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サハリン写真展と後藤悠樹くん [2010年06月06日(Sun)]






   写真家・後藤悠樹くんと私。新宿の展覧会場で。




 後藤悠樹(はるき)写真展
「その歴史のつづき―樺太からサハリンへ 2009」を
新宿のニコンサロン(新宿エルタワー28階)に
見に行った。

 後藤くんもいた。尊敬する写真家だが、
あえて「くん」と呼ばせていただく。
若干24歳の青年だから、それは許していただきたい。

 しかし、この写真家、なかなかのものだ。

感心した第1はもちろん、
ニコンがこの展覧会を主催するほどの
写真家としての「腕前」だ。

 ただ、もっと感心したのは、
サハリン(樺太)に関心をもったという視点の良さだ。

これには少し説明が要るだろう。

日露戦争は1905年7月に、
当時、ロシア本土だったサハリンに日本軍が上陸して
ロシアの守備隊を撃滅した。その後、
9月3日のポーツマス条約で、
北緯50度以南の地を割譲させた場所である。

 そして45年8月、終戦を1週間後に控えた時点で、
中立条約の相手国である日本に、
ソ連軍はその50度線を越えて侵攻してきたのだ。

ソ連による典型的な侵略行為である。

 同月15日の「玉音放送」後も戦闘行為を止めず、
全島を軍事占領した。さらにその部隊は
日本固有の領土である択捉島に侵攻、以後、
9月5日までに今日、北方領土といわれる4島を占拠し、
今日に至っている。

 どうもこういう話になると
「筆」が進み過ぎて後藤君の話から
脱線気味になりかねないので、以下、
少し歴史の話は省略する。

 ただ、その結果、
北方4島から(ロシア人と結婚した女性を例外として)、
日本人は全員が強制的に退去させられた。

樺太からは数十万人の日本人は本土への引揚を認められたが、
2隻の引揚船は渡航の途中、
撃沈させられるという悲劇が起った。

 朝鮮人もまた気の毒だった。
独立を回復したはずの韓国地域(北緯38度線以南)出身者
約4万人は帰国のための出域さえ認められなかった。
在樺朝鮮人の大半である。

スターリンが戦争での労働力の不足を
補おうという意図から採った非人道的政策の結果だった。

 日本人でも帰国できなかった人たち数百人いた。
朝鮮人と結婚していて家族と別れるわけに
いかなかったという家庭の事情、
樺太各地に工場を有していた王子製紙の職員などだ。

 炭坑で働く人たちも多くが残留するという結果になった。

 技術者は、ソ連人への技術移転を進めつつ、
数年後から少しずつ帰国できた。

 後藤くんのカメラワークは、
そうした残留日本人・朝鮮人に重点を置いている。


そして、そうした人々の協力を得、
数か月という例外的な期間の滞在ビザを取得、
家庭に住んだり、家庭内での撮影を認められたりした。

このことの至難さは、
20回近く同地を訪れた私にはよく解る。

 その際の1つの「武器」は後藤くんの若さで
あったに違いない。ロシア語が不十分だったことが、
余計な心配をかけなかったことかもしれない。

 後藤くんの素晴らしさの第3は、
歴史についてしっかりした把握をしていることだ。

上述のような経緯から、スターリンは
ソ連各地からの「移住」「植民」を奨励した。
石炭、製紙、漁獲などにひかれたソ連人が
「高給」に釣られ、各地から移り住んだ。

 結果として、今日のサハリンには
日本、朝鮮、ウクライナ、ロシアなど
各地にルーツを持つ、多民族社会が現出した。

ただ、日本人を撮影しようという後藤くんの企図には、
高齢化という時間的制約がある。

「今のうち映像として記録したい」という、
時代の継承者としての後藤くんの使命感が素晴らしい。

1996年から10回の「サハリン・フォーラム」を
開催している立場として、素晴らしい写真を入手したい
と思ったが、撮影の苦労に比して、
私が提示できる金額はあまりに少ないはずで、
口に出せずに退出した。

後藤くんがサハリンに「はまった」1つは、
2008年、州都ユジノサハリンスクの(旧豊原)での
「サハリン・フォーラム」でご一緒した
安野正士(まさし)上智大学准教授と
現地で出会ったことだという。安野さんが
どんな話をしたかを聞き損ねたが、
若者にとって、「よき出逢い」ほど貴重なことはない。

小欄で時々、サハリンを取り上げるのを見て、
見知らぬ私に案内状を送ってくださったのだという。
ありがとう。

「安野さんは初日(6月1日)に来てくれました」。
頭が下がる。

 東京での展覧会は、明日が最終日。10時から16時まで。
 このあと、大阪の
ニコンサロン(ヒルトンプラザウエストオフィスタワー13階)で、
8月5〜11日11〜19時(最終日は15時まで)
この展覧会は開かれる。
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