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啄木の母 [2009年07月06日(Mon)]

          


                 石川啄木






 たはむれに 母を背負ひて そのあまり 
       軽きに泣きて 三歩あゆまず
 
 石川啄木(1886〜1912)のこの歌に初めて接したのは、
小学校高学年のときだったように思う。

 激しく心打たれた。

 この歌が世に出たのは、
1908(明治41)年夏以後の作、
一千余首中から551首を抜粋して収めた『一握の砂』。

 この歌集にはほかにも、

  東海の小島の磯の白砂に われ亡きぬれて蟹とたはむる
  砂山の砂に腹這い 初恋のいたみを 遠く思ひいづる日

といった有名な歌が並んでいる。どれもこの歌人の率直さ、
ナイーヴさに胸が締め付けられる思いがする。

「東海の・・・」では、次第に焦点を絞ってゆく作歌の技法に
魅了された。

「砂山の・・・」は、越谷達之助のメロディーとともに知った。

 及ばずながら、
今やわがささやかなレパートリーの1つともなっている。

 これらはいずれも、啄木22歳か23歳の歌。

 啄木は、父37才、母40才のとき、
サダ、トラの2人の姉に次ぐ長男として生まれている。

 計算してみると、この歌を詠んだとき、
母・カツは62歳くらいか。長年、仲の悪いカツと妻・節子が
今で言う家庭内別居のような形で暮らしていた。

 あるとき、「たはむれに」背負った母、
当時の62歳は「老母」だったに違いない。
「苦労をかけている。こんなにも軽い」。
22,3歳の啄木の衝撃がわかる。

 それにしても、私は自分の亡き母を背負ったことがない。
苦労をかけっぱなしのまま逝ってしまった母には、
ただただ申し訳ないと日々、合掌するほかない。

 昨日の長田延壽さんの最後の歌、「たはむれに」を
聞いて、「まじめに」涙を流してしまった。
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