• もっと見る
«銃の保有 米国とスイス | Main | そうめんとうどんの違い»
<< 2014年04月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
老舗の味に母を思う [2006年04月30日(Sun)]
 




親戚のN家からカステラを頂戴した。久々の味である。

 もう4半世紀も前に亡くなった母は、ほんとうにカステラが好きだった。ほとんど昼食は文明堂のカステラと牛乳だった。私もビールはキリン、化学調味料は味の素、石鹸は花王・・・というような、製品名と商品名の区別がつかないような単純さで人間をやってきたが、亡き母は、秋田での暮しがながかったわけで、カステラは文明堂しか知らなかったのであろう。オッヘンバッハの『天国と地獄』の曲に合わせた、「カステラ1番、電話は2番、3時のおやつは文明堂」というあのコマーシャルは日本全国を風靡したといっていい。

 きょう,いただいたのは長崎の老舗・福砂屋である。口上書には「原料は普通のカステラと比較卵は多く、小麦粉は少なく配し」とあるが、甘さはむしろ他社のものが、甘いように私には思われる。めったに甘いものを食さない私のことだから、これ以上言う資格がない。味より、歴史を見てみたい。

 この口上書によれば、福砂屋は現在、16代目、1624(寛永元)年以来であるとのことだ。12代清太郎が皇室に献上したともある。

 そもそもカステラは小麦粉に鶏卵、砂糖、水飴を混ぜて焼いたものであるが、ずいぶん以前、隠し味に醤油を使っている、とキッコーマンの人に聞いたことがある。Bolo de Castella(ポルトガル語で、カステラ地方の菓子)から出た言葉で、日本には室町時代の末期に伝わったとされる。長崎が有名になったのは、出島が西洋への唯一の出口になったからであろうが、福砂屋の1624年創業はいかにも老舗だ。ちなみに、文明堂のホームペイジには、「文明堂総本店は明治33年(1900年)長崎の地で中川安五郎によって創業されました」とある。福砂屋は300年近い老舗、文明堂も100年以上の古い歴史を持った店ということになる。

 ものの本によれば、江戸時代には、「加須底羅」や「粕底羅」との表記もあるし、近松門左衛門『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』(1708年初演)には「落雁かすてら羊羹より、菓子盆運ぶ腰本(こしもと)の饅頭肌ぞなつかしき」とあるほどで、当時の普及ぶりがわかる。

 亡母を思い浮かべつつ、歴史に思いを馳せながら、ミルクティーでいただいた。ごちそうさまでした。
コメントする
コメント