「海ゆかば」でもめた演奏会 [2012年02月10日(Fri)]
左端が森 敬恵さん。最後はこんな形で斉唱した。 「海ゆかば」(詞・大伴家持、曲・信時 潔)を ステージ歌うか否かで、 本番が大混乱するというコンサートだった。 友人・仲間と誘い合わせ 「国分寺・日本のこころ音楽祭」でのこと。 森 敬恵(としえ)さんという戦後生まれの ソプラノ歌手(二期会会員)を中心とする コンサートである。 あらかじめチラシで、 第2部は「みんなで歌おう」と題して 唱歌・童謡12,3曲を歌うという構成だった。 このため、出演希望者は事前に届けて ステージに上がり、 会場の人たちも一緒に歌うという 趣向であるとしていた。 「海ゆかば」は配布された歌詞カードにも 印刷されている。 それが、いよいよ「海ゆかば」の 順番になってから、 森さんは「これを歌うかどうしましょう?」 と場内に呼びかけたのだ。 そこで一部の女性が場内中央で立ち上がり、 いささかヒステリックに反対を表明し、 音楽祭代表の木村智行さんがあっさりと 「きょうはこの歌は止めにします」と マイクを通じて、あっさりと削除した。 既に、事前にこの歌を歌いたいと 申し込んでいた人を中心に、 ステージにはざっと30人ほどが 上がっていた。 そこで「止めにします」であるから、 当然、騒ぎとなった。 実は、私も事前に申し込んで この曲の時はステージに上がろうと思って、 数日来、楽譜を持ち歩き、 確認と心構えをしていた。 また、この歌の素晴らしさ、 歴史的役割については 私なりに十分検討し、10年ほど前の拙著 『歌い継ぎたい日本の歌― 愛唱歌とっておきの話』(海竜社)でも 触れている。 学徒出陣のときに歌われた歌であり、 戦時中は 第2の国歌的な存在であったこと、 戦後は『信時 潔全集』から GHQその他の意向を気にして 削除されていたことも熟知し、 小欄でもその奇怪さについて 書いたことがある。 それを木村代表は 詫びもせずに、ただ、止めにするというのでは 納得ができない。 だから、私は 「チラシでこの歌を演奏し、 みんなで歌うからというので、 入場料を払ってやってきた。歌わないなら 入場料を返してほしい」と客席から 力説した。 最終的には 圧倒的大多数の賛成で この歌は演奏され、 唱和することができた。 私は全体の雰囲気を見たかったので、 ステージに上がることは止めたが、 もちろん、大きな声で一緒に歌った。 こういう重要な変更をするというなら、 チラシやプログラムに 「都合によりプログラムの一部を 変更する場合があります」とでも 表示しているなら、 私もここまで強くは 主張できなかったと思うが、 一部に反対があるから止めるというのは 承知できない。 その人たちも、チラシを見て、 この曲が出てくることを承知のうえ、 入場料を払って来場した人ではないか。 社会は常識というルール、 プロセスという通路を通りながら 動いているのであり、 こういうことで主催者がビビったり、 丸くまるくという風潮がはびこるのは まっぴらである。 一部の観衆(と言っても ほんの2、3人程度)が騒いだからと言って、 木村代表、自分の良心と、 圧倒的多数の賛意、 事前の約束に基づいての入場料の徴取を 行っての演奏会、 主催者としての矜持と責任を、もっと しっかり理解して毅然とした態度で対応して ほしいものである。 森さんもまた、 「木村代表がこの曲をここで演奏することで 職を失ったらみなさんお世話ください」 などという悲壮なことをいうべきではない。 自分の信念、価値観への確信で、 主体的に堂々とステージを 動かしてもらいたい。 |