CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 旅 | Main | 国旗»
<< 2014年04月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
拙著がバングラデシュで出版へ [2011年12月29日(Thu)]










 私が国際赤十字東パキスタン駐在代表
として今のバングラデシュにいた時の
体験記
『血と泥と―バングラデシュ独立の悲劇』が
ベンガル語に翻訳され、
NHKの海外放送で何回にも分けて
今年、朗読されました。

 それを聴いたバングラデシュの出版社が
是非、同国で出版したいということで
この2月にベンガル語で
上梓されることになりました。

 急遽、ベンガル語版用の序文を
書くように依頼され、
以下のものをお送りしました。

☆    ☆    ☆

Bangladesh comes into being.
 ちょうど40年前、
バングラデシュが独立を迎えた日の朝、
ダッカで復活した
The Bangladesh Observer は
号外のような紙面ですが、
この見出しを掲げていたのを、
今でも覚えています。

 アマルショナール・バングラ 
アミ・トマエ・バロワシの国歌は
国中至る所で聞かれ、
「アマルデシュ・トゥマルデシュ・
バングラデシュ・バングラデシュ!」
(私の国はバングラデシュ、
あなたの国もバンギラデシュ)
「アマルネタ・トゥマルネタ・
シェイクムジーブ・シェイクムジーブ!」
(わが指導者はシェイクムジブルラーマン、
あなたの指導者もシェイクムジブルラーマン)
が叫ばれていました。私もまた、
「アミ・バングラデシュ・ク・ポチョンドコリ」
(私はバングラデシュがとても好きです)
と応えていました。

 建国の父と讃えられた
シェイク・ムジブル・ラーマンを
ダッカ空港に迎えたあの喜びの日、
私は自分自身がバングラデシュ国民の
一人になったかのように、
同僚のハルン・アルラシドくんと空港に出迎え、
元競馬場での100万人とも言われた
歓迎の人並みを前に、誘われて演壇にいました。

 しかし、
その興奮に消されかけてはいましたが、
この日を迎えるまでに
実に大きな悲劇があったこともまた、
私には忘れられません。

今、思い出してもパキスタンから
分離独立するという「産みの苦しみ」は
並大抵のものではありませんでした。

あらためて合掌し、
犠牲となられた方々を思い、
哀悼の誠を捧げたいと思います。

 今般、翻訳してくださった渡辺一弘さんや
バングラデシュのさまざまな人たちの
ご厚意により、思いがけず、
拙著がベンガル語に訳され、
NHKの海外放送で連続して朗読が行われ、
それを聴いた関係者のご尽力で
ダッカで出版されることになりました。

 ムジブ首相とはその後、
来日の機会に歓迎会の演出を担当し、
客船で日本の和歌山と言うところまで
一晩ご一緒し、お話をする光栄にも
浴しましたが、私としては、
ハルンをはじめ、
ハチヤ島でいっしょに働いた
モイン・ウディン・アーメド、
バブル教授たちはどうしているのかな、
とまず懐かしい顔を思い出してしまいます。

ここ数年、音信を絶やしてしまったことが
残念です。

そのハチヤにバングラデシュ最初の
解放区をつくったロフィクル・アロムは、
そのハチア島でDUSというNGOの
executive directorを務めており、
私の関係していた団体で、
日本に招かれお会いしたこともあります。

私にとってバングラデシュとはまさに
こうした具体的な仲間たちのことです。
 
10年ほど伺っていませんが、
最近のバングラデシュは経済も
順調な発展を遂げているようで、
健全なナショナリズムに裏づけされた、
この詩のような光景の国が、
文化、教育、公衆衛生などが
さらに充実して発展することを
切に望んでいます。

 最後になりましたが、
内戦と言う混乱期に限られた情報で
執筆したため、私の誤解や偏見等、
多々あろうかと思います。

その点をご寛恕いただければ幸いです。

また、拙著が、日本とバングラデシュの
相互理解促進の一助になってくれれば幸いです。

 ショナール・バングラ(麗しきベンガル)の
人々に神のご加護がありますように。

      2011年12月16日
(バングラデシュ独立40周年の日に)
            吹 浦 忠 正
お勧め『オリンピックの身代金』 [2011年11月22日(Tue)]














