結縁・尊縁・随縁 [2006年04月26日(水)]
![]() 世の中、どこでどういう縁があるかわからないものだ。そんな人と2日続けて会うものですから、この友情を大切にしたいものです。 最初は、Aさん。大手ゼネコンの大幹部。およそそういう世界にご縁がないものと思っていたところ、元部下のP嬢とそのお母さまのご紹介で一夕、ご馳走になった。P母子は一生懸命、共通の話題を探ろうとするが、所詮は月とスッポン、私など口をはさむ隙もない。 「はあ、仙台一高ですか。名門ですね」と、常に仙台の後塵を拝してきた秋田としては、ここでもシュン。 ところが、ややあって、早稲田の同じ学部・学科の少し後輩であることがわかり、にわかに肩の荷が下りた。「なんだ、こいつ」と少しは余裕も出てきた。当然、共通の恩師もいれば、友人の名も上がった。 「平田富太郎先生ね、労働経済、労働政策などの講座を持っておられました」 「中労委の委員長をしたりもしてましたね」 「あのころは授業でよりもテレビで顔を見てました」 「で、卒業後すぐゼネコンに?」 「ええ、そして新潟国際大学に2年間、国内留学させてもらいました」 「英語だけで授業をする、画期的な大学ですよね。そこでは何を?」 「入江昭先生について、国際関係を勉強しました」 「私は早稲田で、昭先生のご尊父、敬四郎先生に鍛えられました」 と、話は弾み、持ち合わせていた拙著『平和の歴史』(光文社)を出し、その「はしがき」に、入江啓四郎先生のお名前を記してあるところをお見せして、本を差し上げた。 話はさらに弾み、合併前まで宮城県岩出山町長であった佐藤仁一くんの名が出、私が何度も選挙の応援その他で行ったことがあること、先般も仙台で講演したときに会いに来てくれたことなどを話して、親しい友人であるというと、 「アレは私の義弟です」 というではないですか。 そこで、早速、私はワルをしちゃいました。仁一君に携帯で電話しちゃったのです。 「仁一くん? いや、あなたが一番、好きな女性はだれ?」 いきなりそう訊かれたら面食らうのは当たり前。しどろもどろだ。 「ケイコちゃん、でしょう」 「えっ! 何で知ってるんですか?」 「今、ある人と代わるからね」 とA氏に電話を渡した。酒席とはいえ、少々度が過ぎた。仁一くん、ごめんなさいね。 さらに驚いたことに、P氏のご尊父は、私の三兄と、東北電力で親しい同僚だったということが判った。今度は、A氏が、ご高齢のご母堂に電話した。 「あ、お母さん? 世間ってほんとに狭いよ。親父と親しかった吹浦さんの末の弟さんという人と今、飲んでるんだ」。 人間、どこで、どうつながっているか本当にわからない。 翌日夕方、私はある女性コンサートにほんの少しだけだが、文字通り、拝聴に参上した。数ヶ月前、ある音楽会で偶然、50年ぶりにBさんとチラッと出会い、名刺を交換した。 あとで、「某月某日、かくかくしかじかの演奏会をするので、聴きに来るように」とのメール。Bさんは50年前、田舎の高校の合唱部で先輩だった。 あの時代の先輩は本当に怖い。「指導・助言・おすすめはすべて命令と思え」である。 訊けば、平均年齢60代後半という合唱団である。ああ、み〜んな、「元」(または、「元×アルファ」)美女だとか。わが身の不幸よ、なんて決して思いませんでした。ハイ! みなさん、まことにお上手で、ええ、結構でしたとも。最後に指揮者が「6年ぶりの定期演奏会でした。さらに精進しますので、次回もどうぞ!」。 6年後、私は長生きすべきかどうか真剣に考え直すことに・・・いやいや、なんとしても長生きして、補聴器をつけずに、真っ黒のサングラスをかけ、いえいえ、そんな、つまり、よ〜く、耳の穴をほじくり、老眼鏡を磨いて最前列(まさか!)に座らせていただきます。 と、いささか悪態をついたものの、演奏はなかなかのものでございました(これはホンネ!)。きけば、みなさん、ギャル時代から音楽に精進され、音楽を大学で専門に勉強され、高校教師などをした人がほとんどとのこと。 いやいや、ベテランぞろいでなくてはとてもこういう表現、解釈、演奏jはできないというご立派なものでした。工夫や心遣いもたいしたものでした。ま、6年後はともかく(ひとこと多い!)、こういう、元気がないと、せっかくの出会いも発展しないということを勉強させていただきました。さすが、先輩、今後ともよろしくお手本をお見せくださり、ご指導下さい。 さらにその夜、C看護師と食事をしながら、ほとんど99%骨髄移植の話をしました。 この人は12年前の私の教え子で、さらに1年余り前、別の大学院でも私の授業に出ていた人です。これまた同じ秋田の生まれ、しかも、5年前に骨髄移植のドナーをやり、2年前に、なんと国立がんセンターの同じ病室で、私も造血幹細胞移植をしたという奇縁の人なのです。ドナー体験を共同執筆で書き綴り、ほどなく感性の予定です。 ところが、Cさんはまた近く、骨髄のドネーションをすることになったというのです。編集方針がイッペンで変わることになりそうですが、この人とのご縁も、いささか不思議です。 「結縁・尊縁・随縁」は、中曽根康弘下首相が、若いころからよく色紙に書いていた言葉だが、色紙をいただいて45年、近頃、私にもようやくそれがわかってきたようだ。 挿画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。 |





