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昭和の元号を考案した学者 [2008年05月11日(日)]













































井上幸春福岡県議からのメール、続報です。

幕末・明治の歴史を思う、この前途有望な中年政治家の
心境に共感するものがありました。

山口県は、学生時代に行っただけですので、
一度、私も松田屋のお風呂に浸って、
往時に思いを馳せて見たくなりました。

福岡県京都(みやこ)郡みやこ町は、
昨日小欄で紹介した竹の子はともかく、
昭和の元号を考案した吉田増蔵の出身地なのですね。

▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲∵△∵▲

先日、山口県の防府に行き、
明治維新で活躍した志士達が泊まった旅館に泊まりました。

そこには、志士達が入った昔ながらの風呂がありますが、
私はその風呂に入り、
先人はこの風呂の中で
どのようなことを考えていたのだろうかと思いに耽り、
歴史のロマンに熱きものを感じました。

とても素晴らしい旅館です。
旅館名は松田屋です。
近くに中原中也館もあります。
その時の写真送ります

「昭和」の元号を考案した吉田増蔵の資料を送るのを
忘れていました。
ここに送信させて戴きます。

吉田 増蔵(ますぞう、
1866年12月29日=慶応2年11月23日〜
1941年=昭和16年12月19日)は
明治から昭和にかけての学者。号は学軒。

福岡県京都郡勝山町(現・みやこ町勝山)に生まれる。

漢学者・村上仏山(ぶつざん)の開いた私塾・水哉園に学ぶ。

森鴎外と深い親交を持つ。鴎外の死にあたり
未完の『元号考』を託されるほど信頼されていた。

大正天皇が崩御すると、漢学のスペシャリストである吉田は
宮内大臣から元号勧進の命を受ける。
吉田は『書経』の1節「百姓昭明」「協和萬邦」から2字をとり
「昭和」の元号を考案した。

枢密院全員審査委員会にて採用される。

この他にも、吉田増蔵は、今上天皇「明仁」の名前をはじめ、
多くの皇族の名を考案するなど天皇家と深く関わった。

水哉園は、天保6(1835)年に、儒学者・村上仏山が開いた私塾である。
 村上仏山(諱は剛)は、文化7(1810)年、
上稗田に生まれた。

幼時、津積村の定村直栄(なおしげ)に学び、
26歳の時にこの塾を開いた。塾には、厳しい塾則があり、
全寮制で試験による進級制度も取り入れられ
文学や詩文中心の人間づくりの倫理教育が行われた。
 
明治12年(1879)年、仏山が70歳で没した後も、
養嗣子の静窓(せいそう)に受け継がれ、
明治17(1884)年まで、50年間続いた。
 
その間には、関西以西から3000人もの入門者があり、
なかでも末松謙澄、吉田学軒、安弘伴一郎など
中央で活躍した人をはじめ、
狭間畏三、守田精一、杉山貞といった
この地方の先達者など、
優れた政治家、学者、名僧、医師を多く輩出した。
 
仏山は、日本の漢詩壇をかざる大詩人でもあり、
「落花紛紛雪紛紛」という桜田門外の変の詩などを収めた著書
『仏山堂詩鈔(ししょう)』(全三編九冊)は、
日本中の私塾の教科書として用いられた。
 
塾舎跡の一隅には、仏山ゆかりの資料(県指定文化財)を収める
仏山堂文庫が建てられている。

行橋市の長木(おさぎ)に、末松謙澄生誕之地碑がある。

謙澄は安政2(1855)年の行橋市前田生まれで、
10歳の頃から儒学者の村上仏山の私塾で漢学を学び、
東京日日新聞社で活躍後、官界に入るが、
山縣有朋に文才を認められて陸軍省へ入り、
明治11年ケンブリッジ大学で文学・法学を修める。

帰国後、伊藤博文の次女の生子(うぶこ・いくこという説も)と結婚し、
伊藤博文を支える要職(逓信大臣など)を歴任すると同時に、
たくさんの著作を残した。

ロンドン赴任中、最初の「源氏物語」の英訳を書いたり、
「義経=ジンギスカン説」を唱える論文をイギリスで発表し、
日本で大ブームを起こした。

さらに鹿鳴館時代の1886年、伊藤の意向を受けて
歌舞伎の近代化のため演劇改良運動を興したり、
毛利家の依頼で長州の歴史を調べ、
維新史の一級資料『防長回天史』を編纂したり、
文学・芸術の面での活躍が光る。

また、日露戦争の間、日英同盟を結んだ英国へ渡り、
日本の立場をヨーロッパで説明し外債を募るなどし、
イギリスは表面的には中立を装いつつ、
諜報活動やロシア海軍へのサボタージュ等で
日本を大いに助けるなど、
対露戦勝を影から支えもした。

高橋克彦の隠れた名作の「倫敦暗殺搭」では、
英国での末松の活躍が、うまく著されている。
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