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国旗による世界旅行 @ [2009年12月30日(Wed)]











カナダは日本の東の隣国、古くは1976年にはモントリオールで、2010年の早々にバンクーバーで五輪も開催されるにかかわらず、日本人のこの国への関心は、どうだろうか、いまいち高くないように思う。

多くの日本人、特に若い女性は「『赤毛のアン』の国ね」と答える。確かにそうだ。この作品はプリンスエドワード島で生まれたルーシー・モード・モンゴメリ(1874〜1929)の世界的ベストセラーとなっている。

だが、これはいかに感動的で素晴らしいものであっても、これだけでカナダを知りえるというわけにはいくまい。これはあくまでも少女向けの物語にすぎない。

カナダへの理解が低い原因の1つはG8の一員でありながら、日本のメディアはどの社も支局や特派員を置いていないことにあるのではないか。
 
訊けば、「ワシントン総局がカバーするようになっている」と各社とも口をそろえる。

私が初めてカナダを訪れたのは、2001年、
そうだ、私もボストンから飛んだ。

「9.11事件」の直後のことだ。

 テロリストたちの出発点であったボストン空港の厳戒ぶりは
大変なものだった。

 2日前にボストンについた時、
必ず出発3時間前までに来てください。必ずですよ」といわれ、
生来のまじめな性格である(?)私は3時間40分も前に空港に到着した。

 ボストンではあらゆる自動車が星条旗を立てていた。
アメリカ人の星条旗好きというだけでは語れない、
もう熱狂的な愛国心と団結の社会現象という感じだった。

 これはいまに始まったことではないが、星条旗の数が尋常ではなかった。

 空港前のポールにはひときわ大きな星条旗、
空港の売店にも旗、旗、旗・・・。
自家用車もタクシーもトラックも・・・。 

 空路なら約1時間半でオタワに着く。
 
 オタワは静かな首都である。
 1826年、オンタリオ湖とオタワ川との間に運河を建設するために作られた町。「オタワ」とは、アルゴン・インディアンの言葉で「取引」を意味するのだそうだ。この1826年、日本ではその前年、異国船打払令が出され、2年後にはシーボルト事件が起きている。葛飾北斎、間宮林蔵、近藤重蔵らが活躍していた時代であり、幕末期の外圧がじわじわと押し寄せてきた時期だ。

 1854(安政元)年に「日本惣船印」として「日の丸」を制定した阿部正弘はまだ7歳の幼児だった。
 
 そんなときに、今、カナダの首都となっているオタワの町づくりがようやく始まったのだった。

 ちなみに「カナダ」という国名は、イロコイ・インディアンの言葉で「村落、小さな家が並ぶところ」といった意味とされる。

 そのカナダではオンタリオ湖畔のトロントが最大の都市、セントローレンス川に沿ってモントリオール、ケベックの大都市があり、
他にもウィニペク、エドモントン、バンクーバーなどの都会があるが、政治の中心は人口80万余り(周辺地域を入れても113万)のオタワ。カナダ第4の都会であるはずだが、喧騒がまったくなく、大都会という感じさえしない。
                             (つづく)

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