角館・武家屋敷考 [2008年04月28日(月)]
![]() ![]() ![]() ![]() 角館の枝垂桜は、このようにして1本ずつ しっかり管理されている。 秋田県仙北市角館町は、 「小京都」として東北観光の一大人気スポットとなっている。 秋田は、江戸時代は佐竹家の領地であった。 佐竹家は常陸64万石の領主として、鎌倉時代初期から、 北関東に隠然たる勢力を保持していた。 しかし、関が原の戦いでは家康方につかず、中立を保った。 このことが徳川方の反感を持ったとされ、 佐竹義宣が、 この戦のあとに、辺境で ほとんど未開だった秋田に、 転封させられた。 お家断絶までに至らなかったのは、 武家としての家柄と格式によるものか。 「5本骨に日の丸」の金扇という佐竹の紋所は、 「日の丸」を使用した最も古い例の1つとされる。 それでも、3分の1の石高に減らされ、 秋田の城では、石垣をほとんど使用できず、 天守閣の構築を禁じられるという「虐待ぶり」であった。 そのときに、 義宣が常陸の美女を全部連れて行ったから、 今でも茨城県には美人がいないというのは、 完全なウソ(としましょう)。 しかし、小野小町以来、 秋田に美人が多いと言うのは、 全国的な定評。 秋田に「わき見するな。美人に注意」という交通標識があったのは ホント。それでも交通事故が多いというのはウソ。 閑話休題。 角館を拠点とする佐竹北家は芦名義勝を開祖とする。 義宣の弟である。 秋田藩は、転封の恨みを250年引きずったのか、 明治維新ではいち早く「奥羽越列藩同盟」を抜けて、 薩長側に立った。 当然、周辺の諸藩から、武力進攻を受けた。 このとき、秋田(佐竹)藩の最前線で、大いに苦戦したのが、 角館に本拠を置く、この佐竹北家。 そういう歴史を持ちながらも、 角館には不思議なくらい武家屋敷がのこり、 その通りは日本の道百選に択ばれている。 百万石の金沢の比ではない。 しかも、それらの庭のほとんどに 見事な枝垂桜(国天然記念物)が育っている。 私が訪問した4月18日はまだ4分咲きだったが、 今頃は満開かと思う。それはそれは見事なものである。 かてて加えて、 町のすぐ西を着たから南に流れる桧木内(ひのきない)川の両岸は、 「国の名勝」に指定された2キロに及ぶ、 成熟した樹木による桜並木が「続く。 われながら故郷・秋田の話になると どうしてこうも力むのかというほど、 「さらに」と接続詞をつなぎたくなる。 そこで「さらに」、史跡や記念碑もたくさんある。 @ 菅江真澄(江戸後期の紀行家)終焉の地(碑がある) A 平福百穂(明治、大正、昭和と活躍した日本画家)の墓、 碑、そして記念館 B 武家屋敷資料館(何軒かの武家屋敷は見学可) C 戊辰の役古戦場跡や戦没者の墓 D 小野田直武(蘭画家で「解体新書」の挿画製作者)生誕の地 E 樺(桜皮)細工(国伝統工芸品) 歴史の案内人もいれば、人力車での見物もできる。 詳しくは、角館町観光協会へ。0187−54−2700 |








