戦時中の小笠原諸島 [2010年07月20日(Tue)]
難攻不落の島で悲劇も 父島は戦時中、要塞島だった。 昭和19年6月、7,700人の総人口のうち、 青壮年約300を軍属として残したほか、 一切の住民を内地に強制疎開させ、全島にトーチカを構築、 ハリネズミのようにした。 欧米系の青年も招集を受けて中国戦線などで戦ったが、 残された者はみな内地に強制疎開した。 父島は上空から見ると、 右手を手刀にして脱力状態にしたカニの爪のような形だ。 中央に大きく窪むところが二見湾、 大きな海浜はここだけであとは軍の上陸は ほぼ不可能な断崖になっている。 だから二見湾に機雷を敷設し、 砲台を並べると、この島への攻略は至難となる。 硫黄島を攻略した米軍は艦砲射撃と空襲で父島を攻めたが、 難攻不落とはこういう島をいうのであろう。 人のいない人家は焼けたが、高射砲で米軍機も撃墜された。 後に大統領となったブッシュsr.(パパ・ブッシュ)の登場機も 撃墜され、パラシュートで着水、救助された。 大統領引退後、小笠原を訪れている。 問題はそのあと、戦意昂揚と称し、 捕虜になった搭乗員を殺害し、 人肉をカレーライスに入れて食べたということで、 戦後、立花中将以下9人がグアム島に連行され、 死刑となった。 (つづく) |