 1964年10月10日、この瞬間が最後の第56章。『オリンピック東京大会公式報告書』より。










  開会式当日の私。国立競技場メインスタンドの下で。 








 直木賞作家・奥田英朗さんが、
あつかましく言わせてもらえば
私のために書いてくれたような長編を
興奮しながら、読み終えました。

題して、『オリンピックの身代金』、
角川文庫から上下2冊で出ています。

表題が示すように、
これは東京オリンピック開会式が行われた
1964年10月10日までの1、2ヶ月程度の
話として設定されているものです。

 奥田さんは1959年生まれとのことですから
東京五輪の時はわずか5歳。にもかかわらず、
綿密な調査で、東京五輪組織委に
国旗担当専門職員として奉職していた私が見て、
何の違和感がないほど、間違いなく
描きあげられているのです。

 当時、私は早稲田に在学中の身だったので、
組織委で最年少の職員でした。

 ですから、この小説の主人公である
島崎国男(東大経済学部大学院生)と私は
同じ世代であり、しかも、
同じ秋田県の出身なのです。

 秋田の貧しい農村から当時は、
膨大な数の出稼ぎ労働者が上京していました。

 そして、こういう底辺の労働者の
「人柱」ともいうべき犠牲があってこそ、
わが国の高度成長と東京五輪の成功を
成し遂げたといっても過言ではありません。

 東大生・島崎の兄はその人夫で、
過労とヒロポンの多用で亡くなり、
島崎は夏休みに兄と同じ経験を積もうと
労働者に混じって
五輪施設建設の末端で働くのでした。

 兄の葬儀で秋田の貧しい農村に帰省し、
東京との格差を再認識したということに
なっていますが、
そこにはいささか飛躍があると
いわざるを得ませんし、マルクス経済を
大学院で研究しているからと言って
格差社会に入り込んでいくというのも、
少々、話にムリがあるように思います。

 島崎は、格差への反発がさらに
エスカレートし、やがて、
工事現場での体験から
ダイナマイトをやすやすと入手し、
五輪警備の最高責任者の自宅、
中野の警察学校、
新設のモノレールなどで
次々と爆破を成功させ、
五輪目前の警察を混乱させるのです。

 警視庁内の公安部と刑事部との
縄張り争いは失笑ものですが、
50年近くたった今でも、私には
その抗争はあまり変わっていないような
気がする(といっては関係者に叱られる?)
のですが、いかがでしょう。

 全編が56の章に区切られています。
そして、そこには1964年の日付が
記され、その日そのとき、
それぞれの登場人物が
どうしていたのかを書き綴っています。

 ですから、少々注意しないと、
前後が混同することもありますが、
刻々と変化する状況をリアルに描写するには
感心させられる構成と見ました。これによって、
島崎、警視庁、建設現場、メディアがその日
どう動いたかなどが、しっかりと把握できます。

 島崎と最後まで行動を共にするのが、
車内スリを「生業」とする秋田出身の村田、
ほかにテレビ局員の同級生、
馴染みの古本屋の娘、ヤクザ、
島崎をかくまう東大の左翼女子学生・・・
登場人物がみな個性的に描かれているのもいい。

場所は、もちろん国立競技場や
日本青年館などの
千駄ヶ谷が中心で、
国立競技場の聖火台付近が最後の山場だが、
いずれも私には馴染みの場所。

 逃げ落ちる夜行の急行列車も
「津軽」「男鹿」「奥入瀬」と
私も当時何度か帰省の行き帰りで
乗った列車。

大田区の飯場、代々木の選手村、
東大周辺などを中心とする都内各地、
時には、在日朝鮮人グループや
裏社会のことも出てくる。

 しかし、あくまでも主役は
秋田出身の島崎国夫と国立競技場、
なんとも奇妙なご縁に、読後の興奮は
まだまだ覚めそうにありません。

 あの時代、もしかして
こういうこともあったかもしれない
と思わせる引きこみ方が実に旨い。

 東京は治安がいいとしなければならないため、
爆破事件を伏せ続けなければいけない警察、
五輪開会式の日までに犯人の
身柄を拘束しなくてはいけない警察、
逃げる島崎との警察との知恵比べ・・・

