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相馬雪香会長 [2008年02月27日(Wed)]







認定NPO法人難民を助ける会は今年の11月に創立30年目に入る。その創立者であり、今なお会長として若い者を叱咤激励しておられるのが、相馬雪香(そうまゆきか)先生である。

創立時から私は役員席の片隅でご指導をいただいてきたが、先月の26日に満96歳になられた。もちろん、矍鑠。

天下国家を論じておられる。愚妻(柳瀬房子)が同会の理事長の任にあるため、わが家の電話は、朝、しばしば、相馬会長との打ち合わせから始まる。

「私は3つのことを日本で最初にやったわ」とおっしゃる。「なんですか」ときけば、
「暴走族、同時通訳、難民救援NGO」とお答えになる。何でも女子学習院時代、紫のはかまをはいて、ハーレーダヴィドソンに跨り、東京「市内」を駆け回っていたのだそうだ。

日英語間の同時通訳は、戦争直後、まさに手(口)探りの状態で仲間と始められたそうだ。今、お嬢様(といっても私より先輩だが)の原不二子さんが、両陛下をはじめ皇族の通訳として、また、あまたの国際会議を「戦場」として、活躍しておられる。

そんな相馬先生のことが、2月25日の読売新聞に大きく出ていた。

 ☆☆☆  ★★★  ☆☆☆  ★★★

[相馬雪香さんのお品書き]ジャガイモ 空腹の体験、善意の芽に

 毎週、様々な用事や仕事をこなすため、1人で自宅のある軽井沢(長野県)から新幹線に乗って東京に向かう。先月26日に96歳の誕生日を迎えたばかりだ。

 「私を支えている食べ物? 貧しい時代に育ったから、あるものはありがたいって感じでした。特に満州(現中国東北部)から帰って来たときは、なんにもなかったからね」

 「憲政の神様」と呼ばれた政治家、尾崎行雄(1858〜1954)の三女。31年に女子学習院を卒業後、父に同行してアメリカやイギリスを回り、「世界の中の日本ということを考えなければいけない」と教えられた。

 45年春、夫が召集されていた満州から生まれたばかりの二女を含め4人の子を連れて帰国、別荘のあった軽井沢で終戦を迎えた。体制批判を貫いた尾崎の娘に、世間は冷たかった。食べ物を探して歩いたが、「国賊の娘に食わす物はない」と断られ続けた。

           ◇

 家では、小さな子どもが「腹減った、腹減った」と待っているのに、持って帰る物は何もなく、途方に暮れた。

 そんな時、顔見知りの農家が「うちに来れば、食べさせてやるよ」と声をかけてくれた。でこぼこ道を、自転車で20〜30分かけ、やっとの思いでたどり着いた。他の農家に知られないようにと、こっそり分けてくれたのがジャガイモ。ほんの2、3個。形はいびつで、大きさもまばらだったが、ありがたかった。さっそく家に帰り、子どもたちと無心に食べた。

 「どんな料理って? 煮るしかない。お砂糖は本当に少なかった。あなた、おなかをすかしたことがないからそんなことを言うんだ。すかしてごらんなさい。何だっておいしいと思って食べますよ」

 食べ終わって静かになった子を見てほっとした。この時ほど人の優しさに感謝したことはなかった。

           ◇

 70年代半ば、インドシナ半島の動乱で多くの難民が出たとき、カナダ人の友人から「日本は難民を受け入れない。冷たい」と書かれた手紙が届いた。冷たくなんかない、善意を見せなければ−−。困っている人のために尽くすという両親の教えと共に、優しかった農家と、あのジャガイモを思い出した。

 間もなく、難民を支援するボランティア団体を発足させた。また、父の雅号を取った勉強会「咢堂(がくどう)塾」を設立し、世界に役立つ人材の育成に力を入れている。

 「今だっておなかをすかしている人は世界にいっぱいいる。生きているうちは、お役に立つことはやらせていただきますよ。日本の島国根性を『世界根性』にしなきゃ」

 周囲を厳しく叱咤(しった)する口調は健在で、「日本の母」と慕う人も少なくないと聞いた。ジャガイモのように世界に根を張ろうとしている後輩たちに、「水をやるのが私の役目」と静かに言った。(岡安大地)

 ◇そうま・ゆきか 1912年、東京都生まれ。79年、「インドシナ難民を助ける会」を設立した。難民を助ける会会長、尾崎行雄記念財団副会長。
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