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硫黄島の星条旗@ [2009年12月25日(Fri)]










『国旗で歩く世界の旅』と仮題をつけ、しばらく国旗物語を連載します。きょうはその一回目。

硫黄島の星条旗
 2005年6月、“小泉チルドレン“9人とともに硫黄島(東京都小笠原村)に行きました。

本当によく晴れわたった日で、大島をはじめ伊豆七島が眼下に手が届くように見えました。厚木の飛行場から1,200キロ、米軍の輸送機(双発プロペラ機)で二時間近くかかりました。

 この厚木飛行場こそ、かつて日本海軍の航空基地として
首都防衛に当たったところであり、
終戦直後の45年8月29日、マッカーサーが
コーンパイプを加えながら、勝利者として初めて降り立ったところです。

日本側では海軍の精鋭たちがこの搭乗機の着陸を阻止しようと、
滑走路にバリケードを築くなどして妨害行為を行ったのです。

しかし、安藤明を首領とする運送会社安藤組の働きかけと協力で、
着陸直前になって、滑走路を片付け、
小さな星条旗をつけた小型機を迎えることが出来ました。
『安藤明―昭和の快男児 日本を救った男』に詳しく出ていますが、
私は長女の亜紀子さんとは高校時代から
赤十字のボランティア活動を通じての知り合いで、
中山正男がこの秘史を週刊文春に連載したとき、
日米間の想定外の危機を救った安藤明という人物に、
すっかりほれ込んだものでした。

 それはそうと、硫黄島は
日本語では「いおうとう」といいますが、
英語では「Iwojima」です。

 富士山を「ふじさん」と「Fujiyama」というようなものでしょうか。

 もっとも幕末のころ、幕府は「富士山(ふじやま)丸」という
当時としては最新鋭の軍艦を持っていましたから、
案外、こちらはそういう名前から来たのかも知れません。

 1945年2月16日、栗林忠道中将麾下
2万2千人の将兵が守るこの島に、
米軍が艦砲射撃と空爆による激しい攻撃を仕掛け、
3日後、擂鉢山(169m)の麓の浜辺に
敵前上陸を敢行しました。

 日本軍の激しい抵抗に遭い、
すぐそばの擂鉢山を征服するのに6日間もかかりました。

 山頂に星条旗を掲げる写真は、
「ライフ」の誌面を飾り、
その大きな像がワシントン郊外のアーリントン墓地にあります。

  星はもちろん、当時のアメリカの州の数48個です。
  星条旗を立てる有名なシーンは撮影の都合で2回、
行われたのでした。    (つづく)
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