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戦陣訓起草者に聞くP [2011年03月06日(Sun)]
 


      

                今村 均

  



中隊長、小隊長の統率力が問題

── 結局、3人が案を出しあって、浦辺案を中心に検討し合い一つの案にした、と考えてよろしいわけですか。その他の人がさらに加わって、ということがありますか?

白根 その他の人の意見はききましたけれども、原案は見せませんでした。そして、最終的には浦辺という将校は何といっても正規の現役軍人ですから「浦辺少佐に一任」ということにしたわけです。私は、いいたいことをいったから……。しかし、ああいう人がまとめると、あのような形になるんですなあ……。

── しかし、表題の『戦陣訓』ということばからして、一見、文学的なところがありますね。もちろん、文章がそうですね。「俘虜」とか「捕虜」といわず「虜囚」とするなどもそうですね。


  〔注〕「葉隠論語」とか「壁書」とかいふ昔の名訓に対し、「戦陣訓」は新東亜建設のために聖戦するわが将兵の陣中訓としてまことにぴったりした好い題目であるが、この題名も「軍人規範」といふ題名だったが、どうも面白くないといふので「道徳訓」に変えてみたがこれもいけない。それじゃア「軍人訓」はどうだといふことになったがそれも駄目、いちいち練りに練って生まれたのが「戦陣訓」の題名であった。
<三浦藤作『戦陣訓精解』昭和16年4月2日、東洋図書、14頁>


白根 僕は、仮名書きでね、「こころにあくしんがおこったときは、きょうとう、かげにひとびとのかおをおもいだせ……(涙声)」。ずっと最後までいえますよ。一番よかったな。今でもそう思うよ。もし、そうしていたら、どんなにか規律が守られたか……。これは今まで表になんか出せませんよ。ですから、そのような本当の機微にわたる細かい話はしたことがないんです。どなたかがお見えになっても、この話をしたことはないんです。
あなたたちに話すのは、次代に語り継ぐ責務を感ずるからですよ。


  〔注〕(教育総監部本部長である)私は東条陸軍大臣の依嘱で、“戦陣訓”の起稿を主宰した。このときは、軍隊の戦闘行動以外の慈悲行為が、戦勝獲得の必須の業であるとの思想を汲み入れたものである。

 あとで、私が第一線の軍司令官になり、戦陣で読みなおしてみると、あの“戦陣訓”は抽象に過ぎ、完全に過ぎ、また名文に過ぎてしまって、ぴんと将兵の頭にひびかず、失敗であったことを自認した。

 もっと簡単平素に、具体的に、数項の重点のみを掲げ、寧ろ師団長以上の高級指導者のみに対して、その戦陣道徳の指導監督を強要し、それに不熱心の者は、どしどし内地に召還するくらいの英断でのぞんだほうが、はるかに有効であったと猛省されたものである。

            <今村均『幽囚回顧録』秋田書房、257〜258頁>


                      (つづく)
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