 はじめから犯人がわかっている
推理小説ですが、もしかして読者は
主義主張が違っても、島崎を
助けてあげたいとさえ、
思ってしまいそうになるかもしれません。

 現に私がそうでしたと告白せざるをえません。
 脱帽。

「完璧な秋田弁」もふんだんに出てきます。
きっと私の世代の秋田の人が
協力したに違いありません。

 秋田、同世代、同郷、東京五輪が舞台・・・
おまけに、終戦の前日の
秋田(土崎)空襲についても
詳しく描いてくれています。

 私の興奮ぶりをご推察ください。

 私の疑問はただ1つ。しばしば
出てくる「すいません」。

 これは小欄では何度も指摘したように
最近、たまに聞く嫌な言葉。

「すいません」は麻薬とタバコ、
当時の秋田では詫びたり感謝したりの言葉は
「すみません」か、
「すまね」「すまねっしなぁ」しか
なかったです。

 そのことばが出るたびにげんなりしましたが、
そんなことをはるかに超えるすばらしい
推理小説と評価し、みなさまにご一読を
お勧めしたいのです。
「高田松原ものがたり」のお薦め [2011年09月14日(Wed)]










陸前高田市の高田活版というところが、
すばらしい本を出しています。

6月22日、
「高田松原ものがたり -消えた高田松原-」の
復刻再刊版の販売を開始しました。

「高田松原ものがたり」は2007年に
高田松原を紹介する本として発行し、
主に学校に配布したものです。

今回、復刊の依頼を受け、
高田松原の震災後のようすを伝えるページを
追加した形での再販となったものです。

出版協力した茨城県開運寺の
秋山現信住職のブログでも紹介されています。

高田活版への連絡先は、
〒029-2205
岩手県陸前高田市
高田町字馬場前114
E-mail : info@takatakappan.jp
です。

私は先日の「高田復興イベント」のお祭りのさなか、
1500円で求めました。
プラハ、ベルリン、ウィーン [2010年05月05日(Wed)]





    チェコ







   ドイツ







   オーストリア





聖心女子大で私の授業をとっている
約100人の学生のほとんどが平成生まれである。

だから、米ソの対立も、「ベルリンの壁」も
まさに歴史上の出来事。私にとっての
「2.26事件」や「真珠湾攻撃」に相当する。

4,5人に聞いてみたところ、
「高校の世界史ではそこまでは行かなかった」
「ヨーロッパのど真ん中の南北にに長大な壁が
築かれていたんですってね」という始末。ほとんど知識がない。

しかし、冷戦は「アラ古希」の筆者には
まさに同時代的世界史だった。「壁」は、
筆者の学生時代1961年の夏に突然、築かれ、
28年後に、これまた突然、破壊され、
一部を記念碑のようにして残したのみで、
完全に消え失せた。

1871年1月、ドイツはプロイセンを中心に再統一、
ドイツ第2帝国が誕生した。このときの国旗は
黒白赤の横三色旗。第一次世界大戦で日本と戦った
青島のドイツ軍はこの旗を掲げていた。

第一次世界大戦に敗れた1919年に、
ドイツは共和制の国家に変り、国旗は現在と同じ
黒赤金の横三色旗となった。

その後のナチス時代には、
かのハーケンクロイツ(鍵十字)になったのは
ご存知の通り。「日の丸」が明治維新でも
第2次世界大戦での敗戦でも
変らなかったのとは好対照である。

そして、第2次世界大戦での敗戦で、
ドイツは英仏米ソに分割統治され、
やがて東西両ドイツがそれぞれに国連に加盟し、
2つの国になった。1973年のことだ。

それから16年、「壁」が崩壊し、
ドイツの再統一がなされたことで、
東独の国旗も消えた。

東ドイツの国旗が消えて20年が過ぎた。
しかし、依然、その爪痕は格差として残っている。

それだけに東独出身のメルケル女史が首相となったことは、
民主国家として価値ある成果と言えよう。

世界に新たな陣営による対立の萌芽はないか、
国民の多くが逃げ出したくなるような国家はないか、
国旗が消えてしまいそうな国はないか、
私はゆっくりと地球儀を廻して見ている。

