赤十字S [2008年04月15日(火)]
![]() 国際法の専門家を従軍させた日清・日露戦争 この1894(明治27)年の日清戦争においては、日本の国際法のトップというべき人を、常に軍司令官の隣に配置しています。 すなわち有賀長雄を大山厳の第1軍に従軍させ、 第2軍には、ドイツ留学で国際法にかなり詳しい桂太郎(後の首相)がおり、 国際法に沿った和平の遂行や武装解除、捕虜の取扱いなどに支障がなかったと思われます。 また、海軍では、高橋作衛が海大教官となって旗艦「松島」に搭乗したり、旅順司令部付として実務を担当した。 国際法学者の従軍は日清戦争でもありましたが、日露戦争ではそれが、一層拡充されました。 黒木司令官の第1軍には、蜷川新、加福豊次、 奥司令官の第2軍には佐竹準、田中遜、 乃木司令官の第3軍には篠田治策、兵藤三郎、 野津司令官の第4軍には高橋粲三、皆川四郎(治広)、 韓国駐屯軍には野沢武之助が配されたのです。 さらに外務省からは国際法の専門家として名をなしていた秋山雅之助が参事官として陸軍省に、また、信夫淳平が遼東守備軍司令部付となりました。 海軍でも、さきの高橋のほか、遠藤源六、山川端夫らが従軍しています。 こうした国際法のトップの人を軍司令官の隣に部屋を与えて、必ず戦場に行かせているのです。 すごい時代だったと思います。そういう人がジュネーブ条約についての解説書を書いたり、分厚い立派な学術論文を執筆しているのです。 有賀は、日清戦争直後に『日清戦役国際法論』、日露戦争直後に『日露陸戦国際法論』を出しています。 それぞれの戦争で国際法がどのように用いられたかということを、英語とフランス語と日本語の三ヵ国語で出しているのです。 「昔の人は偉かった」と頭を下げるほかありません。 今、名前を挙げた学者たちはいずれもこの戦争の後、その見聞と体験をもとにした論文を発表するなどし、日露戦争は、わが国の国際法の発展に大きな寄与をしたのでした。 なお、この第2次世界大戦が終わったあと、日本はさんざん捕虜を虐待したとか悪いことをしたということばかり外国から攻撃されましたが、これについても榎本重治という方が、『わが国における仁愛精神の歴史』という論文を、まずフランス語で書いて、それを英語にし、日本語にするということをしました。 私は若いときに榎本先生のご自宅を訪ね、何度か薫陶を受けました。先生は、日本人は本来、残虐を好み法を無視する民族ではないということを、東京裁判のさなかから主張していますが、それの先駆者を言うならば、有賀長雄であるとお考えいただければと思います。 また、そういうことの背景には、明治期において、ある程度の知識のある国民一般が国際法というものにそれなりの関心と知識を持っていたという「裾野」があったからではないでしょうか。 |





