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朝日新聞井川一久記者<下> [2009年01月07日(水)]












 35年もしたしくお付き合いさせていただいていながら、
この人が歌人だったことを知りませんでした。

 朝日新聞の「終世一記者」とでもいうべき
井川一久氏です。

 井川さんは、那覇、プノンペン、サイゴン(現ホーチミン)、
そして“解放”後はハノイに駐在し、
定年まで、ペン1本で書き続けていました。

 私は、1973年に国際赤十字の駐在代表として南ベトナムに
赴任しましたが、その時は、地方をいろいろまわり、
サイゴンに戻っては、井川さんや読売の山田寛記者らと
情報を交換していました。

ちなみに、井川さんには難民を助ける会の理事を、
山田さんには社会福祉法人の評議員を
今もお願いしています。

当時の戦況は、
外国人記者が各地をまわるということには
いろいろ制約があり、
難しかったのです。

朝日の支局は井川さん一人、他社は2〜3人でしたから、
その忙しさは大変なものでした。

1973年4月30日、サイゴン陥落の日にも
サイゴンに留まりました。

その少し前、印パ戦争(1971年12月)の直前まで、
同じ朝日のE記者が
東パキスタン(現バングラデシュ)の首都
ダッカに取材にきました。

しかし、いよいよ開戦10日前というときに
この人は、
空路カルカッタ(現コルコタ)に逃げ、
「本誌記者、危機一髪の脱出」を
1面トップ記事として書きました。

私はその時にダッカで赤十字の仕事をしていましたので、
この記事の、
「自分で作ったニュース」ぶりには、驚き、呆れました。

井川さんは体調不良でも1975年のサイゴン陥落まで
頑張り続け、
また、ハノイに移ってからは
1979年2月の中越戦争に際し、
西側からの唯一の記者として、
戦況を報道し続けました。

ハノイでも何度かお目にかかり、インフレで
昼食に行くのに手提げ袋いっぱいにドン札を詰めて
出かけたのを思い出します。

近年、重病を患い、心配していましたが、
ようやく元気を回復、
「今春から海外活動を再開する」と年賀状に
うれしい添え書きがあります。

そんな井川さんからの年賀状に
なんと5つの秀歌が
書き込まれていたのです。

  死を超えて2年を経たり
   短夜の真白き薔薇よ微笑みてあれ

  盲ひたるカインはガザに荒れ狂ふ
   エデンの南アベルはいずこ

  なつかしや夢にカストリどん底の
   歌50年代残党ひとり

  新たなる我がベストテン第一位
   「天井」ならぬ「天上」桟敷

  加速度のかく恐ろしき世にありて
   冬菊一つ不動優然

 これからは、「歌人・井川先生」と
お呼びするほかあるまいと思いました。
    
                   脱帽。
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