 GWが終わり、また聖心での授業が始まる。
わが師・末次一郎先生の言う「温故創新」、
学生にも、ここ200年程度の世界の歴史を
少しは学んでもらえるように仕向けたい。

 このGW、さまざまな本に親しんだが、春江一也の
『プラハの春』
『ベルリンの秋』
『ウィーンの冬』(各上下、集英社文庫)には、敬服した。

歴史的事実、著者の外交官としての現場的な経験に加え、
作家としての、陰謀の構想力、国際的なロマンのスケール、
さらにはセックス場面の描写に至るまでご立派。

同時代を経験してきた者としては、時折、
書を膝に置いて窓外を眺めて休まなくては
先が読めない怖ささえあったことを告白せざるを得ない。
読者を眠らせない本とはこういうものか。
「日の丸」の本を出しました [2010年01月16日(Sat)]










 拙著を取り上げるのはいささか照れくさいのですが、
ご勘弁ください。

『知っておきたい「日の丸」の話―国旗の常識・日本と世界』
が学研新書として、明日、発売されます。

 書店によっては一日くらい遅れるかもしれませんが、
特に賞味期限があるわけだはありませんので、
明後日なら間違いないでしょう。

 私としては、国旗に関わる著作は
たぶん40以上になろうかと思いますが、
これは
『国旗で読む世界地図』(光文社新書)以来の自信作です。

というのは、小欄で書き続けてきたものをベースにして
補筆してきたので、時間がかかっているからです。

 ですから、4年間、小欄をご愛読くださっておられる方は、
読んだことのある話が3分の2くらい、あるはずです。

 でも、ブログから本をつくる楽しさは、
それだけのゲタを履いているわけですから、
今度は比較的短期間に、思い切った発想や、
日頃はできなかった調査などを加えて、
充実したものに練り直せるということでしょう。

 学研さんからお話をいただいた日程よりも
ずいぶん早く納稿できましたし、
それだけ推敲や校正、再確認も余裕がありました。

 まずは、ご高覧下さい。本体790円です。

 ところで、小欄は、おかげさまで、間もなく4年、
110万を超えるアクセスをいただきました。

「そろそろタネが尽きるはずだ」と悪友どもはいいますが、
たぶん、日々是好日(ノーテンキ?)の私のことですから
ブログと国旗は尽きないと思います。

 すでに正月から、『物語 国旗で歩く世界』(仮題)を
書き始めています。

 国旗と真剣に付き合って50年です。みなさまからの
率直なご批判、ご質問をお待ちします。
「戦争詐欺師」、凄いよ! [2009年05月29日(Fri)]









『戦争詐欺師』という本を、
著者である若き畏友・菅原 出(いずる)氏からいただいた。

 わがユーラシア21研究所の
若手安全保障問題研究会の代表である。

 いただいてすぐ、GWあけまでに拝読させていただいた。
興奮、興奮、また興奮という、
これは心臓に悪い本である。真面目に読めば。

 そこで、健康上、この種の本に弱い私は
通勤電車のなかで読み、あまり集中しないようにした。

 それでも実は、電車を一度、乗り越してしまった。

 率直に言って、題が悪い。これは著者がつけたのか、
それとも編集者か。

 まるで、著者まで戦争詐欺師のように読者を
引っ張りまわす。但し、中身は文字通り、抜群。

 全9章は21世紀最初の9年をぎゅっと握り締めたような
迫力だ。よくぞこれだけの内外の書を読みこなした、
よくぞ、リチャード・アーミテージ前国務副長官をはじめ、
直接関わった人々とのインタビューを実現し、
しかも、さまざまな秘話と率直な答えを引き出すことができたものだ。

 菅原氏は第一に「行動する人」である。かつ、一流の学者、専門家、
ジャーナリスト、指導者、経営者・・・である。

「9.11事件」に始まるブッシュ政権の内部抗争がここまで
明らかにされるとうのは怖いものがある。

だからそれを、世界政治、米国の内部抗争、軍事現場、
学者と政治家のかかわりなどにわたって分析している8章までは
まさに“詐欺師”同士の知恵と力を読み解いたもので、
すさまじいというほかない。

