家宝・吉川晴帆の国旗本 [2008年09月01日(月)]
![]() 吉川晴帆著『萬國旗』には、既にチベットの旗が掲載されている。 ![]() ![]() 3月に吉川晴帆について教えてほしいと小欄で書いたところ、 昨日、稲垣次郎という方から、このようにご教示いただきました。 ☆☆☆ ★★★ ☆☆☆ ★★★ 吉川晴帆の静物スケッチ帳を所有しています。 彼の写真や関根正二からの葉書、 伊東深水らとの寄せ書きスケッチなどです。 現在は静物スケッチ帳しか持っていません。 3年前ぐらいに、これらを頂いたように思います。 その時、出所は晴帆の娘さん云々の話を聞いたように思います。 ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜ 私の手元に『萬國旗 附軍艦旗・商船旗』という 昭和13(1938)年発行の分厚い国旗の本があります。 著者は吉川晴帆。この人がどういう人物かは、 私は詳らかではないので、3月に、この人について触れたものを お書きになった美術史の専門家に問い合わせましたが、 お返事をいただけませんでした。 その本に、チベットは「西蔵」として、 国旗が掲載されているのです。 現在、中国の武力支配による人権抑圧に抗議している人たちが 掲げているのはまさにこの旗なのです。 私は中国政府の「人を人と思わない」「国を国と思わない」政策に、 断固反対してきたのは、小欄の読者のみなさまご存知の通りです。 それはともかく、『萬國旗 附軍艦旗・商船旗』の中で吉川は、 タイ、ビルマ、インド、ネパール、ブータンの次に チベットの国旗を紹介しています。 そして、同書はチベットに続けて アフガニスタン、イラン、オマーン、クエートの順で 各国旗を紹介しているのです。 もちろん、この本に出ているから独立国だというほど 話は単純ではありません。 現に、吉川も序文で 「独立国は勿論のことではあるが、 半独立国其他でも我国より見て知るを便利と思はれた所は 掲げることにした」と断っています。 しかし、この並び方をみると、 少なくとも当時、中国の支配を受けている地域という扱いでは ありませんね。 ところで、この旗について吉川は、 「我が国の軍旗よりヒントを得たもので、 これにチベットのシンボルであるところの日 (月は省略してある)と獅子とヒマラヤ山(雪山)と菊花形、 ダイヤモンド、そのの他を取り入れたものである。 元来、仏の予言によって成った国といわれるだけに 仏に関する材料が多いわけで、日は世の光、 唐獅子は仏の獅子吼を語るもの、 菊花はこの国の国花ともいわれるものである」と説明しています。 (現代の表記に置き換えたもの。「わが国」とは日本のこと。) そんな話を書いたあとに、 「戦前の国旗研究者・吉川晴帆についてご存知の方がいらしたら、 是非、お知らせください。直接はご存知なくとも、 文献その他でこういう情報があるというのでも結構です。 ご教示いただければ幸いです」とお願いして、約5ヶ月、 待望の情報が稲垣様から入ったのです。 稲垣様からはこのようにご連絡を頂戴しました。 ★.。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜ 吉川晴帆の静物スケッチ帳を所有してます。 彼の写真や関根正二からの葉書、 伊東深水らとの寄せ書きスケッチなどです。 現在は静物スケッチ帳しか持ってません。 3年前ぐらいに、これらを頂いたように思います。 その時、出所は晴帆の娘さん云々の話を聞いたように思います。 +++++++++++++ このご連絡に私(吹浦)から、 「稲垣様、ありがとうございます。 優れた国旗の書籍を刊行している人が、 画家であったというのは知ってましたが、 その画集が現存しているとは驚きです。 どんな画風の方ですか?」と 返信しました。 するとされに詳細な情報を本日、下さったのです。 ★ .。.:*・゜★.。.:*・゜★.。.:*・゜ この写生(植物図鑑的)帖は、吉川晴帆という方の肉筆の作品です。 枚数は70枚になります。状態は、それぞれですが綺麗にしていると思います。 時代ははっきり特定できませんが、 いっしょに出て来ました他の作品は、 明治末年より戦前昭和に及んでました。 個人か出版社から植物図鑑を依頼されたのではないでしょうか。 これらは、その下絵になるのでしょう。 ★この度、吉川晴帆画伯の絵(デッサン 水彩 写生図案 画帖)と 展覧会の案内絵葉書を画伯のご子孫の知人の方より 入手しました。その中にありました。 ★吉川晴帆(本名 吉川恭平)この画家につきまして、 ネットと当時の交流が偲ばれる葉書をもとに調べてみましたが、 資料不足のため出身、生年月日ともに確認できませんでした。 しかし親族からの便り(写真付き葉書伊夜日子神社境内に於て撮影 大正4年5月2日)、東京印刷株式会社での写真などから 推察するに新潟県ではないかと思います。 また東京印刷株式会社図案部で 関根正二 伊東深水らと交流があったのではと思います。 大正8年12月発刊の『みづゑ』誌上(NO.178---12月号)で 夭折した関根正二を追想して斉藤与里、田中邦三、伊東深水、 有馬生馬、税所篤二、村岡黒影らと共に 吉川晴帆も「関根君のこと」と題して、名を連ねています。 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 こんなに詳しく教えていただけるとは、 感謝の申し上げようもございません。 「稲垣様、重ね重ねご教示くださり、ありがとうございます。 日本では江戸後期から世界の国旗に関する文献がさかんに出版され、 私もいくつか個人的に蔵書として持っています。 昔の人は偉かったとつくづく思い、捧げ持って敬意と謝意を表しつつ、 ときどき開いて見ています。 私には幕末の水戸藩が作った国旗の和綴じの書籍が2つあり、 ほかに、17世紀、ドイツで製作した国旗の図表がございます。 それと、吉川晴帆が1936年に刊行した『萬國旗』との4つが、 国旗に関するわが「家宝」です」。 以上、canpanに正式に転載しておくことにより 情報の恒久化を図らせていただきました。 |







