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ソ連崩壊から20年Bエストニア [2011年12月31日(Sat)]
  


   

    1991年、独立回復後から現在に至るまでの国旗は、
   1919年にこの国が独立してから
   39年にソ連に吸収合併されたときまでの
   国旗と同じ。

    青はエストニアの空・湖・海を表わすとともに、
    エストニアの国民を象徴し、
    希望・友情・団結を表す。
    黒はエストニアの大地と
    暗黒時代の悲しい歴史を忘れまいとする
    強い決意を示す。
    白は雪と国の発展、人々が力を合わせ、
    幸福を追求しようという意思を表す。




     

      ソ連邦の一員であった
     1941年から1991年までの
     エストニアソビエト社会主義共和国時代の
     エストニアの国旗。













       
エストニアでは
2001年には、横三色旗を
スカンジナビア諸国に共通の十字型の
デザインに変更しようとして
具体的な提案がなされたが、
未だ改定には至っていない。








ソ連を構成していた共和国は15、
その連邦加入の経過にはいろいろあるが、
バルト3国(B3)、すなわち、エストニア、
ラトビア、リトアニアは、列記とした
独立国で、各国と外交使節を交換してした
にもかかわらず、第2次世界大戦中、
巧妙かつ狡猾な手口で、
ソ連に編入され、かつ、
多くの指導的立場の人々は「シベリア送り」
となった。

 これを怒ったアメリカはワシントンの
B3大使館をそのまま外国公館と認め、
そのステイタスを与え続けていたのであった。

 1991年8月、モスクワで起こった
クーデター未遂直後に、B3は独立回復を
宣言、翌月、国連に正式加盟した。

 爾来、ロシアとは極力距離を置き、
CIS(独立国家共同体)に
加入しないのはもちろん、
2004年には、いずれも
NATOとEUへの加盟を果たした。

 年率8%もの順調な経済発展を続ける
エストニアは今年、2011年、
ユーロを採用し、西欧諸国との
一層の経済統合体制に入った。

 特に、通信・IT部門の発展は
目覚ましく、映像を見ながら
話せる電話SKYPEはこの国に
本部がある。

 人口130万のエストニアでは
毎年夏に、10万余の人による
大合唱祭が屋街で行われる。

 この国独自の繊細な文化は
大国ロシアとはとても同調できない
ことは、ソ連時代から
実は、この国を知る誰でも
感じていたことではなかったか。
           (つづく)

★    ☆    ★

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