 それに対して第9章「オバマ政権の行方」は、
こうしたドロドロしたブッシュ政権内部の悪化と劣化の後を受けた
オバマ体制がどう展望を描いてゆくかということについて、
主として人事面から見た著者の見通しである。

オバマ政権は100日を過ぎた。さて、今、この見通しがどうかと
9章を読み直して、うんうん、そうだと肯定できた。

 6月10日、アーミテージを囲む会合があり、私も出席する。

 その前に、もう一度、せめて菅原氏の彼へのインタビューだけでも、
読み直してから出かけねばなるまい。絶対のお薦め本です。

講談社、1890円。アマゾンでも買えますよ。
人脈を知る本 [2008年09月10日(Wed)]









 こんな本がでましたよ。

 きょうは、わがユーラシア21研究所に対する、
日本財団による初めての監査の日。

 理事長たるもの、9時15分にきちんと出勤して、
1日中、外部との連絡を絶ち、待機。

 おかげで、ブログをいっぱい書きましたし、
本もたくさん読みました。

 それはそれは厳しい監査でしたが、
わがスタッフの「優秀さ」をいかんなく発揮し、
ほとんど苦情や指導もなく、
今、無事、乾杯したところです。

 そんな中で、さきに書いた宮脇磊介氏が
昨日、「これを読め」と置いていって下さった
『知られざる日本の特権階級』(別冊宝島編集部)
宮脇氏ご自身が執筆された部分はモチロン、
他の人たちが分担した箇所も
最高に面白かったです。

 日本の政官財そしてメディアのパワーエリーットたちの
人脈を網羅している文庫本。税とも500円で、
こんなに役立つ情報を豊富に提供してくれるなんて、
大助かりです。

 登場人物の大半を、永田町周辺に
38年もいる私としては知っているので、
あの人はこの人の○○だったんだ、と
一気に痛快な気分で読み終えました。

 宮脇さんに深謝するとともに、
みなさまに絶対のお勧めです。
石田画伯が文藝春秋に [2008年09月10日(Wed)]













「谷根千百景―剪画で訪ねる下町ぶらり歩き」は
石田良介画伯の剪画集。お勧め。 ¥ 2,100 (税込)





 小欄でおなじみの石田良介画伯のことが、
「文藝春秋」10月号に出ています。

 冒頭の、上質紙を使った、
そうですね、
およそ50頁に相当するあたりです。

「シリーズ・記憶に残るあの街、この路地」で、
この号は「谷根千」、つまり、
東京下町の情緒をたっぷり残している
谷中、根津、千駄木を紹介している記事の中です。

「商店の軒先に同じ規格、
同じ作家の<剪画(切り絵)>が架かっている」として、
その経緯を紹介しているのです。

 詳しくは、添付の写真でご覧ください。
アフリカ・レポート<下> [2008年09月03日(Wed)]






 松本仁一前朝日新聞編集委員の『アフリカ・レポート』(岩波新書)で、
冒頭まず、ナットクさせられたのは、今のアフリカの諸国家を4つに分類し、その腐敗体質への批判の立場を明確にしていることだ。

それによれば、アフリカには

@ 政府が順調に国づくりを進めている国家
   ボツワナ

A 政府に国づくりの意欲はあるが、運営手腕が未熟なため震度が遅い国
   ガーナ、ウガンダ、マラウィなど10カ国

B 政府幹部が利権を追い求め、国づくりが遅れている国家

C 指導者が利権しか関心を持たず、国づくりなどはじめから考えていない国家
   ジンバブエ、アンゴラ、スーダン、ナイジェリア、赤道ギニア

最後のCの国民はあまりに気の毒としか言いようがない。

松本氏は「この大陸の多くの国では政府指導者が腐敗し、そのため国民が犠牲になっているのである。そんな国に生まれてしまった国民は不運としかいいようがない」と述べ、それを追究すると、「あなたはレイシスト(人種差別主義者)だ」と断じられるというのだ。

 つまり、「政治がうまく行かないのは、植民地支配で教育訓練の機会を奪われたためだ。それなのにあなたはわれわれを差別して・・・」と反発されたと報告している。

 しかし、松本氏をはじめ、今、世界が声を高めているのは、レイシズム的に「アフリカ人」を差別し、批判しているのではなく、「国民を食い物にしているアフリカの政府」を糾弾しているのである。

