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世界遺産と国旗C [2008年06月23日(月)]






  カンボジア王国時代の国旗であり、現在の国旗










   1970〜75年、いわゆるロン・ノル政権時代の国旗











     1975〜79年のクメール・ルージュ(ポル・ポト政権)時代の国旗









    1979〜89年の、いわゆるヘン・サムリン政権時代の国旗












  アンコールワットは長年野ざらしにされてきた。加えて、巨大な熱帯植物が繁茂し、時には戦火にさらされたため、傷みが酷い。

  このため、この地を領有していたフランスは長らくその管理と補修に努めてきたが、1972年、カンボジア内戦によって修復チームはカンボジアを離れ、寺院はクメール・ルージュ(ポル・ポト派)の支配地域となった。

「4人組」時代の中国の影響を強く受けたクメール・ルージュは、聖域にあっても、仏像や遺跡に敬意を払うことなく、これらに対する手ひどい破壊行為を行なった。

  1979年、ヘン・サムリンを担いだベトナム軍にクメール・ルージュが首都プノンペンを追われると、カンボジア北西部であるこの周辺に逃れて来た。堅牢な城西のような構造である上、世界的な文化遺産であることから、攻撃にあたっては重砲の使用はためらわれた。

  内戦は1993年10月の「パリ和平協定」で終焉した。この間、各派はいずれも、アンコールワットを大きく取り入れた旗を掲げていた。また、1992年、アンコール遺跡は、ユネスコの世界遺産に登録された。

  ヘン・サムリンを継いだかたちのフン・セン政権下のカンボジアは、クメール・ルージュを完全に駆逐・消滅させ、一応国内の政治は安定している。

  このため、アンコールワットでは各国の協力をえて、修復活動を進めており、対人地雷密集地であった寺院周辺では地雷の撤去も進捗し、各国から大勢の観光客が押し寄せている。  (つづく)
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