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モンテネグロが国連加盟 [2006年07月24日(Mon)]




 第60回国連総会は6月28日の総会で、満場一致によりモンテネグロ共和国の加盟を承認した。これによりモンテネグロは、192番目の国連加盟国となった。

 そこで、この新しい国と国旗を紹介したい。

  さきのドイツW杯では、「セルビア・モンテネグロ」のチーム名で活躍したが、これは最初で最後のチーム名での出場であった。

  周知のように、ユーゴスラヴィア連邦共和国は、「7つの国と国境を接し、6つの共和国からなり、5つの民族が住み、4つの言語を話し、3つの宗教を信じ、2つの文字を使う、それでも国は1つ」といわれていた。この連邦を構成する「6つの国」とは、スロベニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア・モンテネグロであったが、ついに、モンテネグロがセルビアから分離し、6つの独立国になった。かくして旧ユーゴスラビアは、名実ともに完全に解体された。

 余談ながら、ジーコの後を継いで、サッカー日本チ−ムを率いるイワン(イビチャ)・オシム監督は、ボスニア・ヘルツェゴビナの出身、旧ユーゴ・サッカー界最高の英雄であるドラガン・ストイコビッチはセルビアの出身である。
 
 セルビアの人口は約750万人、モンテネグロの人口はその一割にも満たない約60万人。セルビアは立法府と行政府はセルビアの首都ベオグラードに置いても、司法府はモンテネグロの首都ポドゴリニツァに設置するなど、なんとか分離独立を食い止めようとしたが、憲法には3年後から連邦離脱を可能とする規定があり、今年5月21日にモンテネグロで行われた国民投票で独立賛成が55.5%を占め、僅かながらとはいえ、独立を可決するに必要とされた55%を超えた。

 これを受けて2006年6月3日、モンテネグロ議会が独立を宣言した。

 6月5日、セルビア議会も分離を承認、同時に自国をセルビア・モンテネグロの継承国家とすることを宣言した。したがって、旧セルビア・モンテネグロの国旗もまたセルビアの国旗として継承された。16日、日本政府もモンテネグロを国家承認した。


 露土戦争の結果、1878年、ベルリン条約によりモンテネグロ公国の独立が決定せられ、日本は逸早く同国を承認した。

 この時、明治天皇が、象牙で作った大きな鷲の像を記念に贈った話は、以前小欄で紹介した。

 1979年にこの地を訪れたとき、私はポドゴリニツァの旧王城の門の中にこの鷲が鎮座していたのを見た。同じものが、モスクワのクレムリン内の武器庫にある。「大津事件」で傷つけられたロシア皇太子がニコライU世としてロシアの帝位に就いたときに贈ったものだ。

 モンテネグロの国旗は、「双頭の鷲」を描いたもの。
「双頭の鷲」は東洋と西洋を睨むものとされ、東洋と西洋に支配が及ぶとして東ローマ帝国の紋章であった。それが、オーストリアのハプスブルグ王家に受け継がれた。

 有名な行進曲「双頭の鷲の旗の下に」(ドイツ語では「Unter dem Doppeladler」、英語では「Under the twin head eagle」)はオーストリアの作曲家「ヨゼフ・フランツ・ワーグナー(1856〜1908)によるもの。オペラの作曲家として著名なリヒャルト・ワーグナーとは全くの別人である。ハプスブルク王朝の最後の華となったフランツ・ヨーゼフ帝の時代に活躍した。

「双頭の鷲」は今でも、アルバニアの国旗に描かれ、ロシア、セルビアの国章に登場する。

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