 
あとで、サブサハラ43カ国を4つのどの分類に入るか、乏しい知識で、自分でもやってみたい。
アフリカ・レポート<上> [2008年09月03日(Wed)]








朝日新聞には、つい先ごろまで、定年を過ぎた「名物記者」が3人いた。

早野 透、船橋洋一、そして松本仁一の3人である。

早野氏は、政治畑の記者。永田町でこの人を知らなかったらウソになる。恥ずかしながら、私のことも何度か大きく取り上げられた。

船橋氏は、本来はアメリカの専門家。いまや世界の大きな動きに健筆を振るう、主幹である。

松本氏は、アフリカの専門家。こういう人が昨年末まで、現役の記者として記事を書いていたというところに、何のかのといったって「大朝日」といわれる所以がある。

往年の那覇、プノンペン、サイゴン、ハノイの記者・井川一久氏など、明日定年という日まで、一記者としてインドシナを取材し、これぞという記事を書いていた。そして学界に転じ、古希を大分超えた今なお、アジアをまわり、分析し、論述している。

その松本氏がこのほど、岩波新書で『アフリカ・レポート―壊れる国、生きる人々』を上梓された。サイン入りでご恵贈くださったことに感謝しつつ、週末にかけて拝読させていただいた。

TICADW(第4回アフリカ開発東京会議)が5月に横浜で開催され、多くの首脳(53カ国中40カ国の首脳)が集まり、日本政府は今後5年間で対アフリカ政府援助(ODA)の倍増を約束したとはいえ、日頃の報道の量は少なく、アフリカは日本人一般にとっては、あまりなじみがない。

目立つのは青年海外協力隊の半数近くが赴任していることと、国連総会で圧倒的な地域票を持っていることに日本が頼りたいと思っていることくらいである。

古くは「ターザン」「少年ケニア」であろうが、今の30〜40代の人には「アフリカの飢餓」が叫ばれた1984~5年のことくらいしか思い出されないかもしれない。

最近の話題は、スーダンでの内戦、南部アフリカを中心とするHVIの蔓延、ジンバブエの混乱、そして北京五輪のマラソンといったところか。

要するに、私たちの知識や思いはとかく断片的になりがちで、所詮は「点」でしかない。

そこをこの本は「はじめに」で見事に整理してくれ、序章以下の7つの章で、読み物風に読者を引き込んでいく。

最初は机に向って頭を整理しながら読み、次にカウチポテト風にのんびり読みはじめ、「いやいや、これはこうしてはいられない」と再度緊張して、考え考え読み、今朝は電車の中で第6章の「政府ではなく人々に目を向ける」まできて、ただただ感心してしまった。

一昨年、松本氏は日本記者クラブ賞を受賞するなど、ジャーナリストとしていくつかの賞を受けている。つまり、同業他社からも一目も二目も置かれているということだ。

いささか褒めすぎだといわれるかもしれないので、この稿の最後に、朝日新聞をはじめ、各社に注文を付けておきたい。

松本氏が退職して以降、アフリカを専門とする記者は、「あの人、この人」と指を折るほどもいない。支局もサブサハラ43カ国で1つだけ。

日本のマスメディアには、アフリカへの関心がその程度しかないのか、国民の関心を掘り起こそうという志はないのか、といいたい。

そういえば、必ず「読者の興味・関心が低いから仕方ない」と返事が来る。

その返事は、私にしてみれば、かつて“ボートピープル”が日本に救いを求めてきたとき、日本政府はこれを拒絶し、「日本には”リトル・トキョー”のような、ベトナム人の居住地域がないから」と外務大臣が国会で答弁したのを思い出させる。

受け入れなければ「リトル・ベトナム」ができるわけばがない。また、そなれがくても、日本社会で多くの人々が今、貢献してくれているではないか。

国民の啓発もジャーナリストの使命ではないのか。

私は、10回くらいはアフリカを訪問した経験があるが、この『アフリカ・レポート―壊れる国、生きる人々』で、さらに大いに啓発された読者の一人である。

啓発された「さわり」を次回に紹介しよう。
| 次へ