ナポレオン3世がパリを改造 [2008年12月01日(月)]
![]() 昨日の毎日新聞で坂村 健 東大教授が、 「ナポレオンがパリ市街を焼いて都市計画を実施した」と 書いておられることにつき、 昼過ぎに、 どなたか詳しいことをご教示くださいと書いたところ、 「それは間違いである」と なんと、フランス学の泰斗でいらっしゃる、 天下の小林善彦東京大学名誉教授(日仏会館顧問)から、 以下のご教示をいただきました。 私がとやかく解説するより、 転載させていただきます。 小林先生、ご教示、ありがとうございます。 ★ ★ ★ ナポレオン(一世)は、パリを壊したり、 焼いたりしたことは、全くありません。 坂村先生の記憶の間違えでしょう。 第一、パリの石の家は焼けません。 ナポレオン三世は、 セーヌ県(当時のパリ)の知事に、 ドイツ系のオスマンを任命しました。 オスマンは都市計画を作りました。 革命が起った時に、速やかに鎮圧出来るように、 大貫通道路をいくつも造り、 当時のパリの四隅に兵営を置きました。 また、同時に、 パリの衛生改善もはかりました。 そのため、途中のかなり重要な建物をこわしたことは 確かです。 それは、ナポレオン三世は、亡命生活が長く、 パリに住んだことは 殆ど無かったし、 オスマンはドイツ系だから、 二人とも、パリには何の愛着も無かった為 といわれています。 |




