差別への過剰反応は× [2008年02月22日(Fri)]
![]() 「早春賦」。挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で 掲載させていただいております。禁無断転載。 差別への過剰反応は止めてほしい 私自身、差別には大反対だ。 1980年代の南アフリカ共和国を一人で訪問したとき、確かに「経済大国」日本からのわれらは特別扱いで、ホテルでもレストランでも入れてくれたが、ホテルでは先についても最後にチェックインさせられ、レストランではいくら空いていても中央部やまして奥には絶対に入れてくれない。 ほとんど入り口のドアの横の席だった。 高校を出てまもなく、部屋探しをしていたら、「東北の方お断り」という張り紙を見て、唇をかんだ。今でもその場所は忘れられない。爾来、妙なことにがんばって、東京の人並以上に東京の文化、地理、言葉に精通しようと挑戦してきたが、未だ到底、及びもつかないと自己採点している。 しかし、この挑戦はまだまだ続けて行きたい。「東北の人歓迎」と張り紙をさせてみたいと、あらぬ夢を見ている。 それぐらい差別にを否定し、社会全体として克服したい気持ちは誰にも負けないつもりだ。 そこまで断ってからでも、以下を書きたい。 『あなたは外国で差別されたことがありますか』という名著(NHKブックス)があるが、こんな経験はほかにも内外でいくつもした。そんな私だが、日本文化、とりわけ童謡・唱歌の世界で、差別への過剰反応はやめてほしい。 たとえば、『故郷』の2番、「いかにいます父母、恙(つつが)なしなしや友がき…」。 「世の中にはさまざまな理由でお父さんやお母さんのいない子供もいますから、この歌詞のところは飛ばして1番と3番だけにしましょうね」という指導者がいる。 ちなみに、わが両親はとっくに鬼籍に入ったが、「いかにいます?」といつも懐かしく大声で歌ってきた。 子供心が分からぬ人というなら言え。たとえ、涙ながらにこの歌を歌っても、それがかならず成長の糧になるはずだ。 「15で姐やは嫁にゆき」(『赤とんぼ』)も、「15歳では民法上結婚できない」「姐や」は差別用語である」だから、この歌の3番は歌うべきではないという、「大家」もいる。 歌詞を変えて、「16でお手伝いさんは結婚し」とでもせよというのか。あきれてものが言えないとはこのことだろう。 私は今66歳。先年、還暦になった喜び(なってご覧、いいもんですよ)みなぎり、 「村の渡しの船頭さんは今年60のお爺さん・・・」 とよく歌ったものだ。 当時、孫は居なかったし、今もって、乗り物で席を譲られたこともないせいか、とんと年寄りの意識がない。第1、「おじいさん」で何が悪い! それでも若い仲間たちは、「今年60のお爺さん」を私の顔を見ながらいい気分?で歌うことがある。昔の還暦と今とでは精神的、肉体的また社会的にまるで違うかもしれないが、老人を差別する気風からとは思えない。 むしろある種の親しみからではないかと、我田引水かもしれないがそう解釈している。 それでも、もしかしてやがてこの歌も捨てられるか。それとも、定年延長で「今年70の」とでも、歌詞を勝手に変えられるかもしれない。 これなら変えても納得できないことはあるまい。 |





