柔道の品位と木村政彦 [2008年10月07日(火)]
![]() 柔道界に無敵だった木村政彦 (1935年頃か) 柔道から格闘技、プロレスに転向した人として、 歴史に名を残しているのは、 力道山のライバルだった木村政彦(1917〜93)である。 170センチもない上背でありながら、 強力と技の合理性の追究、研究熱心、 ただならぬ勇気で 戦前戦後の柔道界に君臨した。 外無双を掛けながらの一本背負投を考案したことや、 戦前の全日本柔道選士権大会(現在の 全日本選手権の前身)での3連覇など、 約13年にわたって公式試合での無敗という記録を持っている。 また、ブラジル、ハワイへの遠征で、 とてつもない強さを披瀝し、 柔道を一挙に国際化したことでも知られる。 結核に病む妻を救うため、当時 開発されたばかりの高価なストレプトマシシンを入手しようとして プロレスラーに転進したとされる。 1964年には力道山と「プロレスの巌流島」といわれる ”決戦”を行い、真相不明のまま失神して、プロレス界を 引退した。 その後、拓殖大学柔道部に監督として招聘され、 同大学を団体優勝させるなど、 後身の指導にも大きな実績を挙げた。 1971年の全日本選手権を制した岩釣兼生は愛弟子の一人。 その指導の厳しさは没後も“柔聖”“鬼の木村”として、 柔道史のみならず武道、格闘技史上に大きく名を残している。 私は縁あって、拓殖大学柔道部監督だった木村と 何度もご一緒した。 50代だった木村は、 全日本級の選手と台頭に組み合っていたし、 私のような門外漢には、 「あの木村?」と思わせるほど、 人格円満な紳士だった。 身体が硬く、運動不足の私に、 今で言うストレッチを教えたり、 一本背負いの合理性を説いてくれたりした。 力道山とのことについても 多少秘話は聞いたが、これは言うわけには行くまい。 石井某とは違った柔道界の異端児には違いないだろうが、 人格的にも品性においても、 天と地ほども違っていた。 木村は、石井と比べるだに、 申し訳ない人格者だった。 (敬称略) |





