
NHK被災地の中学生の「第九」を [2011年12月21日(Wed)]




   社会福祉法人さぽうと21では釜石東中学校はじめ被災地の教育を
支援しています。これは12月19日、同中学校に理科の教材他を
お届けした際に、最近掘り出されたという学校のプレートを
見せていただいた高橋敬子(きょうこ)さぽうと21事務局長です。







 東日本大震災で壊滅した
釜石東中学校は、
昨日、小欄で紹介したように、
同じ市立釜石中学校に同居していますが、
今夜放映の、
すばらしい番組に出演します。

  釜石市立釜石東中学校の
佐々木俊教諭からのメールです。

   ✾  ✾  ✾  ✾  ✾

本校では釜石市の「第九」発表会に
参加をさせていただきました。

約半年間の取り組みの末に、
全曲中学生が歌い上げた
取り組みの様子が
NHKで全国放送されます。

もしお時間がとれるようでしたら
ご覧いただきたいと思っております。

12月22日(木)午前0時15分〜0時40分

つまり、21日の深夜ですので今夜です。

再放送は、12月30日(金)
午後2時35分〜3時00分
よろしくお願いいたします。

☆★∴∵★☆∵∴☆★∴∵★☆

 みなさま、是非、ご覧になってください。
笙の演奏を初めて目前で見ました [2011年12月13日(Tue)]

   

   12月10日、青山斎場での、松田トシ先生の通夜式で。









    笙。ウィキペデァより。岐阜城資料館のもの。






 一昨日(12月11日)に行われた
高橋重宏日本社会事業大学学長の
家族葬の通夜式では、近衞忠W社長、
吉備 健アンリー・デュナン教育研究所代表幹事
らとともに、(年の功で)最前列に着席しました。

 道灌山会館(西日暮里)は
それほど大きなところではなかったので、
私は目の前で神職の人が
笙を吹くのを見るという初めての経験をしました。

 同じ日の松田トシ先生の告別式、前日の通夜式でも
離れていましたが、すばらしい雅楽の演奏を
聞かせていただきました。

 故人はお二人とも、宮司の家に生まれた方ですので、
当然、神道の司式によるものでした。

 そこで、目前で見、聴いた笙について
不謹慎にも少し考え込んでしまいました。

 笙についてウィキでは
次のように説明しています。

    ✾  ✾  ✾  ✾  ✾

匏(ふくべ)と呼ばれる部分の上に

17本の細い竹管を円形に配置し、
竹管に空けられた指穴を押さえ、
匏の横側に空けられた吹口より
息を吸ったり吐いたりして、
17本のうち15本の竹管の
下部に付けられた
金属製の簧(した:リード)を振動させて
音を出す。

音程は簧の固有振動数によって決定し、
竹管で共鳴させて発音する。

パイプオルガンのリード管と同じ原理である。

いくつかの竹管には屏上(びょうじょう)と
呼ばれる長方形の穴があり、
共鳴管としての管長は
全長ではなくこの穴で決まる。

そのため見かけの竹管の長さと
音程の並びは一致しない。

屏上は表の場合と裏の場合があるが、
表の場合は装飾が施されている。

指穴を押さえていない管で音が出ないのは、
共鳴しない位置に
指穴が開けられているためである。

ハーモニカと異なり、吸っても吹いても
同じ音が出せるので、
他の吹奏楽器のような息継ぎが不要であり、
同じ音をずっと鳴らし続けることも
出来る(呼吸を替える時に瞬間的に
音量が低下するのみ)。

押さえる穴の組み合わせを変えることで
11種類の合竹(あいたけ)と呼ばれる
和音を出すことができる。

通常は基本の合竹による奏法が中心であるが、
調子、音取、催馬楽、朗詠では
一竹(いっちく:単音で旋律を奏すること)や
特殊な合竹も用いる。

その音色は天から差し込む光を表す
といわれている。

 構造上、呼気によって内部が結露しやすく、
そのまま演奏し続けると簧に
水滴が付いて音高が狂い、
やがて音そのものが出なくなる。

そのため、火鉢やコンロなどで
演奏前や間に楽器を暖めることが
必要である。

   ✾  ✾  ✾  ✾  ✾

 なるほど、開式の前に演奏する神主さんは、
小さな電気コンロを目前に置き、
しきりに温めていました。

 そのことはこの説明でよくわかりました。

 それにしてもあの何とも不思議な
ハーモニーはまさに「天からさしこむ光」
ですね。

 西洋の楽譜にして見せてほしいものです。

 ひとりであんなにも和音がいろいろ演奏できる、
そんな邦楽の楽器ってほかに何があるのでしょう。

 概して日本の音楽はメロディか複雑ですが、
ハーモニーのない、あるいは少ないものと
思っていましたが、
笙では、ここに説明のある「合竹」という
すごい演奏ができるのだと
つくづく感心しました。

 なるほど、こんなに表現力があるなら、
クラシックや現代音楽にもとりいれられている
ということがよくわかりました。

 またまた大事な儀式の最中に
妙なことを考えてしまったことを
霊前にお詫びします。
           合掌
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